111 反撃の開始
それは、奇しくも同じ日となった――
夜明け前の時刻。ウィリス村の『壁』に、ロシナンテ傭兵団の工兵部隊が組み上げた橋桁が渡された。橋桁は壁の頂で途切れている。
数人の村人が先陣とばかり橋桁を駆け上がり、『壁』の向こう側へ飛び降りた。風魔法を仕込んだ魔道具で、無事七、八メートル下の地面に着地した村人は、素早く配置につくと…
「《結界》!」
自らの頭上にうっすらと色のついた結界を発動させた。そして、
「進めーー!!!」
勇ましい掛け声とともに、かの橋桁を騎乗した兵が駆け上り、結界の上を通って次々に原野へと降りたっていく。皆、馬首を一路、モルゲンへ向けて。
そして、彼らに合わせるように、村の後方の空からいくつもの影が、街の奪還に向かうウィリス騎兵を追いかけた。黒髪に緑玉色の瞳の少年、アルフレッドに率いられた飛竜の一隊――
彼以外の兵が、よく見ればベルトやロープで過剰なほどに飛竜に身体を固定されていたり、彼ら全員が悲愴を通り越したヒャッハーな顔だったことは、歴史の闇に葬られたが。
◆◆◆
その日、魔術師は地震のような揺れと、鳴り響く警鐘で目を覚ました。
「敵襲ー!!」
目に映ったのは、慌ただしく廊下を駆ける兵と、何かが物凄い勢いで見張り櫓に突撃した瞬間だった。ガラガラと崩れる櫓から飛び出したのは…
「飛竜?!」
魔術師の知る限り、飛竜に騎乗した兵――竜騎兵を操る者はただ一人。
メドラウド公がウィリスについた?!
不幸なことに魔術師には、件の飛竜が単に操縦を誤って櫓に激突した哀れな破落戸ジャン・マリアのものということまではわからなかった。
「くそっ!マズいんじゃないの?!これ!」
いくら天才と名高い魔術師キャメロンがいても、さすがに今からメドラウドを相手取るのは分が悪い。
(アーロンさん悪いけど、俺は逃げるからね!サイラスの左腕もらって!)
あの左腕はきっといい研究材料になる。とりあえずサイラスごと連れて逃げて、適当な場所で腕を切り落とそう。魔術師はそんな算段をして、急いでサイラスを捕らえた部屋へと向かった。
「ええっ!?」
人間、慌てて急いでいるときに限って、冷静な判断ができない。結界の中の光景――敷布の上にうつ伏せに倒れて、身体から毒毒しいキノコを生やし、肌がゴブリンみたいな緑色になったサイラスに、魔術師はつい、何も考えず結界の中に入ってしまった。
「なっ、なな…何なんだよコレ?!クソッ!《浄…ぐべふぅ!?」
怪しげなキノコを取り除こうと魔力を練りかけた瞬間、魔術師の横っ面にサイラスの蹴りがめり込んだ。
◆◆◆
寝台に墜落した魔術師を踏み越え、私は結界の外に飛び出した。
おっしゃあぁ!!脱出成功!!
…傍目には、身体にキノコ生やしてネグリジェ着たヘンなゴブリンがガッツポーズをしている画だ。
「待ってろアーロン!!」
ツッコミ所満載な格好で走り去るサイラスの後で…
「アよっとぉ~、ぼくちゃんにプ~レゼ~ント~♪」
三十センチくらいのミニエリンギがブシューッと魔術師目がけて紫色の胞子を飛ばした。そして、気絶した魔術師の頭に短い片脚を乗せ、渋い声で言った。
「おまえはもう、蟹走りしかできない」
そして、ピョンと飛び降りて主を追いかけようとして…
「○∵*★※□▽〒≒~!」
魔除けの床に当たって、ブスブスと煙をあげながらその場に溶け落ちた。
数分後…
「クッソ…あのアマよくもっ!」
顔に痣をこしらえた魔術師がよろよろと起き上がった。
「《出てこい!魔法杖》」
詠唱と共に彼の手に魔石をいくつも戴いた杖が出現した。
「ふふふ…」
口元に残忍な笑みを浮かべ、魔術師は独りごちた。
「何…順番が変わるだけさ。先に腕を切り落として…」
そして、何故か横歩きでミニエリンギの残骸を杖で踏みつけて部屋を出ていった。
◆◆◆
あの口の減らない使い魔は、アドバンス…AGというだけあって、無茶ぶりな効能の薬を二つ返事で作ってくれた。
作らせたのは、ヤベェ見た目になる薬――
あ、コレ死んだかも!って魔術師が思うくらい強烈な見た目になるけど、ちゃんと時間が経ったら元に戻る薬。それで、このキノコゴブリンに変身できたわけだ。
出会す兵士を格闘術で叩きのめし、武器を奪い取った私は、まっすぐ領主の執務室に向かって駆けた。
(あの部屋が一番、守備的にも指示出しするのにも都合のいい位置にあるから!必ずそこにいる!)
走りながら、懐に隠した薬包の中身を口に入れ、飲み下す。AGに作らせた二つ目の薬。それは…
◆◆◆
時を少し溯る。
メドラウド公の屋敷に、アルフレッドが破落戸たちを引き連れ帰還した。彼はそのことは告げず、まっすぐ当主たる父のもとに足を向けた。
「父上、ただいま戻りました」
軽く一礼する息子に、ノーマンより先に答える声があった。
「ウィリスに派兵は許さぬぞ。余の楽しみを邪魔するな、アルフレッド」
応接室のソファでゆったりと脚を組むアルフレッドと同じ色彩を持つ男――アルスィル帝国皇帝。
「ええ…もちろんです。陛下」
穏やかに笑みを浮かべた若者が、「しかし、」と言葉を紡いだ瞬間、ガラスの砕ける音と凄まじい衝撃が屋敷を揺るがした。
「何事だ?!」
叫ぶノーマンにチラと一瞥を投げて。アルフレッドはそれはいい笑顔を浮かべた。
「竜騎兵の新人をスカウトしてきたのですが、初飛行は失敗したようですね」
話す彼の頭上をいくつもの影が次々と通り過ぎていき、ノーマンはガバッと皹の入った窓に駆け寄った。
「何だ?!何をした?アルフレッド!!」
血相を変える父に、息子はうっそりと笑って答えた。
「何って…新兵の飛行訓練に決まっているじゃないですか」
まあ、と言葉を切ってアルフレッドは窓の向こうを見やった。
「初飛行ですから、明後日な方向に飛んでしまうのも仕方ありませんね。事故です」
「おまえ!タダでは」
怒鳴りつけたノーマンの言葉は、応接室に飛びこんできた皇帝の護衛に遮られた。その顔を見て、皇帝が顔を顰めた。
「陛下!直ちに安全な場所に避難を!!」
屈強な護衛たちと、お付きの者だろうメイドや侍従までなだれ込んでくる――
皇帝が身一つで宮殿を抜け、一人でここまで来られるはずがない。彼らはここに来る一つ手前の街まで皇帝についてきていたのだ。それを、皇帝が撒いてメドラウド公の屋敷に単身でやってきた。長年の付き合いで、皇帝たる男の行動パターンは読めている。アルフレッドのやったことは、うるさ方に情報を提供しただけだ。
アルフレッドは、部下に群がられる皇帝には目もくれず、さっさと階下――先程己の飛竜がぶち破った部屋へと向かった。




