112 邂逅
アーロンのまわりには恐らく、多くの護衛が配されているだろう。敵の頭を叩く、と言ったって、私一人で手練れの護衛を何人も正面突破できるとは思えない。
私、ギデオン様みたいに無双できないし。
剣の腕だって、アルやベテランの兵士に比べれば劣る。
私が強いのは対魔物戦であって、対人戦は不得手なのだ。
なら魔法で戦うかだけど、アーロンが部屋に魔封じを仕掛けている可能性も高い。だから――
「もう効いたかな…《分身》!」
走りながら詠唱すると、真横に私のそっくりさん……分身が姿を現した。エリンギマンAGに頼んだ二つ目の薬が、この分身を作り出すもの。これも時間が経てば、分身は自然消滅する。
「「……。」」
ただ…。
何で分身はキノコゴブリンにならないんだろう。
…別にいいけどさ。しかも左腕がちゃんと人間の肌……これって嫌味か?
何より…
「なんで全裸?!」
分身、服着てない。
「…あんの、クソエリンギ」
絶対、わざとでしょ!
アイツ…微塵切りにしてハンバーグのタネにでも入れてやろうか…。
さすがにこのままにするわけにはいかない。私は、フリフリヒラヒラなネグリジェを脱いで、分身に渡した。一応、胸元はレースが盛ってあって凹凸もまあ…なんとか…
……拘るのはやめよう。
うん…本体の私がちゃんと透けないアンダードレス着てるし、護られるモンは護られてる。たぶん恐らくきっと…
……。
……。
ともかく、私の分身には敵を引きつけてもらう。言わば囮だ。もう目的の部屋はすぐそこ。よし…
「《雷撃》!」
分身の私が、部屋の手前に派手に魔法攻撃を放つ。
…爆風でネグリジェのスカートが思いっきりめくれたけど、見なかったことにした。
本体の私は、近くの物陰……具体的にはカーテンの中に隠れ、気配を殺した。すると、間もなくして爆音を聞きつけた兵士たちが「いたぞ!」とか言いながら、隠れたカーテンの前を走って行った。
ちなみに分身は、脱走すると見せかけるため出口へと走らせている。生け捕りって面倒くさいからね。人海戦術ありきの大捕物になってくれれば、この部屋の周りは手薄になる。
そろそろと、私はカーテンから忍び出た。
ちょうど最初の薬の効果が切れて、元の姿に戻っている。よく知った屋敷の廊下、静かに無骨な短剣を構えて音もなく駆け、私は領主の執務室の扉を蹴破った。
「アーロン!覚悟ォ!!」
運悪く扉の前にいた兵士の身体を踏みつけ、私は執務机にいる銀髪の男目がけて飛びかかった。
◆◆◆
その頃。
サイラスの分身は本体の狙い通り、多くの兵士を引きつけていた。
「おいっ!裸ネグリジェの女の子が走ってるってよ!」
…兵士というより、スケベ心丸出しな野次馬が群がっていた、と言う方が正しいが。
「めっちゃカワイイ子じゃん!」
「俺蹴られたいっ!」
「ラッキースケベの神サマぁ!」
後から後から追いかけっこに参加する野郎ども。大捕物というより、もはやエンターテイメント。
……。
……。
知らぬが仏、である。
◆◆◆
「やあ…サイラス君」
私の凶行を止めたのは、メイドのお仕着せを着た女の子。何の防具も着けず、両腕を広げて通せんぼのポーズを取った彼女は、素早く私の手を捕らえたかと思うと、短剣の切っ先をぴたりと己の首に当てた。つぅ…と、白い首筋に血玉が浮き、滴ったそれがお仕着せの白いブラウスに滲んだ。焦って短剣を引こうとしたけど、凄い力で彼女はそれを阻んだ。
「なっ!」
「私は…」
とても儚げな笑みを浮かべて、お仕着せの女の子は言った。
「あの人の遺志を継ぐんだもの…」
私は短剣を構えたまま、彼女を挟んでアーロンと睨みつけた。
「…アンタ、彼女に何をした!」
明らかにおかしいのだ。
鍛えてもいない細腕の女の子が、私を力で押さえつけるなんて。身体だって全くブレていないんだよ、彼女。
しかし、アーロンは「おやおや」と芝居がかった仕草で眉をあげてみせた。
「まるで己こそは正義、とでも言いたげですねぇ」
「なにィ…?」
低い声で問う私に、アーロンは憐れむような視線を向けた。
「彼女は、貴女が雷撃で殺した兵士の遺族ですよ?」
「?!」
絶句する私に、アーロンは淡々と話を続けた。
「夫を喪ったのは、何も彼女だけではありませんよ。他にも大勢…」
彼の言葉を合図に、部屋のあちこちから年齢もさまざまなメイド姿の女性たちが姿を現し、幾本もの細腕が絡みつき、私の身体を押さえる。彼女たちも力加減がおかしい。
「この戦争を終わらせるため、彼女たちは進んで我が力を受け入れましたよ。抵抗は諦めなさい」
「くっ!」
アーロンが何か仕込んでいるからか力は強いけど、絶対身体に無理な負荷がかかってる。さらに私が無理矢理にでも拘束を抜けようとすれば、簡単に彼女たちの細い身体を折ってしまいそうだ。
クソッ!振り払えない!
