134 暗雲
「ふむ…。魔物なら操れると」
恐怖の追いかけっこから数日後。
いくつか実験して、ようやくフェリックスの傀儡術の正体がわかってきた。
人間相手にはまるで効かなかった傀儡術は、原野で捕まえてきた魔物相手ならちゃんと機能したばかりか、魔物を操って魔法まで使えた。スライムなら水魔法が使えたし、キラービーなら風魔法も使えた。弱い魔物なら、数体同時に操れる。
どうやら、彼の傀儡術は対魔物限定らしい。
とりあえず、術者であるフェリックスが意識さえ失わなければ、操り人形のように魔物を意のままに動かせることがわかった。
しかし、魔物でもワイバーンやグラートンのような強力な個体は支配できないし、意識のない状態で傀儡術を発動させてしまうと、本体であるフェリックスの意識が戻るか魔力切れになるまで自力で元に戻れないのが、難点と言えば難点だ。
これに関しては、メイドの提案で不器用な魔物でも使えるハンドサインを決めることにした。万が一のことがあっても、うっかり攻撃・駆除しない対策として。
そして。
「ゴーレムも動かせるんじゃない?」
使用人の提案から、フェリックスは訓練と称して、モルゲンの復旧工事を手伝わされることになった。器用なゴーレムが工事に加わったことで、復旧は急速に進み、春を間近にして市街地の八割ほどが以前の姿を取り戻しつつあった。
そう。春の浮かれた気分の中、すべてが順調に思えていた。
だから、その報せは衝撃的だった。
「ネーザルに賊?」
旧ベイリン支配域ネーザル領は、先にも言った通り、稀少な触媒『美姫』の産地である。しかし現状、高値で取引される商品の売り先は未だ定まらず、宙に浮いた状態である。辛うじて働く民の給金は出していたが、現地の倉庫には在庫が山積みされていた。そこを賊に襲われたのである。
「賊がモルゲン兵だと名乗った?!」
問題は、賊の正体だ。彼らはあろうことか、自身をモルゲン兵だと名乗ったらしい。
「被害は?倉庫だけなのですか?」
旅立ったサイラスに代わり、ヴィクターをはじめとしたウィリス・モルゲンの大人達が対応に追われている。
「それが、現地の村が一部焼かれたらしい。奇跡的に死人はでなかったが…」
聞けば、最初に村で火の手が上がり、村人たちが消火に勤しんでいるうちに倉庫が襲撃されたらしい。しかも賊は、倉庫襲撃後にわざわざ村人たちの前に姿を現し、自分たちはモルゲン兵だと名乗っている。明らかに作為的だ。
「モルゲン兵はこんな愚行に及ぶまい……わざわざ名乗ったことからして、恐らく」
「ネーザルの反モルゲン感情を煽ることが目的か」
厄介なことになった。倉庫の在庫を奪われ、村を焼かれ。しかし人手不足の今、ネーザルを護るために割ける兵力も財力もない。かと言って放置すれば、余計に反モルゲン感情を煽る。賊の思う壺だ。それに…
「犯人は内部の者。しかも、独立をよく思わない人間の可能性が高いですね」
ヴィクターの言葉に、会議室の面々は苦い顔をした。
そう。犯人は、ネーザルがモルゲンに吸収されたことはもちろん、鮮やかな手際から倉庫に『美姫』の在庫があることも知っていたのだろう。加えて、犯人は数十人の賊を従えている。実に厄介な相手だ。
「秘密裏にニミュエ領とエレインに人をやりましょうか。足がつきやすい商品ですし、売り先がわかれば…」
「その辺りは我らでやろう」
ヴィクターの提案をモルゲンの家臣の一人が請け負う。
「後は…現地をどうフォローするかだが…」
「下手を打てば余計、拗れるでしょうね」
アーロンは、ネーザルを手厚く遇していた。それが支配者が変わった途端、『美姫』が売れなくなり給金が下がったとなれば、現地の民に不満が燻り始めるのは当然だった。金のなる木は、それ故に火種にもなり得るのだ。
「サイラス殿もオフィーリア様も不在か。ますます付けいられたとしか思えん」
「しかし、数十人もの賊など…。いったいどこから湧いたのだ」
推測するに、賊の正体は戦闘経験のあるプロだ。しかし、ベイリンの正規兵はカリスタたちが領内数ヶ所の拠点に纏めて管理している。ネーザル付近にはいないはずだ。つまり、賊の正体はベイリン兵ではない可能性が高い。かと言って賊の正体が夜盗なら、自分たちがモルゲン兵だと名乗ったりはしないだろう。
会議室に重苦しい沈黙が落ちる。
「私が行こっか」
手を挙げたのは、ウィリスに滞在中の王女イヴァンジェリンだった。
