132 親書 侵蝕 彼シャツ?!
「ところで、帝国皇帝から手紙って…」
手回し洗濯機手作りしてたら、昼近くになってしまった。遠くでアナベル様がまたもや火おこしを始め、ギャラリーが集まりだした。アナベル様…サバイバル能力を確実に身につけておられる――こないだ初めて飛んでいるカルガーモを射落としてガッツポーズして…以下略。
「あ…ああ。親書が届いたんだぁ。謁見に来いってさ」
「謁見?帝国の皇宮に?」
「じゃない?リアちゃんは飛竜を借りれないかアル君に話しに行ったよ」
帝都は馬車を使うと、ひと月じゃ辿り着けない…季節によってはふた月近くかかるくらい遠い。
「ここは私が残るし、今までだってひと月くらい留守にしたって大丈夫だったし…」
ウィリスのことは心配しないでいいと言いながら、エヴァの声は暗い。
「皇帝はパッと見は名君なんだけどぉ…」
あくまでも『ゲーム』ではね、と前置きして、エヴァは声を潜めた。
「嗜虐趣味もある冷酷キャラだから、気をつけて」
「…ヤバい人ってこと?」
尋ね返す私に、エヴァは珍しく困ったように眉を下げた。
「う…ん、実際会ったことないから、人となりはわからないんだぁ。私、外交に首を突っ込む前にママンといろいろあったからさぁ」
そう言って、アル君を連れていきな、と不服そうに助言をくれたのだった。
◆◆◆
お昼時。私は一人で魔の森の中にいた。
「ティナ、近くに誰もいない?」
「大丈夫~。誰もいないよー」
ティナに確認を取ってから、私は服を脱いだ。
ここは、森の奥にある小さな泉。
持ってきた盥に水を汲んで魔法でお湯を作り、頭からそれを被った。
「ふぅ…」
竜化した腕を見られないために、私は村の皆が食事をしている時間に、森の奥で水浴びをしている。持ってきた石鹸を泡立て、丁寧に髪や身体の汚れを落とす。
「また…広がってる」
左腕だけだった鱗は、今や背中は肩甲骨の辺りまで覆い尽くし、左胸も半分くらい侵食してきている。
確実に、『その時』は近づいているのだろう。
それまでに…なんとか。
この国を安定させて、ちょっとやそっとじゃ揺らがない平和を手に入れる――
「帝国…」
今、私が胸の内にしまっている考えを実行するには、かの国も巻き込んだ方がいいだろう。身体の泡を洗い落としながら、私はまだ見ぬ帝国に思いを馳せた。
◆◆◆
「この先が、魔の森…」
松葉杖をつきながらやってきた森の入口で。
私――イヴァンジェリンは薄暗い森を見つめて呟いた。『ゲーム』でも、不気味な森の背景スチルは出てきた。
そして――
(あの湖も、きっとこの森にある)
アルフレッドルートの回想シーン。
彼がサイラスを手にかけたと告白する場面。テキスト枠の後ろに、睡蓮咲き誇る美しい湖の背景――
(勘だけど、たぶんサイラス君の死にあの場所が関わっている…!)
正直、この不気味な森に脚の悪い自分が一人で入るのは勇気がいる。けれど、ウィリス村の人たちは、口を揃えて余所者は森に入るなと言う。魔物がいるから、と。けど、あの口ぶりからして、それだけじゃないと思う。この森には、何か――
怖いは怖い。
でも、いつまでも迷っているわけにはいかない。
(大丈夫。私には魔法がある)
私は意を決して、薄暗い獣道へと足を踏み出した。
魔の森は、想像していたよりちゃんとした道があった。獣道だけど、少なくともサバイバルナイフで立ちはだかる植物を薙ぎ払いながらでないと進めないジャングルではなかった。松葉杖でもなんとか進める。よかった…。
ただ、魔物なり魔草なりが生息しているらしく、大なり小なりざわざわとした気配は消えないし、やたらひんやりする。
「ッきゃあぁ!」
ブーンと飛んで来た野球ボール大の甲虫に思わずしゃがみこむ。コン、と結界に弾かれた甲虫――カナブーンはブンブンと旋回して、やがて遠くへ飛んでいった。
「うう…虫がいっぱ~い…」
結界で完全防御しているとはいえ、嫌なモノは嫌だ。あっちいけ!ちょっと前に出くわしたクマっぽいヤツの方がまだマシだ。ちなみに、そのクマっぽいヤツは、飛びかかってきたので《風刃》でサクッとやっつけた。
虫に怯えながら、小一時間ほど森の道を歩くと、不意に視界が開けた。膝くらいの高さ一面に涸れた草が生えている。その向こうに、凪いだ水面が仄見えた。
「あれってもしかして…!」
枯れた草っ原を結界を纏ったまま駆けて…
「見つけた…!スチルの湖!」
◆◆◆
そこは見とれるような美しい湖だった。
澄んだ水面に薄紅色の睡蓮がいくつも花を開き、幻想的な美しさを湛えていた。ただ…妙に寒々しい。そして、言いようもない不安な気配がする。何…ここ?