あと少し…あと少しでこの戦に決着をつけられると思うのにっ!
ギリギリと剣を握る手が震える。
本当は、目の前にいる彼女も、他の女性も斬り捨てて、アーロンを叩くべきなんだ。でも…
「フフッ…やはり貴女は優しい」
目の前の男は、穏やかな笑みを口元にのせた。
「貴女は命令されて仕方なく戦ったのです。故に貴女は断罪されはしない。しかし、償う必要はある…そう思いませんか?」
まるで私の心の奥底まで覗き込むように、アーロンは言った。
「優しい貴女なら、遺された彼女たちを救いたいでしょう…そして、貴女にはそれができる」
頼る夫もおらず、路頭に迷う彼女たちにしかるべき職を与え、その後の人生を保障することが。
「私は、話し合おうと提案しているのですよ。対話をしましょう」
それはあまりに巫山戯た提案だった。
手を出しておいて…
この悲惨な戦争を仕掛けておいて…
「ふざけるなっ!アンタがモルゲンを襲わなきゃ」
「ええ…そのつもりでしたよ?」
「なっ…んだって?!」
当然とばかりの返答に、私は面食らった。
「ダライアスは叛逆行為を行った。私はそれを窘めた。がしかし、彼は聞き入れなかった」
流れるようにアーロンは説明した。
「故に、仕方なく実力行使に出た。しかし、私は配慮しましたよ?最も犠牲者を出さない配慮を。無論、虐殺や略奪には厳罰を科すと兵士には前もって命じておきましたから、実際にあの場で殺された者はほぼいなかった」
「嘘だ!」
叫びながらも、内なる皮肉屋の『私』は「確かに」などと相槌を打っている。だって…アーロンは確かに、逃げ遅れた市民を見せしめに殺したりはしなかったみたいだから。
「そして、その後も私はウィリスが太刀打ちできないのが明らかな大軍を送りました。無謀な戦いを防ぐために。しかしその配慮をわからず、無謀を仕掛けたのは他ならぬモルゲンだ」
…ッ、惑わされるな。
奴は私の心の弱さにつけ込もうとしている。責任を逃れたいと、もう楽になりたいと喚くダメな私を取り込もうとしているのだ。
「私の意志は、聡い貴女には伝わっていると思っていたのだがね」
さも残念そうに眉を伏せる男を今すぐにでも叩き斬ってやりたい。でもそのためには、立ちはだかる女の子を殺さなきゃいけない。バクバクと心臓が暴れるのは、焦りかそれとも動揺故か…
何やってるの?汚い仕事を引き受けるのも、上に立つ者の役目じゃない。
私の内にいる『私』が、「意気地なし」と他人事みたいにせせら笑う。
わかってるさ…この手を汚さずにコトが解決するわけないんだ。みんな幸せに…そんなの幻想なんだよ。
戦争すれば人が死ぬ。遺族が悲しむ。でも、戦わなきゃ、私の大切な人たちがいる村が喰われるんだ。護るために…、私は…!
「泣かないで」
鈴を振るような声に、ハッと我にかえった。
私の短剣を首筋に当てたまま、メイド姿の女の子が微笑んだ。まるで、聖母のように慈愛に満ちた微笑み――
「貴女は人間だわ。ちゃんと人のために泣けるもの…バケモノじゃない」
「!!」
温かな手が頬を撫でた。
「貴女も私たちと同じ…被害者だもの」
カラン、と乾いた音をたてて、短剣が床に転がり落ちた。
◆◆◆
分身のサイラスは、大勢のファン(?)を引き連れて、階下へとピッチ走法で走っていた。ストライド走法にしないのは、たぶん本体の意思を反映してだろう。
彼女の駆ける先に、新たな走者(?)の姿が見えた。大変斬新な走法――蟹走りしていた魔術師は、分身サイラスを見つけるや…
「《紅蓮の災禍》」
まるで意志を持った焔の塊が、分身サイラスの身体を一瞬で呑み込んだ。その残骸――真っ黒に焼けてブスブスと気化し始めた人型を踏みつけて、かの魔術師はニヤリと嗤った。