「王族の慰問にどれだけ効果があるかはわからないけど。行かないよりはいいよね?」
◆◆◆
「財貨のことはご安心下さいませ。既に手は打ってございます」
ペレアス王国南部。
昨夜到着した元侍女は主にそう告げた。
「ふふ。でもどうして私が存命だとわかったの?」
自室でゆったりと紅茶を飲みながら、銀朱の髪の少女――ノエルは無邪気に問いかけた。
「影どもの様子を見ましたら」
「あら、そう」
ベイリンが戦に負け、フェリックスたちが捕まった時。元侍女が真っ先にやったことは、影ども――ノエル所有の奴隷を隠すことだった。奴隷には、ノエルの魔法で奴隷紋を捺してある。
奴隷紋は、主が魔法を解くか死ぬかしないと消えない。
ペレアス王国では、奴隷には隷属の首輪という魔道具を嵌めるのが主流で、奴隷紋は他人への譲渡ができないことと、特に愛玩用奴隷の見た目を損なう等の理由からあまり好まれない。
一方、隠密・暗殺に使うには専ら奴隷紋の方が便利と言われている。隷属の首輪は、一目で奴隷だと知れてしまうからだ。
元侍女は、幻惑魔法で主の姿を写し取り、隠しておいた奴隷たちにネーザルの『美姫』の倉庫を襲い、自分たちはモルゲン兵だと名乗るよう命じた。奪った商品は、国内で手広く高利貸しをしている商人の手に渡っているという。つまり、件の高利貸しの支店から代金を受け取ることが可能なのだ。
「名義はお嬢様にしてございます。簒奪者どもは、王国が怖くてコソコソと独立したことを隠し立てておりますので」
「まあ」
なるほど。すべてが順調というわけでもないようだ。ノエルは満足げに微笑みながら、馳せ参じた元侍女を盗み見た。
新しい白いブラウスに、暗い中ではわかりづらいが光沢のある濃紺のワンピース――ビロードね。首から服の下に消えている鎖の下には宝石でも隠しているのかしら?侍女風情が着るには、なかなか上等な服地だこと。
つまり、そういうことなのね?
利の一部を自分のポケットに…
「ここへは貴女一人で?女一人なんて無用心じゃないかしら?」
試しに聞いてみただけだったのだが。
返ってきた台詞はノエルの予想の斜め上をいくものだった。
「私はっ!憎きモルゲンに降るなど御免なのです!お嬢様が…ベイリンが生き返るためなら、一人旅が何だというのでしょう」
元侍女の瞳は先ほどとは打って変わって熱く、声にも力がこもっている。身を乗り出した拍子に、襟元から鎖の先にあるものが見えて、ノエルは拍子抜けした。なぁんだ、正教会の掲げる女神像じゃない。庶民がよく御守りに持っているやつだ。そんなノエルの内心も知らず、元侍女は勢いこむ。
「お嬢様は王太子殿下と親しいのでしょう?この理不尽を王国に訴え、悪しき輩を誅伐して下さいませ!」
(つまり、ただの復讐)
ならば、この女は安心して使える。ノエルは傍目には慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。彼女を見て、素晴らしいことを思いついたのだ。
ふふ…。簡単なことじゃない!売り払えばいいのよ!
取り戻したと思った金のなる木がないとわかったら、あの女…どんな顔をするかしら!
◆◆◆
その頃王都では。
王妃が愛用の地図を広げてほくそ笑んでいた。
地図上の一点に紅いピンを刺して。
「王都から馬車で十日、且つ、メドラウドからもほど近い地点…。やっぱりここだわ」
ニヤリと笑う。
ゲームのナレーションを細かく覚えていてよかった。魔改造手回し洗濯機の出所と、ゲームで示された『条件』が一致する。つまり…
アルフレッドルートのモブ、サイラス・ウィリスの故郷。そして、ヒロインがラスボスと対決する地――
「ウィリス村、魔の森…」
悪役王女もそこにいる。
ゴム製パッキンなど、転生者でなければまず思いつかない代物だ。王宮から逃げ出して、ゲームの知識を頼りにモブの故郷に身を寄せ、前世の知識を使ってひと財産築こうとしたのだろう。まさか開発したモノが、自分のところに献上されるとは、思いもつかなかったのだろうが。
「ちょうどいいわ。ラスボス討伐と断罪を同時にやってしまえばいいのよ」
クククッと喉を鳴らす。
それに先ほど、面白い情報が入ってきた。
「モルゲンがベイリンを降して吸収、独立なんてねぇ…」
モブのサイラス・ウィリスは、故郷の村を戦で焼かれた。ならば…
「ライオネルを討伐に行かせましょう。いいじゃない?役者も揃うわ」
王宮に王妃の高笑いがこだました。




