186 森の遺跡
もう、詰んでいるのではないか?
ぐるぐると皇帝の問いが頭を駆け巡る。
アイツに指摘されると癪だけど、確かにダンジョン通り抜けルートが潰れた今、安全に商売ができるのは国内の盟友と、残るは帝国のみだ。そして現実問題、対盟友オンリーではどうしたってウィリスの商人たちを満足させることはできない。
「ニミュエがあれば、と考えているのならそれは間違いだ。現当主は、どこぞの王子以上の無能ぞ」
うあ~~…。
それ言っちゃうのな~…。
アナベル様のお父様――ニミュエ公爵は、確かに国想いの良い人だ。でも…そう、良い『経営者』とも『為政者』とも言えないんだよ。それが証拠に、ニミュエ領は広大で肥沃な土地、且つ海に面しているにも関わらず、収益は徐々に落ちてきているのだ。……あの人のやり方が少し気になって調べさせたんだ。結果は、まあ皇帝の言うとおり。豊かな土地だし、公爵閣下は領民からも慕われているし、少々管理がいい加減でもやってはいけたんだろう。
けど、思い出してみてほしい。
グワルフの工作で、領内の穀倉地帯への道を長らく封鎖されても気づかず、南部に食糧支援はすれど監督はせず。だから知らぬ間に銀山が売却されていたりするのだ。古参派貴族で無視できない勢力ながら、何事にも及び腰で詰めが甘い。ビーンスプラウトやラップドッグの連中の暴走にも対応が遅れ、今や、ニミュエは国内ですっかり影が薄くなってしまった。
まあ、贅沢し放題我が儘放題よりは、領民想いの領主様だから、財政破綻はしていないけれども。緩やかに衰退への道を歩んでいることは、確かだ。
話を戻して。
となると、ウィリスの活路は最早帝国に頼る他ないのだ。帝国の領海には、さすがのペレアスも手出しができていない。湾の中でも、海岸線沿いを航行してメドラウドへ渡り、外洋側の港から海岸線沿いに船を走らせれば、帝国との貿易は為せる。実際、絹も一旦メドラウドを経由して仕入れている。
帝国との貿易の実入りがいいのは間違いない。けれど、それは帝国にウチの命運を握られているのも同じであって。
「うあ~~」
改めて頭を抱えた。
皇帝は、それをわかっていて先の問いを投げかけてきたのだ。俺はわかっているが、それでよいのか?、と。
「そりゃあ…周辺諸国みんなとWinWinなのが一番だけどさぁ…」
今のペレアスは狼というより狂犬だ。仲良くできる気がしない…。そもそも対話できる気がしない。現実味がなさすぎる。
「どうしろって言うんだよ…」
平和な領域は手に入れた。しかし、その小さな領域の中だけでは生きていけない。そもそもウチは食糧自給率が低い。ベイリンだって牧畜メインで、小麦がたくさん採れるわけではないのだ。
つまり、どうやったって外部から食糧を買い入れねばならない。やっぱり貿易は必要不可欠。
しかし、モノを運ぶ道はペレアスをはじめとした他国が握っている。他国が傾けば、街道の治安も悪化するし、道だって荒れる。替え馬の整備だっておざなりになる。となるとやはり、周辺諸国みんなとWinWinなのがいいわけで…
……。
……。
煮詰まった。
ねぇ…。その前にさ、あの皇帝が親切心でそんなこと、教えてくれると思う?
煮詰まった頭を、ちらと過った考えは、結局胸に残ることなく消えた。
◆◆◆
考え事をしているうちに寝てしまったらしい。メイドさんに揺り起こされて、私は目を瞬いた。
「皇帝陛下から狩りのお誘いです」
さすがに森への狩りにドレスで、ということはなかった。いつもの男装で馬を駆り、森の獣を探す。冬枯れの森だけど、雪は積もっていない。それなりに生き物の気配はした。ああ…貴族の狩りって、事前に獲物を追って狭いエリアに集めておくんだっけ?
ヒュン!と矢が風をきり、繁みに逃げ損ねた兎を仕留めた。
「いい腕だ」
「どうも」
狩りに赴いたのは私と皇帝、お供にディルクさんも駆り出された。本当、便利に余所様の護衛をこき使っている。皇帝陛下だからですね。わかってますとも。
お供にはもう一人、こっちは皇帝直属の兵なのか、鎧の紋がディルクさんとは違う。彼らは黙々と私たちが仕留めた獲物を運ぶ係。後始末を押しつけているみたいで、なんか申し訳ない。
「じき、帝都で生誕祭を執り行う。貴様も来い」
唐突に皇帝が言った。
生誕祭というのは、帝国の初代皇帝の誕生日を祝う行事だ。春先に国中の貴族を集めて行われる。そういや『美姫』で染めた絹の注文がたくさん入っていたね。大国の一大行事は、大きな経済効果があるのだ。無視できない。現地視察と思えば、このお誘いは喜ばしい。
「もう金勘定か?現金なことだ」
さっそく緩んだ顔を皇帝に揶揄われた。
「大商いの前は気合いが入るんです」
「そうか」
尚も兎や鹿などを狩りながら、森を駆けることしばし。そろそろ夕暮れが近くなってきた。引き揚げ時だ。
「まだ帰らぬ」
しかし、馬首を巡らせた私を皇帝は引き留めた。
「せっかくこの地に来たのだ。観光の一つもあってよかろう」
不敵な笑みを浮かべ、皇帝は前方を指した。木々の向こうに、白っぽいものが見える。観光地?こんな森の奥に?