湖の二メートルほど手前で立ち竦み、イヴァンジェリンはじっと感覚を研ぎ澄ませた。
……いる。確かに、ここに何かが。
何だろう…。
邪竜?それとも精霊とか?まさか…幽霊?
オイデ…
「ッ!」
ぞわりと肌を撫でた冷気に後ずさる。今…!
オイデ…マニ、アイサレタコ…
崩れるように結界が霧散する。
脳に直接声が呼びかけてくる。
意図せず足が勝手に歩きだす。
「!!」
何…これ。私、引き寄せられてる!?
背を冷や汗が伝う。
これはよくない!すっごくよくない!
必死に松葉杖で地面を押さえて、言うことを聞かない脚を抑える。
ホラ…イイコダカラ、コッチニオイデ…
尚も声が誘う。冷気が強く…
「危ないよ」
トン、と肩に置かれた手にビクリとして振り返ると…
「一人で、森に入ってはいけないよ」
落ち着いた声でゆっくりと諭された。空色の凪いだ瞳がこちらを見つめている。
「帰ろう」
水浴びでもしていたのだろうか。茶色の髪はしっとりと濡れ、ぽたりぽたりと水滴が落ちて。
「あ…」
左腕だけじゃない。シャツから仄見える胸まで鱗が――
もう、時間がない。
◆◆◆
森にこっそり入ったエヴァを回収し、家に戻るとアルが部屋を訪れた。
「帝国へ行くんだろう。俺も同行する」
「ありがとう。頼もしいよ」
礼を言うと、彼は抱えていた包みを私に押しつけた。
「使え。服、買ってないだろ」
どうやら包みの中身は服らしい。了解を取って紐を解くと、現れたのは漆黒の地に銀糸で品良く刺繍が施されたジャケットだった。揃いのシャツやクラヴァット、ズボンに紺青のサファイアをあしらったタイピンまで…!
「これ…!」
目を見開く私に、アルは居心地悪そうに目を逸らしボソッと、「昔着てたやつだ」と教えてくれた。
と、いうことはこれって…
「はぅ!彼シャツ?!」
なっ!前世ではまるで縁がなかったファッションがここに…!
私は感動のあまり、アルのお古をギュウッと抱きしめた。男装に初めてときめいたっ!
「これをアルだと思って頑張るよッ!」
「…いや、俺も行くからな?」
「大事に着る!絶対洗わない!」
「…いや、汚れたら洗えよ?」
アルは苦笑して、私の髪をわしゃわしゃとかき混ぜた。誰も見ていない…なら、少しくらいいいかな…つま先立ちになって、彼の唇に軽く唇を触れさせた。
「ッ?!」
見上げたアルの顔がみるみる赤くなって、思わず笑ってしまった。驚いた顔は、子供の時の彼を彷彿とさせて、なんだか可愛かった。
◆◆◆
ベイリンの屋敷からはるばるここまで馬を走らせてきた侍女からの衝撃的な報告――
父がモルゲンに戦を仕掛けたが、返り討ちに遭い、モルゲンは独立。既にメドラウドをはじめ、ニミュエなどの古参派とも結んでいるという。しかも、不毛の地と名高いバレン領の火山灰を金貨に変えたとか。
悲しくはなかった。もとより、父はノエルが疵物になるやあっさり捨てた。ノエルは駒。愛は無い。
けれど。
面白くない。実に面白くない。
しかも、ノエルの実家は跡形もなく取り壊されたという。屋敷にこの侍女が残ってくれていて本当に良かったと言える。ノエルは、侍女を労い、とりあえず城内の客室を宛がった。
ベイリンは宿敵モルゲンの手に落ちた。兄二人は国外にいるので無事だろうが、呼び戻したところで役に立つか…
そこでふと思い出した。
「フェリックスは?あの子はどうしたのかしら?」
弟は、兄二人と違って魔法の素質があった。今ここにある紅い宝石も、もともとは弟の――
◆◆◆
一方、同じ城内にいるライオネルは…
「この手紙はゲッティモーノ公爵夫人に…」
日がな一日、手紙を書く作業に明け暮れていた。
何を隠そう、金を貸してくれとド直球な内容の。それを母である王妃をはじめ、名前を知っている貴族に片っ端から書いては出していたのである。無論、バカ王子が貴族らしく婉曲表現で盛った、あるいは宗教を盾にした立派な手紙など書けるわけがない。それはもう、一枚目など「金がない、困ってる、貸してくれ」としか書いてない。王太子のバカッぷりを舐めてはいけない。
しかし…
「ん?具体的何フロリン貸してくれと書いてないとダメではないか!」
…一応、バカ王子にも学習能力はある。
そんなわけで、何十枚と書く内に、手紙の内容はより具体的に、より南部の窮状を訴える物に変わっていったのである。
念のため付け加えておくが、これは決して美談ではない。為政者たる者、自領の弱みと窮状を明かす者は選ばねばならない。ライオネルは、王妃派だけではなく古参派のニミュエにまで手紙を送ってしまったのだ。




