184 思わぬ攻撃
季節は、冬から少しずつ春に近づきつつある。森では、雪の下から、早春を告げる花が顔を覗かせ、次第に夜明けが早くなってきた。
由々しき事態である。
なぜか。
ウィリスは今、深夜に荷馬車の隊列を連ねて、こっそりと魔物を使役して貿易を行っている。しかし、夜明けが早くなる――つまり、夜の時間が短くなると当然ながら、闇に紛れて移動にできる時間が減り、結果行程が狂う。日中隊列を隠しておく『隠れ家』まで到達するのが、日に日に難しくなってきたのだ。
さすがに、堂々と魔物を使役し、さらにダンジョンを抜け道に利用していると知れ渡るのはマズい。世間一般に『悪しきモノ』認識されている魔物を使役して、金貨を荒稼ぎしているとバレたら、タダでは済まない。下手したら世界を敵に回す可能性すらある。
「ルートを変更して……ほら、こっちの道なら延々続く田園地帯だ。日中移動してもペレアスから襲撃される可能性は低い」
フリッツやエヴァと地図を睨んで、私は呻った。ルートを変更するのはいい。田園地帯も人が少ないならそれに越したことはない。でも……『道路』がない。
「生鮮品は是非とも売りたいよねぇ…うあ~…」
冬から春にかけての今、生野菜や果物は大変高値で売れるのだ。しかしそれらは日持ちがしない。でこぼこ道を時速七キロ以下でえっちらおっちら運んでいたら、街に到着する頃には腐ってしまう。
「生鮮だけ別便で既存ルート…それ以外は新ルートで行けば?」
エヴァが提案した。
ふうむ…。頭の中で素早く計算する。
「利益がめっちゃ減る…」
「…うん」
眉を下げる面々。だってほら、時間かかるってことは、その分馭者さんのお給金に宿代食事代、馬の餌代が倍以上にかかっちゃうからね。速さってすごいコスト削減なのだよ。
「…ねぇ、サイラス。教会領を通らないルートも考えるべきだと思うわ」
口を開いたのはオフィーリア。言うと思ったよ。
教会領は、王都にいた商人たちが流れこんできたおかげで、凋落著しい王都とは対称的に、大変な賑わいを見せている。そして潤った教会領は、あろうことか通行料(と言う名の賄賂)をつりあげてきたのだ!三倍だよ?三倍!
「ま、教会っつっても、頭は貴族と変わらんからな。俺たちを乳牛だとでも思ってんだろ」
と、フリッツ。
「教会領に王都の商人が流れたのは、距離的に近かったのと、私たちの隊商が通るからよ。こっちもそれで儲けたけど、まあ『神の代理人』もしっかりこちらを見ていたってことね」
と、オフィーリア。
商人=俺の財布、と信じて疑わないのは貴族だけではないのだ。
このままだと、じわじわと搾り取られる一方だ。かといってこの商売を辞めれば、ウチの経済が死ぬ。海上に蔓延るペレアスの私掠船は数を増し、安全な海路が使える見込みも薄い。二度目の増税はマズいと思ったのか、ペレアスは海賊稼業にいっそう精を出しているのだ。
おいおい、これはかなり深刻な事態じゃないか?
