169 魔界からのお客様
冬になる前にもう一度王子会談を開きたかったけど、断念せざるを得なくなった。今度は突然、ウィリスに駐屯していたペレアス軍が本国に帰還すると言いだしたのだ。入れ替わりにやってきたのは、なんともお粗末な装備の部隊。その数三十にも届かない。舐めきった数だ。率いてきたのは…
「ビーンスプラウト侯爵…」
勝ち誇った顔のひょろりとした肌色の悪い男。古参派貴族で、確かニミュエに次ぐ有力者だとか。
んにゃろー…。これも嫌がらせの一環かよ!
「ビーンスプラウトとラップドッグへの通商は一切禁止。制裁だ!制裁!」
ビーンスプラウト侯爵が帰るや、私は喚いた。
ウチの新型馬車の輸出を停止し、植物紙も売らない。他領を通してそれらを買うことはできるけど、その分輸送費が割増されるし、新型馬車に至ってはオーダーメイドだ。余所が買ったものを譲らせようなんて、相当高くつくはず。ざまぁみろ!
……。
……。
ああもうっ!腹立つ!
制裁したらしたで、ウチも売り上げ減るしっ!
「アンタが荒れるのも、珍しいな」
執務室にやってきたのは、セヴラン。厚手の外套を纏い、足下は毛皮を裏打ちしたブーツを履いている。
「帰るの?」
問いかけに軽く笑んで、セヴランは口調を改めた。
「ダウンコート、届くんだろうな?」
「もちろん」
意地でも届けるさ。今年はカモはいないけれど、代わりにシェフレラを中綿に使った。とても軽くて温かく、カモ・ダウンに引けを取らないよ。デザインも、今年は男性用も含めバリエーションを増やした。商品には自信がある。
「頼んだぞ。期待を裏切らないでくれ」
そう言い残して、セヴランはグワルフに帰っていった。
今、ウィリスにいるのはペレアス貧弱兵、グワルフ兵、メドラウド兵に、教会の僧兵。ペレアス貧弱兵だけが、平兵士の集まりで指揮官がいない。舐めてる。
セヴランとアルはそれぞれ国に帰っており不在。彼らの代理は、それぞれの隊長さんが務めてくれるが、あくまでも彼らは伝言係。よほどのことがない限り、彼らが議決権を握ることはない。
つまり、春になるまでは大きな会議もできないし、当然決議も下せない。海賊船の皮を被ったペレアス海軍を、自力でなんとかするしかないのだ。
そんな悩める私の元へ珍客が。
「サアラちゃ~ん!来ちゃったよ~ん!」
魔界からベッキーが遊びにきた。
◆◆◆
カルビ君のおかげか、魔の森から喋る魔物が遊びにきても、村民は温かく彼女を迎えた。お客さんだと呼ばれて来てみれば、ベッキーは母さんとお茶とクッキーを楽しんでいた。
「サアラちゃ~ん、何コレ美味し~い♡」
パクパクと母さん手作りのクッキーを頬張るベッキー。幸せそう。
「気に入ったのかい?たくさんお食べ」
母さんも自分のお手製クッキーを褒められ、まんざらでもない様子。嬉しそうだ。
「甘くてサクサクでぇ、この緑のお茶とよく合うねぇ」
ベッキーの飲んでいるのは、緑茶。紅茶よりも癖がなくて、母さんはこちらを好んで飲んでいることが多い。エヴァも一緒になって試行錯誤の末作りました!
「まあ嬉しいこと。こんなお嫁さんなら大歓迎よ(チラッ)」
……ん?
何…?今の。気のせいかな?
「どっかの公爵様のどら息子は気の利いた会話ができなくてねぇ(チラッ)」
「!!!」
あ、あああ、アルぅ!
母さんを褒めて!
乙女ゲームの攻略対象の対乙女スキルをフル活用して!ベタ褒めして!
お姑さんのご機嫌取り、大事!
すっっごく大事っ!
私も今度、アルのお母様をベタ褒めしに行こう…。
ずっと家に閉じこもっていても楽しくないだろうと、私はベッキーを外に連れ出した。さすがにウィリスの外は魔物が闊歩していると駐屯兵の皆さんが色めき立つので、ベッキーには魔法で人間に化けてもらった。
「ふわぁ…。やっぱりベッキーは美人さんだねぇ」
すらりとした体躯に、程よく括れた腰、胸は…悔しいけどDよりはある。うにゃ~…負けた。髪は少し赤味のある瑠璃色。彼女の鱗の色だ。マゼンダの瞳は目立つので、よくある茶色の瞳に変えてある。背が高いから?目が大きいから?モデルさんみたいだよ、ベッキー。
そんなベッキーは、私の格好を見てキョトンとした。
「サアラちゃん、どうして男の格好してるの?」
◆◆◆
偵察がてら、ルッドゥネス侯爵子息はウィリスを訪れた。正体を隠すため、裕福な商人風の衣装に着替えて、広場をぶらぶら見て回っていた時だ。
「あれは…」
雑踏の中でも、その赤紫色の艶やかな髪は目をひいた。ほっそりとしているのに、女性らしい肉感のある体躯、チラリと見えた顔は溌剌として愛らしく、大きな瞳は煮詰めた蜂蜜のような温かみのある茶色。なかなかの美人だ。ちょっと前まで付き合っていたグリンダとアミーリアを足して二で割った感じだろうか。
「イヴァンジェリン王太女殿下?」
よし。やる気出た!
