129 役者たちは
グワルフの王子様から巻きあげた金貨を、私はすぐにベイリンに持ち帰った。
「ま…ギリギリ足りないくらいかぁ」
カモ被害で壊滅的な打撃を受けた牧場を優先に金貨を配り、お針子さんたちの給金はウィリスから用立てた。
王都の商館とはいえ、金貨を何千枚も備蓄してなどいない。基本、商人の世界は証文――為替が使われている。店に置いている現金…つまり小口出納用の金は、千あれば良い方だと思うよ。それを見越して吹っ掛けたんだけどね。
「悪いけど、契約してきちゃったから、在庫を使い切るまでダウンコートは作り続けてくれる?」
「わかりました!」
「魔法が使える子がいれば、分担して作業が早くなるわ」
「無理はしないでね」
作業場の彼女たちに声をかけて、私はようやくウィリスに帰る目処がついたのだった。
このダウンコートが、グワルフとの重要な交易品になるのはもう少し後の話。
◆◆◆
サイラスたちが危機を一つ乗りきった頃。
遥か彼方、ペレアス王国の南部に、ライオネルは留まっていた。
彼が南部にいる理由――それは、冬だから。
冬は、戦争はもとより経済活動のほとんどが休止する。理由は、一部の街道が雪や氷に閉ざされ不通となってしまうこと、そして屋外での防寒が十分にできない――野宿で凍死するリスクがうなぎ登りだからだ。野営をしたり、不十分な装備での行商は死に飛び込むに等しい。
そして――
ライオネルはパチパチと爆ぜる暖炉の薪をじっと見つめていた。思い出すのは、たまたま話しかけた老爺の言葉――
「まあ…戦があると人間が減るからな。食糧も薪も余るのは当然だ。多くを少なきで分けあうんだ…豊かになったと勘違いする奴だっているだろうよ。けど…問題はその後だ」
「働き手の男が減りゃあ、生産量も落ちる。しかも、戦で蓄えは使い切っちまってる。冬は何とかしのげても、春からはそうはいかねぇ」
老爺は、ライオネルにああしろこうしろとは言わなかった。けれど、確かにそれは『警告』だと思えた。
ライオネルが見る限り、民の表情は明るい。未来に悲壮感を抱いているようには見えない。
やはり…杞憂なのではないか?
しかし…確かに、この地の人間は減った。ノエルの発案で炊き出しを行っているが、並んでいるのは、女子供や老人が目立つ。働き手たる男の姿も見られるのだが、全体から見たら数が少ない。
ライオネルたちの率いた戦は、国の財源たる鉱山を反逆者から取り戻すためのものであった。
しかし…
鉱山から銀を採掘してくるのはいったい誰なのか。
自分たちが戦い、斬り捨てたのは、ただの『反乱軍』だったのか。
彼らは『反乱軍』の前に『何』だったのか。
考えると、一つの推測に辿り着く。
彼らは、『反乱軍』であり『働き手の男』――『鉱夫』ではなかったのか、と。
そうだとしたら。
働き手が少なくなれば、採掘量も減るに決まっている。バカ王子でもそれくらいはわかる。採掘量が減れば、当然得られる金も減る。つまり、将来の領主の収入も、減る。
「このまま、炊き出しを続けて大丈夫なのか?」
恋人のノエルは、戦が終わるや、武器を売って食糧や薪を買い集めた。彼女の論は、単純明快。戦が終わって武器は不要になった。しかし、冬を前に食糧と薪は必須。南部は農耕に適さず、食糧は専ら余所から買い入れている。彼女の横で金のやり取りを見ていたが、王太子たるライオネルから見ても、それは大金だった。
皮肉なことだ。ライオネルは十重二十重に守られていた王宮から外に出てようやく、自覚したのだ。人の上に立つ真の重みとリスクを。
南部には、頼れる政治経験豊富な貴族はいない。ライオネルが王太子で、政を切り盛りする男のトップなのだ。すべての責がライオネルにある。加えて何の偶然か街を見て、たまたまだが厳しい状況を感じている民の話を聞いた。
やっと、現実が見えたのだ。
恋人は、買った食糧で毎日のように炊き出しを行っている。曰く、戦で荒んだ民を慰撫するためと。
しかし…
あのように大量に使い続けて、春まで保つのか?