「歴代の中には、中々の変わり者もいてな」
馬を進めながら、皇帝が淡々と説明する。
「今から五百年以上も前のことだ。疫病が流行り、帝国の人口の三分の二が死んだというのに、隣国に戦を仕掛けようとした酔狂がいたのだ」
しかし、疫病で人間が大幅に減ったのに、兵士など揃えられるはずがない。だが、当時の皇帝は戦を諦めなかった。
そこまで説明したところで、木々の向こうから突如巨大な建築物が姿を現した。
「これは…」
遊園地の巨大プール並の大きさの長方形の辺上に等間隔に屹立する柱は、皆大理石だろうか。今は風化してすっかり黄ばんでしまっているが、当時は日の光に眩く輝いていたことが窺える。そして、この下は同じく大理石で作られた階段だ。地面を掘り下げた、空っぽのプール。プールの床も一面が大理石だ。そして、長方形の短い辺のちょうど中点の辺りに、女神を模したのだろうか。両腕を広げた高さにして三メートルくらいの大理石の女性像が、プールを見下ろすように据えつけられていた。
ほぉ~。こりゃ紛う事なき遺跡ですわ。
ダンジョンのセーブポイントとかにありそう。
疫病あった直後に、こんなもん作るとか。
だってコレ、クッッソでかいよ?深さだってかなりのものだ。深さ約十メートルのプール。溺れるヤツが続出だ。しかも五百年前はどうだったか知らんけど、木の太さからして、森は森だったはず。そこに人をかき集めて?せっせと地面を掘って?どこぞの採石場から大量の大理石切りだして?ここまで運んで?でもって工賃なんか払ってないだろ絶対。賦役、それはタダ働き。食事代も各自でってか?
「…暴君じゃねぇか」
もしくは暗君。頭イカレてるわ。
「フッ…ハハハハ!!」
皇帝が爆笑しやがった。腹抱えて笑い転げている。
「なかなか言うではないか!」
ひとしきり笑うと、皇帝は私にプールの底を指さした。
「降りて、女神像を見上げてみろ。面白いものが見える」
ふーん。観光地ってことは、この女神像に何か旅人をびっくりさせる仕掛けでもあるのだろうか。さっさと降りろと急かすので、私はてくてくと階段を降りた。ディルクさんもその後をついてくる。皇帝は、女神像の傍らに腰かけた。
……。
……。
プールの底に降りた。
言われた通り、女神像を見上げる。
「……。」
女神像は女神像だ。特別変わったものなどありはしない。念のため、見上げる角度を変えてみたり、しゃがんだり、挙げ句女神像にお尻を向けて前屈し、股の間から見てみたけど……あ、これだと階段しか見えないわ。
「ディルクさん、わかんなッ?!」
振り返って「降参」って言おうとして、私は突然ディルクさんに押さえつけられた。
「なっ?!ディルクさん?!」
私の上に体重を乗せたディルクさんは、戸惑っている私の耳から魔除けのイヤリングを毟り取って、遠くへ放り投げた。
「アアッ!」
飛び散った紅が黄ばんだ大理石を汚す。腕を捻じりあげられ、動きを完全に封じ込められた私。そこへ…
《闇を糧とする…小さきモノよ…》
ひび割れたような、妙に甲高い声が、頭に直接響いてくる。同時にぬるりとした気配が身体に纏わり付く。
「ッ!」
これはマズい。危険だ。
頭の中でガンガン警鐘が鳴るけど、ディルクさんの拘束が強くて逃れられない。ヤバいぞ…!何とか頭をもたげた先――皇帝が無表情にこちらを見下ろしている。その傍ら、女神像がおかしかった。
《小さきモノ…に…》
僅かだけど…あの女神像の口許が動いて、『喋って』いる。命のないはずの目が、私を見つめている。
《王を…与える…》
ぬるりとした気配が、身体の内に――
「サアラ!ダメ!」
ティナが駆けてくる映像が、まるでスローモーションのように――
《屈服》
「アアアアアッ!!!」
冬枯れの森に、『魔物』の叫喚が響いた。




