107 サイラスの作戦
砂埃を巻き上げ、数千の敵兵が突撃してくる。
「ハチ!!」
迎え撃つ作戦は伝えられている。けれど、従うつもりはなかった。使い魔を呼び、迷わず敵に向かって走る。後方でカリスタさんの怒鳴り声が聞こえたけど無視した。
「おい、湖。聞こえるか。アンタの要求、吞んでやるよ!」
あらかじめ外しておいた魔除けのイヤリングをその手に握りしめ。私は己を取り巻く冷気に呼びかけた。
「指輪とやら、受け取ってやるぜ。その代わり、力を寄越せ!!」
叫べば、左手から浸食するように冷たい魔力がせり上がってくる。いいさ…この腕一本、くれてやる。振り返れば、私の勇み足に蹈鞴を踏む軍隊がいる。よし、このまま進むなよ…
「進路を阻め!《暴食》!!」
詠唱と共に、私と味方の軍の間の地面に亀裂が入り、牙を剥き出しにした口のバケモノがいくつも現れた。これで、彼らは先に進めない。空を見上げると、分身になった使い魔レオが、化けキノコを一体ずつ運んでくるところだった。
よし。
顔の真横を敵の矢が掠めていく。ストン、ストンと地に刺さる矢を尻目に、私は肩まで黒い鱗に被われた左手を地につけた。
「俺は王なんだろ…?言うことを聞け、湖」
魔力を取り込み、それを鳴動する地面に流す――
「ぐっ!」
肩にズシンと衝撃が走る。生暖かい液体が地につけた腕を伝うが。ぐっと踏ん張って耐えた。
まだ、足りない。
もっと…もっと寄越せ、魔の森…!
「《湖の王が命じる!敵に立ちはだかる盾たなれ!屹立せよ!悪しき瘴壁!!》」
波打つ地が隆起し、巨大な土壁へと変貌する。そこに使い魔のレオが、ぶら下げていた化けキノコを投下した。土に吞まれた化けキノコ――十体のエリンギマンズは毒キノコに退化すると同時に、土壁を覆い尽くす。
これでいい。
高さはせいぜい七、八メートルの土壁が、ぐるりとウィリス村の周囲を取り囲んだ形だ。但し、タダの土壁ではない。敵側の面にびっしり隙間なく猛毒キノコが生えた壁。エリンギマンズには今まで禁止していた胞子垂れ流しを許可してあるから、近づくのだって危険だ。これを越えるのは――特に結界も魔道具頼みでロクに使えない魔力の乏しい兵では難しいだろう。攻略には、資材を取り寄せたり等で少なく見積もっても数日はかかるはずだ。
さあ…お迎えを待とうか。
魔力切れと肩に受けた矢傷の痛みで朦朧とする……
倒れた自覚もない。
一つだけ確かなことは、奴らが私を殺さないこと。書状にも「生きたまま」とあったし。
上等だ。
なら、思惑通り飛びこんでやる。それでアーロンの寝首を掻いてやるんだ。どんな巨大な軍隊でも、首領が斃れれば総崩れだ。期限は、さっき作った壁を敵兵が攻略するまでの数日間。必ず、この作戦を成功させる…!
軍靴が土を踏みしめる音が近づく。
回収に来たようだ。
血に塗れた左手を握りしめる。
魔除けのイヤリングは、湖にこの腕を差し出した時に、鱗の下に取り込ませた。精神魔法もはね返してくれるイヤリングを敵に取られないために。
敵にいいように操られたりなんかして堪るか。
私は、私のモノだ。
体内に取り込まれても、きっと魔除けの効力はあるはず…
「…アル」
掠れた声で、想いをくれた少年の名を呼んだ。
…どうか、護って。
その思考を最後に、私の意識は暗転した。
◆◆◆
「あのぉ……俺たち、どこへ向かってるんで?」
バケモノなカモの下僕になって早一週間。カモ…ことアルフレッド様は、俺こと生真面目な破落戸ジャン・マリア他を引き連れ、道中で似たような破落戸のアジトを拳骨で乗っ取りながら、港に辿り着いた。そして、待ち受けていた船に下僕も全員乗せられたのだが…
この船、どこ行くの?と、思ったわけだ。
「メドラウドだが」
短く答えるアルフレッド様。
なんとなく、「黙ってついてこれねぇのか、あ゛?」的な副音声が聞こえた気がして、俺は口を噤んだ。破落戸って縦社会だからな。俺は空気が読める男だ。
「着いたらひと仕事してもらう。今は休んでおけ」
ひと仕事……何するんだろう。また破落戸のアジトでも潰すのかな。
結局、詳しい仕事の内容も聞き出せないまま、俺たちを乗せた船はメドラウドの港に到着し、船を下りると幌馬車数台に分乗して街道をひた走り…
やがて、立派な門扉の壮麗な屋敷に到着した。
まあ、俺らは裏口の通用門から入ったんだけども。で、幌馬車はそのままでっけぇ屋敷の裏側へとさらに敷地内を進み、家畜小屋か何かの前で停止した。
「おまえらはここで待っていろ」
アルフレッド様がそう言って、家畜小屋へと向かい、俺たちを騙した優男なカモの声で小屋の中に声をかけた。
「今帰った、テセウス」
すると、小屋から筋肉の巌と見紛う大男が出てきたじゃねぇの。おい…もしかして今日のターゲットはアレか?ヤベぇぞ、あのテセウスとかいうオッサン。田舎の破落戸なんかひと睨みで黙らせる、都会の組長クラス…うわぁ…
「新人を見繕ってきた。潜った鉄火場は数知れずとか言ってたからな。皆、肝は据わってる」
アルフレッド様がなんか言ってる。
そして、テセウスとかいうオッサンが、幌馬車へのっしのっしと近づいてきた。
「野郎ども、下りな」
…とりあえず俺たちは従った。だって死にたくないもん。
「手間をかけるが騎乗の準備を頼む。竜は初めてだろうから、がんじがらめに固定してやってくれ」
そう言って、アルフレッド様は家畜小屋の一角に姿を消した。そして、凶悪な笑みを浮かべる筋肉ダルマのオッサンが俺たちに言った。
「さあ…一人ずつ乗せてやるから来やがれ。ビビってちびるんじゃねぇぞ?」




