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154 またこの場所から

「ラ……サアラ!」


肩を揺すぶられて、私は意識を取り戻した。


「え…、アル?」


慣れ親しんだひやりとした冷気。黒々とした木々を背に、血相を変えたアルの顔があって……。


「大丈夫か?『ロイ』の紛い物に何かされてないか?」


「う…」


まだ頭が痛いけど。アルに支えられて、ゆっくりと身を起こす。うん……『ロザリー』とかいうクソ野郎と殴り合いをした場所だ。


「サアラ?」


「殴り合いになって、首絞められて……放置された?」


「………は?」


アルが目を点にした。だよねぇ…。


「アイツ…明らかにサアラを連れ去る目的で来たよな?なのに…殴り合いに勝って、放置?」


何がしたかったんだ?、と呟くアル。


「例えば…呪いをかけられたとか何か…」


「ええ~…」


いや、そんな感じはしないよ?

殴り合いで砂だらけになった髪を梳いて砂を落としていると。


「?サアラ、ちょっと見せろ」


何を見つけたのか、アルがグイと顔を近づけてきた。

ちち…近くないですかね?アルフレッドさん?!ふお!頬に吐息!


「デコにバツ印が書いてあるぞ」


へ?おでこに??


「ふわぁ!何コレ!」


言われて額を触ると、ペトッと赤い血?みたいなものが手の平についた!ぎゃあ!何コレ!


「ほら、こっち向け」


アルがしゅるりとクラヴァットを解くと、ゴシゴシと私のおでこを拭う。


「…ねぇ、アル。落書きはおでこだけだよね?顔全体にほうれい線とか、目に隈とか、描いてないよね?」


顔に落書きしてあったら、他にもあるかもって不安になるでしょ?


「…それはない」


平坦な声でアルは否定した。


「鼻の下に鼻血とか鼻毛とか、目ぇ閉じたら瞼にもう一個偽の目が描いてあるのもない?」


「…そうなっていたら、指をさして笑っているから安心しろ」


瞼に偽の目を描いても寝てたらバレるぞ、とアルは至極真面目な返しをくれた。やったことあるの?


「………ない」


あるんだ。


「………ほら、帰るぞ」


目ぇ逸らしちゃって。アルったらかわいい。

ニマニマしたら、少々強引に腕を引かれた。


「ん~……にしても殺害予告かぁ。解せぬ」


ほら、赤でバツ印って「ここン家の奴を殺れ」的な意味だったような…。


「殺害予告?!どういうことだ!サアラ!」


…どうやら件のマークは、異世界ではポピュラーではないらしい。血相を変えるアルに私は、ヘラリと笑ってみせた。


「いや、私を殺したいなら、絞め落とした直後とかめっちゃチャンスじゃん?なんで後回しにしたっつー」


「あ…ああ、まあそうだな」


戸惑いつつも、納得するアル。

ホント、クソ野郎は何がしたかったのやら…


「サアラ、」


低く、何かを決意したような声。


「ん?」


「しばらく俺から離れるな?そのマークの意味もわからないまま、おまえを一人にはできない」


心配性だなぁ、アルは。でも…


「うん…」


小さく頷いて、手をつなぐ。温かな手が何の躊躇いもなく握り返してくれた。

そんな寄り添って歩く二人の後ろ姿を、何者かが繁みに隠れてじっと見ていた。


◆◆◆


ウィリスに戻ると、司祭様をはじめとした方々が口々に「大丈夫かね」と声をかけてくれた。


「ライオネル王太子殿下が眠ってしまわれましてな。王子会談は仕切り直しですな」


「夕方頃にしますかの」


ああそうだった。王子会談直前に火竜が大暴れしたから、流れちゃったね。


「そうですね。条約締結は必須ですし」


にこやかに答えながら、頭の中で素早くこれからの段取りを組み立てる。会談の前に時間があるなら、個別に話をしておきたいかな。昨日は歓迎の宴で挨拶しかしていない人もたくさんいるし。私が続投できるなら、しっかり繋ぎを作っておきたい。


「あ!フリッツ!」


視界の端に友の姿を見つけ、私は大きく手を振った。


彼に頼んで、あの人とあの人を昼食に誘ってそれから…おっと、司祭様にも話をしないと。ウィリスに教会を建ててもらって、あと、宗派は違うかもしれないけど湖の傍に神殿を建てる相談をしたいんだよね。レダ曰く、昔はあそこにオンディーヌを祀る神殿があったらしいんだ。彼女の存在を維持するためには、祈りが必要なんだとか。


ふふ…やることいっぱいあるね。


「よ!サイラス。なんかノエルって女が司祭を火刑にするとか、朝から騒がしいんだが」


リチャードがそんな報告をくれた。


「監視つけといて。ターゲットの司祭様は、とりあえず別の宿に移そっか」


…司祭様は二人おいでになっている。

一人は、さっき悪魔のクソ野郎に光魔法を放った痩身の司祭様。もう一人は、でっぷりしてアクセサリーをジャラジャラぶら下げた中央教会の司祭様。ちなみに後者の方が、身分は高いらしいけど。お付き合いするなら、前者かな。でっぷり司祭様は、テキトーにおもてなししてお帰りいただこうと思っている。


「ま、今のところ《傀儡術》は使えないはずだから、何もできないと思うけど…」


ノエルには、セヴランに協力してもらってちょっとしたアクセサリー――結界魔法以外は発動できない魔道具――をつけさせてもらったのだ。なんのことはない、セヴランがナンパと見せかけて、こっそりドレスにくっつけた。よって、誰かを操るイタズラはできないはず。


「誰かぁ~、聖鳥様をお見かけしませんでしたかぁ~?」


「おい、なんか向こうで決闘がどうのとかいってるぜ」


人がたくさん集まってるからね。それだけトラブルもたくさんある。とりあえず決闘…止めよっかな。




忙しい日常が戻ってきた。


そのことにこんなにも安堵する自分に苦笑して。私はまたこの場所から再起する。まだまだこれからだ。この平和を維持しながら、父さんに金持ちの老後をプレゼントするんだからな!


