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163 消えた記憶と逃亡王女

獣道を姉を追いかけて駆ける。森の木々が後ろへ後ろへと流れていく。



速く…もっと速く、走れる気がした。

視線は低く、身体は小さく、

風のように…



不思議な既視感を覚えながら、フェリックスは魔の森を駆けた。


「姉上!そっちはウィリスじゃないです!」


叫べども姉は止まらない。ああ…昔から姉は自分の『制止』など聞いてくれたことはなかったか…



『制止』……

何を止めたんだっけ…



霞がかかったようなおぼろげな記憶のピース。そうだ、確か父と狩りにでかけて――



白と黒のツートンカラーの魔犬ウィペット――小柄でスレンダーな狩猟用に調教された魔物…



よく、()()()()()遊んだ。



中に入って??


《傀儡術》を、前にも使っていたのだろうか。フェリックスがそこまで思い至った時。


「ブヒィィイ!!!」


「?!」


姉の眼前に、三メートルはあろうかという巨大なイノシシに似た魔獣、ボアが現れた。


◆◆◆


一方、ウィリスでは。


「お待ち申し上げておりました。イヴァンジェリン王太女殿下」


身の回りの物一式を小さなトランクに詰めて、ペレアス家臣の包囲を抜け出し教会に逃げこんだエヴァを出迎えたのは、でっぷりと肥え太った大司祭。そう、ノエルに火刑のターゲットにされていた大司祭である。


サイラスが気を利かせてモルゲン郊外の高級宿に移したはずが、モルゲン・ウィリス王国初の教会設立の情報を耳ざとく聞きつけて出戻ってきたのだ。


「王太女殿下は王配を決めかねておられるとか。我が愚息は正教会でも指折りの…」

籾手(もみて)を擦る大司祭。


エヴァの目が死んだ魚のように濁った。


大司祭の狙いもまた、カネと権力だ。王太女の王配に己が息子を宛がえば、未来の国王の外祖父になることができる。


(もぉ~!!どいつもこいつもっ!)


わかりすぎるほどにわかる。エヴァは『次期女王』に求められているのではない。『お飾りの旗頭』として、そして『王家の血筋の腹』としてのみ、求められているのだ。


(キッッモッ!!)


転生者の彼女には、そうとしか思えなかった。


「ささ、どうぞこちらへ。王太女殿下のお部屋は僭越ながら私の隣に…」


「はいっ?!」


大司祭の多分にいやらしさを含んだセリフに、エヴァは目を剥いた。隣の部屋って、アンタ私に何する気…?


「おい、王太女殿下をご案内せよ!」


見上げた大司祭の顔は、傍目にもわかるほどにやけ下がっていた。…ノエルが擦り寄ったせいで『自分、モテるんや!』って勘違いしてしまったのかもしれない…。


ともかく、これはマズい。部屋に入ったら最後、軟禁されてコイツの息子かあるいはコイツ自身が夜這いに来るに違いない。ついでに王太女と懇意だと教会がつけあがるオマケ付き…。


エヴァはカッと目を見開いた。


絶体絶命のピンチを乗りきる必殺技、それはっ…!


「きゃあああっ!!痴漢!ちかん!チカーン!!!」


金切り声をあげるや、エヴァは僧兵が固めている入口の扉を氷魔法でぶち破った。


「新築の教会壊してごめん!サイラスく~ん!」


凍りつかせ、傾斜をつけた床にトランクを置き、その上にうつ伏せに乗っかって気をつけの姿勢…


「セーッ…ハッハッ!!」


叫んで力いっぱい地を蹴る――橇競技(そりきょうぎ)のスケルトンである。掛け声はなんか違うけど……気持ちの問題である。スカート(めく)れたけど、もういいや!夜這いよりよっぽどマシよっ!


◆◆◆


「ブヒッ!ブヒィィイ!!!」


ベイリン姉弟は、一頭の荒ぶるボアと対峙していた。


ボアは、よくよく見れば背中の一部の毛がハゲて、血がこびりついている。恐らく、火竜が森に落とした炎弾で傷を負い、森の奥に逃げられなかったのだろう。前脚で苛々と地を蹴るボア。手負いの獣は殺気立っていて凶暴だ。


「フェリックス!アンタ!魔物に《傀儡術》使えるでしょ!何とかしなさいよっ!」


「姉上、大声はボアを刺激します!」


金切り声で命じる姉を、フェリックスは必死で黙らせようとするも。


「お姉様の命令が聞けないの!?」


ヒステリックに叫ばれて萎縮した。


「ブヒッ!ブッヒーッ!!」


マズい。ボアを刺激し過ぎた。凄まじい速度で突撃してくるボアに、姉弟はびしりと固まった。


(ダメでもやらないよりはマシだ!)


こんな大物など操れた試しはない。でも、何もしなければ踏み潰される未来しかない。フェリックスは必死で糸のような魔力を伸ばした。


(思い出せ!操るというより、中に入るイメージで…)


そう…。あの時も、そうして…


「ブ…?」


ズザザザッ!


