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159 報告書

その日届いた『報告書』の筆跡は、酷く乱れていた。


恐ろしいモノを見た、と。

伝説上の魔物、火竜。火の粉が雨のように降り注ぎ、空はかの魔物の息吹で真っ赤に染まった。


そして…

殴り書きの文面はこう続けた。


サイラス・ウィリスは、人間の皮を被った魔物だった、と。




「フッ…」


報告書を読んで、アルスィル皇帝は口許を歪めた。


今回の報告書は、また一段とブッ飛んだ内容だった。

魔の森に伝説上の魔物、火竜が現れて村を焼き払おうとしただの、メドラウドの小倅が火竜の目に剣を突き立てて消滅させたようだ、などと。報告書の中で唯一現実味があるのが、最後の一文――サイラス・ウィリスは人間ではなく魔物だった――くらい。


報告書を書いた人間は怖じ気づいてしまったのか。報告書の最後はお祈りのような無意味な文言がタラタラと書き連ねてあった。なんでもサイラスの正体が、ドラゴニュートであったらしい。よほど悍ましい見目と窺えた。人間ならば死ぬほどの魔法攻撃に耐えるとは…。


「ぜひ見てやりたかったのだがな…」


その魔物となった少女とやら。これほど興味をそそられる存在があるだろうか。クツクツと喉を鳴らす。


「ギルネストを呼んでこい」


部下に命じると、ややあって小太りの商人が馳せ参じた。


「例の新参国との絹の取引はどうなっている」


問えば、商人はペラペラと淀みなく…いや、びくびくしながら、かの国との取引について説明した。どうやら目算通り、かの国との取引額は右上がりになっているようだ。素早く、ウィリスに潜ませた者の報告にあった、かの国の総収入と比較する。


黙考することしばし。


「絹の卸値を下げてやれ」


ニヤリと笑って命じた。


「恐れながら陛下、」


今まで黙って話を聞いていた侍従が声をあげたのを手で制す。


「よい。案ずるな」


侍従は、帝国産の高品質の絹の安売りを懸念しているのだ。しかし、これでよい。エサに食いつき、このまま帝国の絹無くては生きられぬほどに、依存させる。そうすれば…


不意に取りあげた時、必ずヤツは縋りついて来るだろう。


相手が気づかぬ内に養い、飼いならす。


己を不貞不貞しくもおちょくってきた生意気な空色の瞳を思い出す。ああ…早く、早くアレを手に入れたい。


グワルフやメドラウド、ペレアスまでも、軍の駐屯という形で盾としたらしいが、それはあくまでも軍による侵略を防ぐ効果しかない。また、長く保つとも思えない。


「必ず、アレは余を頼ろう」


何の資源も持たない辺境で商売を糧にする限り、経済――カネの支配からは、自由になれはしないのだから。


「地図を」


命じられば、すぐさま侍従が走り、アルスィル帝国及びその周辺地域まで網羅された地図が机に広げられた。


「ふむ…」


じきに冬になる。煩雑な政務からはしばし解放される。アレと遊んでやるにはお誂え向きだろう。

しかし、皇宮ではどうやっても邪魔が入る。シーズンオフだというのに、やたら着飾った女どもで溢れかえるのだ。あれは鬱陶しい。ここぞとばかりに、媚びを売りにくる老害どもも然り。


ならば、場所を移すまでだ。


「飛竜を数騎用意しておけ。この冬はエルジェムの別荘にて過ごす」


エルジェムは、帝国南部の森林に囲まれた土地だ。しかし、冬を過ごすのに適した地かと問われると、そうではない。大河が近くを流れているのと、冬特有の風向きが濃い川霧を発生させ、南部だというのに底冷えする寒さなのだ。水捌けも良いとは言い難い。別荘とは、大昔に先祖が気まぐれに建てた物が残っている。それだけだ。さすがに皇族の住居とあって大きな屋敷だが…。


戸惑ったような、怯えたような目の侍従をはじめとした部下たちに、目顔で「行け」と示せば、すぐに駆け去って行った。



そして。



冬が間近に迫った帝都を、皇帝の一行が隊列を組んで、打ち捨てられた別荘へ向かう。


「ついてきたのは、ノイシュタット伯爵とベゼル侯爵か」


先頭を走る皇帝の豪奢な馬車の後ろを追走する同じく豪奢な数台の馬車。恐らく、娘も乗せてきたのだろう。まあ、二家に絞れたのは僥倖だった。五つも六つもついてこられたら厄介だった。


じきに大河に差し掛かる。

皇帝は、走る馬車から御者台に飛び出した。そして、躊躇うことなく馬車を曳く馬に跨がる。


「外せ。騎乗する」


しかし足は止めるなよ。ニヤリと笑い、皇帝は素早く手綱を操り、自由になった馬の腹を蹴った。


情報が漏れないようにするのは難しい。しかし、ついてくる手駒は選んだ。命令に忠実に従う、有能な騎兵たち。突然の暴挙にも慌てることなくついてくる。驚いたのは、勝手についてきたお荷物だけだ。


後方で凄まじい破砕音が響く。先ほどの御者が気を利かせて、空っぽの馬車を横倒しにしたのだろう。慌てて追いつこうとスピードを出した侯爵の馬車は、障害物に激突したらしい。甲高い女の悲鳴が聞こえたところ、息女が乗っていたか。まあ、どうなろうとどうでもいい。どちらにせよ、無くても一向に構わぬ家だ。


眼前に橋が見える。深い谷川にかけられた木の橋だ。それを騎馬で一気に渡りきる。そして。


「落とせ」


兵に命じて、橋に火をかける。これで、残った伯爵もこちら側に渡って来ることはできなくなった。余計な荷物も、ここまでされれば追っては来まい。


予め用意しておいた飛竜が数度往復すれば、こちらの必要な物資は運び込める。皇帝が引き連れてきた荷馬車は最初から空っぽだった。


「さて。名目は…そうだな、狩りの誘いとでもしておくか」


男になりすました少女を瞼に浮かべ、皇帝は紅のマントを翻した。

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