◆◆◆


夜、アルと一緒にようやく自分の家に帰ってきた。昨日は永遠にお別れだと思っていたから、なんだか感慨深いね。

柔らかな灯りが灯る家を眺めていると、入口から父さんが出てきた。


「おかえり、サイラス」


穏やかに笑む父さんの腕に飛びこむ。目尻に皺を作り、父さんはよしよしと私の頭を撫でた。そこに、なんの忌避もない。


「ただいま」


まだ、私はここに帰ってきていいんだね。父さんの息子でいていいんだね。


「おまえたち、昨夜は寝ていないだろう?今日はもう休みなさい。残った仕事は私やオフィーリアでやっておくから」


私と、後ろにいるアルに向かって、父さんは優しく言った。


「クソアマはちゃんと牢にいれた。もう悪さはしないから大丈夫だよ」


…ペレアス王妃様が、こんっっなに穏やかで優しい父さんにもクソアマ認定されてる!穏やかに笑ってる父さんの目が一瞬殺気を帯びたのは気のせいかな…?




「はぁ~。ねぇアル、ペレアスってどうなると思う?」


階段を登りながら、私はため息を吐いた。


ペレアス王妃様を牢屋にぶちこんじゃったからね。国のトップにはもう彼女は戻れないだろう。辺境の牢屋から脱走して、自力で王都の宮殿に帰る……無理だわ。


「さあな。古参派が盛り返してまともになるんじゃないか?」


「そんなに上手くいくものかなぁ」


話していると、アルの部屋がある二階に来てしまった。


「じゃあアル、おやすみ」


私は三階の自室に…


「俺の部屋に来い。朝も言ったろ。一人になるな」


「え…」


グイと腕を引いて、アルは廊下をずんずん歩く。気がつくと、パタンと後ろで扉が閉まる音。


「《隔離》」


アルが部屋に魔法をかけた。


え?え?


「これで悪魔は入って来られない。安心しろ」


目を瞬く私に構わず、アルは羽織っていたジャケットを脱いでベッドサイドに掛け、シャツとズボンというラフな格好になった。


え…えっとぉ?


ここはアルに宛がわれた客室だ。当然ベッドは一つしかない。こういう場合は……


うん。私が床で寝る。アルはお客様だし。


「おい、何やってる」


「私、床で寝るね!」


ジャケットを脱いで丸めて、汚さないようにクラヴァットを敷いて枕カバー代わりにして…。いそいそと寝支度をしていると、気配が近づいてきた。


「?」


「サアラ、」


アルの腕が私を後ろから抱きこみ、引き寄せる。薄い布越しに感じる彼の熱と鼓動。これで何もわからないほど、鈍くはないけれど。


「アル…私、」


魔物だよ?


振り返って笑いかけると、彼は微かに瞠目した後、蕩けるように微笑んだ。


「ああ。構わない。『サアラ』だから」


彼の手が愛おしげに髪を梳き、吐息が耳を掠める。顎を掬われたかと思うと、唇が重なった。


「ん…」


触れるだけのキスをして、微笑み合う。


「おまえこそ、俺は『格上』だがいいのか?」


問う声は悪戯っぽく。私はニカッと笑い返した。


「簡単には取られないよ?やれるもんならやってみな?」


挑発的に緑玉の双眸を見上げ、彼の首に腕を回して引き寄せ、私から口づけた。


「アル…好きよ。ずっと言いたかったの」


素直な言葉がさらりと口から滑り出た。


…うん。今ならね、この恋を…アルとの未来を手に入れてやろうって、思えるんだ。私の途方もない、野望――


「サアラ、」


抱きしめられて、また唇が重なった。触れるだけじゃない。舌を絡め、呼吸を奪う貪欲なキス。「アル…」と、喘ぐように名を呼べば、ふわりと抱き上げられた。ベッドに降ろされ、首筋や胸元に口づけが落ちる。シャツのボタンを余裕のない手つきで外され、衣擦れの音の後に、ひやりとした外気が肌を撫でて。


「あっ…」


思わず両腕で隠したら、アルが微笑んだ。


「サアラ…綺麗だ」


「う…」


かあっと頬に熱が集まる。私の顔は今、林檎みたいに真っ赤じゃないかな。暗闇で見えていないといいんだけど。トクトクと胸が鳴る。


「愛している、サアラ」


いっぱいいっぱいの私にキスをして、アルの重みが降りてきた。甘い夜は、まだ始まったばかり――

建国~黎明~編、これにて完結です。明日から次章に入ります。綺麗に終わったッぽいけど、まだまだ続きますよ~

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