至近距離まで迫ったボアが、急ブレーキをかけた。


◆◆◆


「もう…もうっ…!」


イヴァンジェリンはトランクを引きずり、とぼとぼと新ウィリス村エリア――貸店舗が軒を連ねる商業区を歩いていた。


「私は孕ませマシーンじゃないっつーのっ!」


せっかく『推し』とのバラ色な未来を夢見て、この新天地に引っ越したのに。王太女云々で全部ぶち壊しである。


「…はぁ」


足が痛くなり、通りかかった小さな公園のベンチに腰かける。


「…いろいろ、順調だったのになぁ」


目が回るほど忙しかったけれど、ここでの日々は充実していた。脚の悪さを忘れてしまうほどに。


(この貸店舗街(ショッピングモール)の企画は楽しかったなぁ…)


フリッツやオフィーリアは想像だにしていないが、そもそもなぜ『テナント制』を言いだしたかというと、金策に行き詰まっていたからなのだ。


この世界の支配層は、一般的に『年貢』――税は年額で徴収する。『年貢』の徴収は、世間一般では秋。昨年は戦後すぐとあって、大した額は集まらなかったばかりか、カモ被害云々の影響でむしろ支援ばかりになってしまった。国庫は火の車の綱渡り……よってサイラスが、


「短いスパンでまとまった定期収入あったらなぁ」


と呟いたのがきっかけ。なんとも情けないきっかけである。



「ハハ…あの時は徹夜続きだったなぁ」


思いついたら即行動!…とするには、やることが多すぎた。


新ウィリス村エリアを一から区画整理し、さらに既に建築の始まった開拓エリアの設計図を急遽見直し、何度も算盤を弾いて既存の商人も納得するテナント料を計算し……実はゴタゴタ続きだった。


急な変更でトラブルが起こる度、エヴァが王女の顔で説得に赴いたり、公園の必要性を説いたり、影で奔走しまくったのだ。え?『推し』に「エヴァ姐さん大好き~!」ってハグされたから、疲れたけど超満足だよ?




今一度、賑やかな通りに目をやる。目の前では、行商と思しき女性が道のド真ん中に敷物を広げて客寄せを始めたところだ。


「もぉ~…道で行商しちゃダメだって」


店舗を持てない行商は、マーケットエリア以外では敷物を広げて商売をしてはいけないと決めてある。


「え~…アミュレット、アミュレットはいかが~?」


「おねーさん、道の真ん中は通行の邪魔だよ~」


見かねて、イヴァンジェリンは行商に声をかけた。


「ええ~…私、貧乏。所場代払えな~い」


行商は強かだ。役人なんか怖くない。


「ここでやったら罰金、金貨三枚」


「ちょっとだけ。ほら、端に寄るから」

 

「ダーメ」


「遠く南からはるばる歩いてきたの。とっても苦労してる商人苛める。神様、見てるよ」


「じゃ、牢屋に。その神様がきっと助けてくれるよ」


そこまで脅して、ようやく行商は不満タラタラな体で立ち上がった。


「所場代払えない。商品買ってよ」


これだもんな~。


「ハイハイ」


ミサンガに似たアミュレットを二、三本選び、一日の所場代ジャストな金額――銀貨三枚を渡す。太っ腹だと思うよ?


「え~…足りないよぉ」


「牢屋、ゴー?」


「…はぁ~い。毎度あり~」


がめつい女性に苦笑する。嗚呼…こんな日常が幸せだなぁ。


◆◆◆


「ブ…ブヒィィイ!!!(ぎゃあああっ!!!)」


魔の森の入口近くで、一頭のボアが暴れていた。ボアの前には、恐怖に顔を引き攣らせた少女と、その後ろに倒れた子供。子供の意識は、ボアに入りこんでいる。そう、フェリックスの《傀儡術》は成功したのだ。だが、誤算が一つ。


「ブヒッ!ブヒィイーッ!!(痛い!背中が痛いィー!!)」


《傀儡術》は、操る対象の感覚をも乗っ取る――つまり、痛みも。


アーロンもノエルも、操る対象が負傷しそうになったとき、また致命傷を負いそうになったら、即座に術を解いて身を守っていたのだが…フェリックスは、そんな術を知らない。


ボアは、炎弾で背中に火傷を負っていた。フェリックスは、ボアの意識を乗っ取ると同時に痛覚まで引き受けてしまったのだ。突然の強烈な痛覚に、フェリックスはパニックに陥っていた。


「ブウッ!ブヒ!ブッヒー!!(誰か!誰か助けてぇ!!)」


パニックに陥ったフェリックスの前には、姉しかいない。半狂乱のフェリックスは、自分がボアの中にいることも忘れて、目の前の姉に助けを求めた。


ズシン…と、ボアの巨体がノエルに躙り寄る…


「伏せなさい!」


鋭い叫び声に次ぐ、風切り音。ストッ!と、矢がボアの前脚に命中した。


「ボヒィイイーッ!!(ぎゃあああっ!!)」


「きゃあああっ!!」


悲鳴をあげる両者。不幸なことに、ノエルも弟の《傀儡術》が成功したことに、まだ気づいていなかった。


「ブッ…ブヒ…(あ…アナベル…様…)」


元々弱っていた上に、矢を受けたボアは呆然と矢を放ったアナベルに顔を向け…


「この魔獣がっ!」


凄まじいスピードで突撃してきた執事の剣が銀色の軌跡を描いた。

血飛沫が舞い、ボアが地響きを立てて横倒しになる。倒れたフェリックスの身体がビクリと跳ねた。


「カハッ!」


「?!」


その口から血が零れ……

その段になってようやくノエルは、弟の《傀儡術》が成功していたことに気づいた。


「アンタたちなんてことするのよっ!!」


純粋な怒りを滾らせた瞳で、ノエルは救援に来た二人を睨みつけた。《傀儡術》を発動したまま対象が殺された場合、術者の受けるダメージはバカにならないのだ。下手をすれば内腑をやられる。子供ならどうなるか…。


(…何言ってんですか…姉上…)


そんな姉を朦朧とする意識で見上げ、フェリックスは心中で独りごちた。


(最初に僕を…ウィペットに入った僕を面白半分に殺したのは、姉上じゃないですか…)

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