もし万が一、食糧が尽きたらどうなる?
そもそも、春になったら食糧問題は解決するのか?
食糧が尽きたとき、炊き出しに並ぶ大勢の民は、どのような顔を俺たちに向けるだろう?
彼らは……大半が女子供に老人だが、列の長さを見る限り、その数は軽く何百はいる。だが、これは南部の一部の民でしかない。とすれば、全体なら何千人…
引き比べて、俺たちは何人いる?
手勢まで合わせても百いるかいないかだ。各地から派遣された軍隊は、戦が終わると帰ってしまったから。
何千と百数人――
仮に何千の大半が非戦闘員であっても、歯向かわれたら、俺たちは勝てるのか?
そもそも俺たちには、戦う武器がない。全くないわけではないが、大半を売ってしまったから。一度引き上げた軍隊は、そう簡単には戻ってこない。自分たちだって、何日もかけてここまで来たのに、他の人間が呼んですぐに来られるはずもない。
そんな状況で……
いつまで炊き出しを続けるんだ?
未来の見通しもあやふやなのに。
ライオネルはガバッと立ちあがった。
◆◆◆
ウィリス村。
目立たないが、しっかりした造りの箱馬車が数人の護衛を連れて、跳ね橋を渡ってきた。
箱馬車から護衛の手を借りて降りたったのは…
「え?アナベル様?!」
「うおっ?!巨乳のライバル令嬢?!」
…約一名の失礼な呼称は無視された。
「ご機嫌よう、皆様」
陽光のような金髪を町娘風に編んだ美貌の娘――アナベル・フォン・ニミュエ公爵令嬢は、美しいカーテシーを披露し、淡く微笑んだ。
「え?しばらくここに?」
突然の来訪に、慌てて応接室に通して話を聞けば。
「ええ。病気療養中、という名目でしばらくご厄介になります」
ニコニコとアナベルはそんなことを言った。
「春からの学園はどうなさいますの?」
「退学いたしました」
「「はいぃ?!」」
……転生者二人の声が被った。
当人の説明によれば。
学園での刺客騒ぎから魔物侵入事件、さらには裏手の森からのグワルフ奇襲とドラゴンの出現により、これ以上の在学は危険と判断したという。
「危険ってぇ…今更じゃな~い?」
エヴァが呆れたとばかりに言う。
「王太子妃ですから、そう簡単に逃げちゃいけないのよ。でも、これだけ度重なると退学に文句はつけられないわ。それに、退学しているのは私だけじゃないもの」
多くの貴族子女が、特にグワルフ奇襲を発端に退学したという。それもそうか。グワルフの王都奇襲作戦は失敗したとはいえ、敵国が魔法学園を狙ったのは事実。さらに、直後に南部鎮圧に兵を派遣したなら、在学に不安を覚えても仕方がないだろう。もともと、大したこと教わってる感じはしなかったし。
「きっかけは王妃殿下からの要請なんですけれど」
「要請??」
「春からは学園に通うように、と」
「あー……」
エヴァが頭痛を堪えるような顔をした。
「?」
疑問符をとばす私に、エヴァがコソコソと耳打ちする。
「アナベルってぇ、攻略対象の婚約者で巨乳美女なライバル令嬢なの。ママン……悪役王女の代わりにライバル令嬢でも宛がおうとしたのかな」
ま、てことは、私の脱走には気づいたけど行方を掴めていないんだね。ざまあ?
と、エヴァは笑った。
ちなみに、物語上ではアナベル様はヒロインと対立した挙げ句に失脚。最後にヒロインと攻略対象の仲を認めて王都を去るらしい。…はぁ。
「ところで…そちらの方は?」
アナベル様がエヴァを見てきょとんとする。
ああ、地毛だし髪短いし気づかないか。
「えーっとぉ?お久しぶり…のはず。イヴァンジェリン・バディ・ペレアスよぉ?」
鬘、持ってくる?、と悪戯っぽく笑うエヴァに、ようやく気づいたアナベル様は目を大きくして驚いていた。