どうやら儲けに目を奪われて、私は平和ボケしていたらしい。これに関しては、万が一を何も想定していなかった。別ルートは『道路』すら敷設していない。今からでも作り始めるべきかな…。私が頭で土木工事計画を練っていると。
「サイラスさん、鷹便。赤いリボンがついてるから…」
「見せて」
フェリックス君から受け取ったのは、赤いリボン――緊急を知らせる印のついた書簡。
「え…洪水?!」
書簡を覗き込んだエヴァが目を丸くする。
「ガウェイン岩塩坑……流れこんだ水で採掘できなくなった?!」
ガウェイン岩塩坑は、グワルフとの国境近くにある。書簡によれば、洪水は近くを流れる川の管理を怠ったことによる鉄砲水らしい。
冬場は、雪や氷が上流を堰きとめて水を溜めてしまい、溜まった水の圧力に負けて障害となる雪や氷が吹っ飛ばされ一気に流れ落ちる鉄砲水が発生しやすい。下流に街や村がある場合、その被害は甚大なものとなる。よって、領内に水源を持つ領主は川の管理に神経をとがらせている……はずなんだけどね。
まあ、なってしまったものはどうしようもない。
「こりゃあ、塩の値段が高騰するな…」
フリッツが言い、ニヤリと笑って私を見た。どうやら考えることは同じらしい。
「塩不足で喘ぎ出したところで仕掛けようか」
「な!塩を無償で?」
春を間近に控えた教会領で。
私はしたり顔で担当の司祭様に言った。
「たまたま帝国から仕入れた塩の在庫がありましたので、お持ちした次第です。通行料とでも思っていただければ」
賄賂の金貨は渡さない。渡すのは塩のみだ。つまり、今度から通行料は塩。人間、『タダ』ってワードに弱いよね!
ちなみに、この塩は帝国から買い入れた在庫などではない。魔界から私が採掘してきたやつだ。元手はタダ。こんなところで使うことになるなんてね。
ふぅー。とりあえず、搾り取られて破滅する未来は脱したかな…。
◆◆◆
「たまたま帝国から仕入れた塩の在庫がありましたのでお持ちした次第です。通行料とでも思っていただければ」
サイラスが司祭と塩のやり取りをしているところを、ノエルは物陰から見つめていた。
「通行料?」
さらに聞き耳をたてていると、教会領とペレアスとを隔てる城壁の門が開き、見たこともないヘンテコな馬車が姿を現した。なんとたった二頭の馬で十数台の荷台を牽いているのだ。ありえない。
(あれは…モルゲンの紋!)
その馬車には、堂々と彼女の仇敵の家紋が描かれている。つまり――
モルゲン・ウィリス王国の荷馬車!
これは見逃せない。
ノエルは、近くを歩いていた下っ端僧侶を傀儡術で支配すると、こっそり荷馬車のあとをつけさせた。そしてわかったことは。
「ふーん…。アイツら教会領を通ってモノを売りさばいているワケね」
道理でこの教会領でこれだけの商人がやっていけるわけだ。海路が私掠船により危険な今、どうやって諸外国の品物を仕入れているのかと思えば。こんなところに運び屋がいたのだ。通行料は今、ガウェイン岩塩坑の採掘休止で希少となった塩。
「…ん?」
彼らは塩を『通行料』だと言った。つまり、教会領は通過点。目的地ではない。
「どこへ行くのかしら?」
王都?けれどモルゲン・ウィリスとペレアスの関係は決して良いものではない。ならばどこへ?これは調べる価値がありそうだ。ノエルはニタリと笑った。
荷馬車への仕込を済ませ、ライオネルの待つ貴賓牢を訪れると、そこに先客がいた。
「ですから、ほら!ここをこうしますと…」
「ライオネル殿下は頭脳明晰であられますな。実に優秀でいらっしゃる…おや?聖女様」
先客の一人、年嵩の司祭がノエルに気づいて振り返った。その際、司祭の身体の陰になって見えなかったもう一人の人物の顔も明らかになり、ノエルは目を見開いた。
「ノエルお嬢様…」
「まあ…」
なんと、そこにいたのははるか以前に教会領に派遣した元侍女だった!
「お嬢様…私は改心いたしました…」
元侍女は聞きもしないのに、これまでの経緯をペラペラと話し出した。教会領で目の前にいる司祭と運命の出会いを果たし、改心して修道女になったとか…
(つまり、丸め込まれて手駒にされたのね…)
復讐に燃える元侍女は、司祭から見ればいい獲物だったに違いない。こういう性格の女は、目標さえ定めてやれば、どんなことでも手を染める。実に使い勝手の良い駒だ。
(それで?癇癪持ちのバカ王子の洗脳に使ってるのね?)
