148 水底の宮殿へ
目を覚ますと、そこは今や見慣れた白亜の宮殿だった。
ああ…でも。
私、邪竜の姿のままだ。
完全に魔物になってしまったんだね。
湖に半ば沈めた竜の体躯。
火竜と取っ組み合いをしたせいで、あちこち鱗が剥がれて傷つき、自称『聖女』のオバチャンに攻撃された痕がクラゲに咬まれた痕のように残っている。ついでに葉っぱまみれだ。
うう~……全身が痛い。魔力も弱くなってる。あの高さから墜落して生きているのはさすが竜種、頑丈なんだろうけど。
大理石の露台に顎を乗せて横たわっていると、音もなく湖の女が現れた。寒々しいほどの美貌の娘――
そういや私、彼女の名前も知らないんだ。
「醜い姿だな。サアラよ」
私の顔の前に、無表情で女は座りこんだ。
「そこはカッコイイとか言ってよ…」
邪竜っつってもドラゴンなんだよ?ファンタジーの花形モンスターだ。『ゲーム』の設定か知らないけど、でっぷりした西洋風ドラゴンな火竜と違って、邪竜は細くて長~い東洋風ドラゴン。カッコイイ……たぶん。
女は微かに顔を顰めた。
「もう元には戻れぬ」
「アンタの穢れを被ったから?」
「そうだ」
「その割に、嬉しそうに見えないけど?」
言ってやると、女は忌々しげに顔を歪ませた。
図星かよ。なんだかな~。
「私は後悔していないよ。このざまだけど」
墜落するとき、アルはすっ飛んできた彼の飛竜が救出した。大丈夫、ちゃんと生きてる。やれるだけのことはした。最善を尽くしたよ。そんな私の心でも読んだのか、女が私の顔を覗き込んできた。
「しかし…心残りはあろう」
「意地悪なこと言うなぁ、もう」
苦笑して、女を見上げる。…いや、竜の顔で笑えたのかはすっごく怪しいけど。
やったことに悔いはないよ。でも…残してきた人達のことが気にならないかと問われれば、答は否だ。大切な人がたくさんいるから。
「これが最善だったんだよ」
あとはアルやエヴァたちがうまくやってくれたはず。魔の森を『封印の地』として監視し、各国が連携して護る――
ウィリスは戦争とは無縁の平和な土地になる。
私の願いは叶ったのだから。
「あの男のことは…?」
「だから意地悪言うなって」
アルとも…きっともう会えない。別々の人生を歩むんだ。考えたくないことを突きつけてくる女を、私は睨みつけた。
「己に嘘はつかぬ方がよいぞ」
「フン」
そっぽを向いて、また露台に顎を乗せる。ふて寝してやろうか。
「……。」
「……。」
黙って私を見つめる女。いなくなる様子はない。
私はため息を吐いて、もう一度女に顔を向けた。
「私、サイラス・ウィリス。子供の時、村が焼かれて死にかけてたところを父さんに拾われて、この名前を貰ったの」
唐突な自己紹介に、女は目をぱちくりさせた。お、そんな顔もするんだね。
「私はこの名前が好きだよ。ティナがくれた名前も好きだけど。どっちも大切なの」
女は何も言わない。
「私さ、アンタがずっと怖かったの。何考えてるかわからないし、怨念みたいって。でも……貴女も人間よね?」
ずーっと気になっていたことだ。
湖の――この女の正体。…怨念かもしれないけど、彼女のことも、思えば何も知らないんだ。バケモノになっちゃったし、いい機会だ。腹割って話そうよ。
「怨念……まあ、それが近いだろうな」
私の質問に、女は嘆息した。
「我はオンディーヌ。水の女王だ。清らかな存在だったのは、遥か昔の話だがな…。人間の願いを聞き届け、数多の魂を喰らった結果、呪いにより我は穢らわしき魔物に成り下がったのだ。人間かと問うたな?そう見えるのも当然だ。魂喰らいにより膨大な魔力を得ると同時に、魂の残滓が取り込まれた……この口調も、愚かな王の娘のものだ。我はそこらの人間より、よほど表情が豊であろうよ」
……それって、いわば多重人格だよね。
「アンタ、名前は?」
多重人格って、たしかそれぞれの人格に名前があるんだろ?今のアンタはその……王の娘?
「レダという」
「そっか。レダ、今更だけど、よろしくね」
その後、レダととりとめのないお喋りをたくさんした。彼女の『人間』の身の上話も。男が嫌いな理由もわかった。
最初から、こうして向き合えばよかったね。
話していてわかったんだ。レダ、寂しがり屋だ。本当に人間に興味がないなら、関わったりしない。人間が何をしようが無視する。けれど、父さんを始めとした契約者を通じてなんだかんだでレダは人間に関わっていた。森で迷った人間に道を教えてあげたり、ほんのちょっとの関わりだけど。だから……ティナの姿で私に纏わり付いてきたのかもしれない。実際に話してみれば、表情の変化が乏しいだけで、ずいぶん人間くさい……フツーの女性だ。
「おまえは異世界から来た魂か。どおりで毛色が違うと思った」
せっかくなので、『日本』の話をたくさんしてあげたら、レダは興味津々で耳を傾けていた。元・王女様だからか、議会制のことを話したらめっちゃ食いついた。ふと見た顔は、彼女にしては珍しく楽しそうだった。
◆◆◆
お喋りをしていたら、レダがふと思い出したように顔をあげた。
「そうだ…。アレのことをすっかり忘れていた」
……アレ??