◆◆◆
ベッキーを連れてきたのは、モルゲン。
この街も、復興を機に区画整理をして、だいぶ様変わりした。カオスだったメインストリートも、今は子供でも歩きやすい通りになった。ベッキーと雑貨屋を冷やかし、やってきたのは人でごった返すマルシェ。
「お!サーイラースッ!果実水買っていけよ!」
いつもの場所で、旧友のオリバーが手を振っている。その手には果実水を詰めた瓶。
秋だからね。新鮮な果物を数種類搾って蜂蜜を混ぜた果実水は、今だけの限定品。コイツ…私の商品アイデアをパクったんだよ。ったく。
「お?可愛いお嬢さんとデートか?昔を思い出すなぁ」
ベッキーを見てニヤニヤするオリバー。大昔、私がオフィーリアを連れてマルシェを歩いたことを言っているらしい。
「友達だよ。果実水くれる?」
苦笑して銀貨を渡すと、「まいど~」とキンキンに冷えた瓶を手渡された。一本をベッキーに差し出す。
「美味しいよ。ミックスジュース、私のアイデアだもん」
「コラッ!そいつは言いっこなしだろ!」
ツッコむオリバーを尻目に瓶を開ける。ベッキーもぎこちない手つきで蓋を取っておそるおそる一口。その目がまん丸になった。
「何コレ!甘い!果物?!果物を飲むの?!すごい!魔界にこんな美味しい飲み物ないよ?!」
…直截な感想ありがとう。チラッと見たオリバーは目を逸らしている。うん、魔界云々は聞かなかったことにしてね。
「ふわぁ…やっぱり人間界って美味しいものがいっぱいだねぇ」
すっかり果実水を飲み干したベッキーが、しみじみとそう言った。
「ねぇ…果実水って別に珍しいものじゃないよ?」
お茶とお酒と同じくらい、庶民にも出回ってる飲み物ですが。
「ないよないよ!ダンジョンに来た人間がお茶っ葉とかドライフルーツ持ってたことはあったけど、こんな美味しいのはなかった!」
…そのお茶っ葉とかって、アレですか?冒険者の身ぐるみ剥いでゲットしたの?
頷くベッキー。
「……。」
ダンジョンが盗賊稼業の場だった件…。
ファンタジーの夢をぶっ壊す大スキャンダルだよ!もうっ!
「カルビずる~い!ちゃっかり人間界に居座っちゃってぇ」
口を尖らすベッキー。そういやカルビ君、あの子も甘いもの大好きだよね。果物にがっついてた。
「魔界でも食べ物は生産してるんでしょ?果物とか、ないの?」
聞いてみたら、魔草(野菜?)とか魔獣の肉とか、向こうは向こうでちゃんと食べ物はあるらしい。
「人間界の食べ物の方が美味しいの!」
ベッキー曰く、特に甘味や嗜好品の類いは、魔界にはないらしい。
「ダンジョンが流行ってた時は、人間界の食べ物もゲットできたんだけどぉ…」
ここ二十年くらい、ダンジョンは不景気らしい。よって、身ぐるみ剥げないから、人間界の食べ物も得られなくなったという。
「はあ…世知辛いよねぇ…」
……世知辛いの??
……。
……。
「ベッキー、不景気の原因がわかったら知りたい?」
「え?」
…いやね、あんまりにショボーンとしているから。力になってあげられたらなぁ…って思ったんだよ。オリバーには、口止め料に金貨を一枚握らせて、私はベッキーに笑いかけた。
「お客のことなら、情報もっている人を知ってるよ」
ウィリスに滞在中のギルドマスター。冒険者のことなら彼より詳しい人はいないだろう。
◆◆◆
王太女殿下が動いた。
ルッドゥネス侯爵子息はこっそり後をつけた。何とかして二人きりになり、お近づきになりたいところだが…
(サイラス・ウィリス!)
よりにもよって彼女が一緒にいる。いや、彼女も美人だし胸があるし、興味はある。でも、今のターゲットは王太女殿下だ。女二人連れは絡みにくいんだよなぁ…。ほら?女の子って仲良さそうに見えても、間に男が入ると途端に陰険になるでしょ?やりづらいんだよね…。自称モテる貴公子ルッドゥネス侯爵子息は嘆息した。
王太女殿下をサイラスから引き離したい。確かついてきた護衛に、そこそこ顔がイイ奴がいたはずだ。アイツにナンパさせて…
しかし、残念なことに連れてきた護衛は、気をきかせてかかなり離れたところにいるようだ。近くにいない。
実は、護衛に扮した暗殺者たちは最初から彼らの判断で別行動をとっていた。そもそもサイラス暗殺の企みを、この息子は知らされていない…。
…仕方ない。チャンスができることを信じて、侯爵子息は二人を追いかけることにした。