司祭と元侍女の手には、教書らしき冊子がある。元侍女はともかく司祭の方は、ライオネルがペレアスに返り咲くことを見越して、今から己の傀儡にしようとしているのだろう。好々爺の顔をした古狸だ。
(これは…放置できないわね)
司祭は頭がまわるのだろう。自分にも元侍女にも精神魔法……つまり傀儡術を弾く魔道具を装備している。ノエル対策は万全というわけだ。新たな厄介事の予感に、ノエルは内心で唇を噛んだ。
◆◆◆
夜になって教会領を出た荷馬車は、いつものようにサイクロプスのいるダンジョンに入った。最後尾の荷馬車がダンジョン内部に入ったら、一旦停止して馭者を魔物――ワイルドキャットファイターに交代する。そして、ボス部屋で魔王への物資を降ろし、ダンジョンを抜けるとそのまま夜闇に紛れて国境の街を走り抜け、グワルフとの国境のダンジョンを通り抜ける――その一連の行程を、荷馬車に隠れた『ロイ』もといジェイクは見ていた。
『さて…。いかがするかな?』
影からの問いかけに、ジェイクはしばし黙考し、やがて腰をあげた。
◆◆◆
グワルフで商品を仕入れた帰り道。国境のダンジョンを通り過ぎ、サイクロプスのダンジョンの出口近くに、それは現れた。
「ジェイク…?」
呼ばれて私がやってくると、彼は何を思ったのか腰の剣を抜いた。
「…ここから先は通せない」
「……え?なん?!」
なんで、と問い返す前に、ジェイクの鋭い刺撃が繰り出され、身体のすれすれを掠めた。
「?!」
「闘え、サイラス。でなければここで全滅だッ!」
横薙ぎの一閃に妙な気配を感じて飛びすざる。これは…
『フハハハッ!邪竜の娘よ!いざ!』
嗄れた声は……
ハッ!ジェイクの影か?!そういやジェイク、リッチと契約したとか言ってたな。
『《影刃》』
薄暗いダンジョンに、無数の黒い刃が飛び交う。
「《竜鱗の鎧》…なっ?!」
刃を避けたところに突っ込んでくるジェイク。
ガキッ!と、硬化した鱗と剣がぶつかる音が響く。
「ッ…!」
正直めちゃくちゃ痛かった。『ロザリー』のへなちょこ剣戟とは比べものにならない。
油断すると死ぬ、とすぐに悟った。
わけはわからないけど、ここは応戦一択だ。とりあえずデカい的――荷馬車をダンジョンの外に出すことを考えよう。これを失ったら大損だからね。
「《破砕雷》!」
雷撃でジェイクを狙うと見せかけて、彼の頭上の天井を破壊する。土煙をあげて崩落する天井。
「行けっ!今だっ!」
合図で一斉に出口へ突き進む荷馬車。
しかし、相手も甘くはなかった。土煙の中から飛び出してきたジェイクの剣が、荷馬車の連結部分を狙う。さらに後方では、不気味に伸びたジェイクの影が同じく荷馬車の車輪に絡みつこうとして…
「させるかよっ!レオ!」
「ギギッ」
ダンジョンを照らす三筋のレーザービームに、車輪に絡みつこうとした影がたじろぐ。連結部分を砕こうとした剣を受けとめ、つばぜり合いをしながら叫ぶ。
「強行突破ぁー!!」
心得たと、レオの分身が荷馬車の周囲に牽制のビームを幾筋も放つ中、荷馬車が何とかダンジョンから抜け出した。
「よそ見とは余裕だな。《蝕》」
「ッきゃあっ?!」
ジェイク、魔法の威力が増してない?!
ドロリとした黒いネバネバは、私の鱗を溶かすことはないものの、足に絡みつき自由を奪う。動きが鈍ったところへ、目を狙った剣先が迫る!
「!!」
堪らず竜化した私。
巨軀はダンジョンの出口にはあまりにも大きすぎた。
轟音をあげて崩落する壁と天井。
ダンジョンの出口が埋まった。
つまり、唯一の貿易ルートが使えなくなってしまったのだ!
最後に私が見たのは、ニヤリと笑って土煙の向こうに消えるジェイク。
あんにゃろー…コレが狙いだったのか!