「あぁ~……目にゴミが入ったのじゃ~…取れないのじゃ~」
なんかどっかで聞いた声だ。
「目にゴミがぁ~…痛いのじゃ~」
あと、ずっしんずっしん宮殿が揺れる揺れる。おい…。
火竜、ここにいるの?!
ギョッとして頭をもたげた私の目の前で、ビシビシピキピキと白亜の宮殿に皹が入り……
ガラガラガラ ズシャーン!!!
轟音と砂埃を舞上げて倒壊した。おおいっ!?
「目がいィ~た~い~の~じゃ~~!!」
砂埃の中から、テグスみたいな光魔法の糸で四枚の翼をグルグル巻きに固定され、短い両手をパタパタさせながらズシンズシン足踏みする………なんだか可哀想な火竜が姿を現した。
…レダさん、乙女は舌打ちしちゃダメだよ!
そして。
「ぐっすん。目のゴミを取ってくれよぅ。あと、矮小なる人間共がワシに悪戯して、翼をグルグル巻きにして飛べんのじゃ~。酷いぞな~」
すっかり被害者ヅラする火竜。
それを、
「その矮小なる人間とやらをおちょくり、舐めてかかるからだ。馬鹿者」
レダが一刀両断した。カッコイイね!もっとやれ。
……目の『ゴミ』については、とりあえず黙っておこう。彼氏の凶行のことは、胸に秘めて墓場まで持っていきマス。
「そこの竜!…誰だっけ?この女怖いぞな~」
「グルルル!(私に言うなよっ!)」
「女人二人が冷たいぞなーっ!」
ああ~。面倒くさくて迷惑なデブトカゲがここに…。地上は平和だろ~な~。
「サアラ!いるか!」
現実逃避してたら、幻聴が聞こえた。
「レダ、私疲れてるみたい。幻聴が聞こえる。昼寝しようかな」
「…幻聴ではないと思うぞ?」
うんざりした様子のレダの後ろから。
「いた!サアラ!!」
瓦礫を飛び越え、アルが姿を現した。
◆◆◆
アル…?え、本当にアルなの?
目を見開く私に駆け寄ったアルは、躊躇うことなく私に抱きつこうと…
「ガウウ!!(待ったぁ!私!体!瘴気!!)」
触ったら肌が焼け爛れちゃうよ!
「なっ?!どうして拒むんだ?!サアラ!」
「ガウーッ!ガウガウッ!(私、魔物ーッ!触るな危険!)」
私の拒絶を、アルは、私の体に縄目のように……それこそクラゲの咬み痕みたいな傷のせいだと思ったらしい。表情を険しくして、
「ペレアスのクソアマの仕業だな。わかっている。安心しろ、後で潰す…!」
「ガウゥ…(目ェ怖えよ、アル)」
あ……。
私、人語は喋れません。声帯が竜なもんで…。
レダとの会話も、傍目には私はガウガウ言ってるようにしか聞こえない。レダだから、会話になっていたのだ。アルには私の声は、ただの鳴き声にしか聞こえない。だから…
「ガウッ!ガウウ!!(バーカバーカ!)」
こんなこと言っても通じない。
「おまえ…今俺の悪口言ったろ」
「ガウッ?!(げっ!)」
…なんでわかった?!
狼狽える私に、アルはふと目許を和らげた。
「サアラ…」
ちっぽけな右手が、頬の鱗を撫でた。アル…手袋外してる。手の甲にある呪印がよく見える。今のところ、彼の手から煙が出ていたりはしない。呪印の効果かな?
ちっぽけだけど、アルの気配がする。光魔法使いのアルにくっつくことはできないけど、貴方の声が聞けて嬉し…
「目ェがぁい~た~いぃ~ぞぉ~な~!!」
…火竜がせっかくの雰囲気をぶち壊した。
しょ~がないなぁ、もう。
「ガウッ(取ってやるから。屈みな?)」
私の呼びかけに、ホイホイと身を屈める火竜だが。
「おい…おまえ。痛めつけた次は、擦り寄って甘えるのか?」
体勢を見たアルがなんか勘違いをしたっぽい。地を這うような声と殺気を帯びた緑玉の瞳が、巨大な竜を睨みあげた。
「目にゴミが入ったんじゃて~。竜の女人に優しく取ってもらうんじゃ~」
何度も言うけど、刺さっているのは剣であり、刺した犯人は目の前にいる。
「ガウッガウッ(ちょっと!くっつかないでよ!取りづらいじゃんか)」
眼球に深々と突き刺さっている剣の持ち手を慎重に口に咥えようとした、その時。
「そんなモノ、俺が抜いてやる!」
止める間もなく火竜の顔に駆け上がったアルが、
「フンッ!」
ブチッ!と、眼球から剣を力任せに引き抜いてしまった。うわぁ…痛そう。
「あ…アアッ!せっかく女人とイチャイチャする楽しみがぁ!」
あ…、全然大丈夫っぽい。見た目すんげぇエグいけど!目ん玉燃えてるし、血がダラダラ出てるんですが?!
「フン。取ってやったぞ。もう用はないな。帰れ」
アル…、君もブレないよね。
火竜だよ?絶対的強者だよ?命知らずにもほどがあるだろ!
「矮小なる人間は心も矮小よの~」
「あ゛あ゛?」
「な…なんでもないぞな~」
火竜の声がしぼんだ。あ、目ん玉に刺さってたのが剣だと気づいたのね。ご愁傷様。
と、その時。
火竜の目許から何かが光って零れ落ちた。
「ッと、」
アルが手でキャッチしたものは…
透明な光を湛えた、小さな涙型の石。
「『女神の涙』か。久方ぶりだな、それを見るのも」
「?!」
そこへ、レダがヒョイと顔を出した。そして、私の方を向く。
「おまえが使えば、体の傷もたちどころに癒えるだろうよ」
「ガウ?(そうなの?)」
た…確かにこの『女神の涙』は、竜の私から見たら砂粒並に小っさいけど、清廉な強い魔力を感じ取れる。
「もしかしたら、そなたの穢れも多少マシになるやもしれぬ。やってみなければわからぬが」
私は魔物だ。清廉な魔力が、闇属性の邪竜にどう作用するかはレダにもわからないらしい。
「アルフレッドとか言ったか。『女神の涙』は、いわゆる神から人間への勇気の褒章だ。おまえが好きに使えばいい」
レダはアルにその使用方法を委ねた。
後ろで火竜が「ワシ、勇気のダシにされた!ショックぅ~」とか言ってるけど、無視した。
「サアラ、もしかしたら人間に戻れるかもしれない。それに少なくともその傷は癒えるらしい」
アルが『女神の涙』を手に、私の前にやってきた。口の前に持ってきて「飲め」と差し出す。
「グルルル…」
「ほら、唸ってないで、」
…いや、私ね、ちょっと考えたんだ。
もし、『女神の涙』に清廉な魔力が含まれているとしたら、『邪竜』よりレダが飲んだ方がいいんじゃないか?だってほら、穢れは私が肩代わりしたんだし、彼女の中にある『呪い』が消せるかもしれないじゃないか。
「ほら、サアラ。グルグル言ってないで口を開けてくれ」
「グルルル…(私じゃなくてレダにあげてよ)」
「サアラ、イイ子だから…」
…だんだんアルが、私を子供扱いし始めた。違うっつーの!レダに使ってって言ってるのにもぉー。
「サ、ア、ラ、」
「ガウッ(もうっ!)」
何としてでもアルは私に『女神の涙』を飲ませたいらしい。気持ちはありがたいけどね。でも、それを使うのはレダの方がいい。きっと。
「ガウッガウッ(レダ、君が使いな)」
私が言えば、レダは目を瞬いた。これって、考えたこともないって顔だな。つまり、試す価値はあるのだ。よし。
「ガウッガウガウッ(レダ、『女神の涙』をアルから弾いて投げるから飲んじゃって)」
的に当てる――投擲には自信があります。私は口をこじ開けようとしていて、注意散漫になったアルの手を下から突いて、『女神の涙』を跳ね上げた。
「なっ?!サアラ?!」
驚くアルの頭上を、綺麗な放物線を描いて『女神の涙』は、立ち竦むレダの掌にポトリと落ちた。
「これを、妾が?」
迷うような眼差し。そこへアルが駆ける。
「ガウッ!(させるか!)」
ざばっと湖から這いだし、私はアルに飛びかかった。彼の身体に巻きつこうとするも、相手はあのアルフレッド。私が捕らえる前に素早くすり抜け乗り越え、レダへと駆ける。
「ガウーッ(レダ、飲んじゃえ!)」
「え…でも…」
躊躇うレダにあと数歩のところのアルをようやく捕まえる。
「くっ!サアラ!何故だっ」
蜷局の中に閉じこめられたアルが怒鳴る。力づくで這い出そうとしてるけど、甘いな。竜の筋力舐めんなよ?
「ガウゥ~(ほらアル、イイ子にして?)」
わざと甘ったるい(?)呻り声で蜷局に巻き込まれたアルに囁く。さっき子供扱いしてくれたお返しである。後ろで火竜が、「女人に巻きつかれるなんて羨ましいっ!ずるいぞなーっ」とか言ってるけど、無視した。
「くっそ、サアラ!うおおおっ!!」
アルが体を捻り、蜷局から抜け出そうと藻掻く。レダ、早く飲んじゃってよっ!アルに逃げられるゥ!
「ッしゃあ!抜けた!」
「ガウッ?!(ふぎゃあっ!)」
スポッとアルが私の中から脱出し、跳躍したその時、
「!」
ギュッと目を瞑ったレダがコクンと『女神の涙』を飲み込んだ。




