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104 ニマム村での再会

「クソッ!どうしてここから先へ行かせてくれないんだ!」


居留地の中心、ギデオンの屋敷の客室に軟禁されたブルーノは苛立ちを募らせていた。


モルゲン陥落の急報を受けたのは、ニミュエ領の滞在先。すぐさまニミュエ公爵に早馬を出して救援を求め、雇えるだけの傭兵も雇って急ぎ駆けつけたのだ。


(ネーザルはモルゲンにつくと言った。援軍の約束もあるんだぞ!)


ネーザル領は、ベイリンでもモルゲン寄りだ。援軍はすぐに到着するだろう。その報せを持ってきたというのに!なぜこんな所で足止めを受けなくてはならない!




ブルーノは知らない。

彼の自筆の手紙が、すでに従者によって別の物にすり替えられていたことを。ネーザルが本当は、味方になどなっていないということを。




なまじ有能で領を想う気持ちがあるばかりに、ブルーノは己を取り巻く偽りの状況を疑うことができなかった。いくら急を訴えても、現れる騎士は伝言ゲームのようなことを言うばかり。らちが明かない。


「ブルーノ様、私に一計が」


「何だよウェズリー、強行突破はダメだぞ。ここはギデオン公の屋敷だからな」


イライラと答えるブルーノに、従者は声を潜めた。


「気づいたのですが、深夜なら、見張りが交代する僅かな時間、この部屋の前は無人です。その隙にブルーノ様は外へ。私が陽動を仕掛けて追っ手の目を惹きつけます」


「おい」


それじゃおまえが、と言いかけるブルーノに従者は畳みかけた。


「モルゲンの未来がかかっております。我らも必ず追いかけます」


「…わかった。だが無茶はするな。武器突きつけられて止まれと言われたら、大人しく従うんだ。わかったな?」


「…ありがたき、お言葉」


今は緊急事態だ。部下の覚悟をありがたく受け取ろう。ブルーノは見張りに気づかれないように脱出の準備を始めた。




そして。


「(今です、ブルーノ様!)」


ウェズリーの合図で、ブルーノは音を立てぬよう部屋を飛び出した。脱出経路は頭に入っている。無人の廊下を駆け抜け、階段の踊り場の窓から外へ飛び降りた。


◆◆◆


契約者以外は踏み入ることのないウィリスの森の奥――悪食の沼。


その湖面には変わらず睡蓮が咲いていた。すっかり萎れ、色褪せた花が――


心なしか、この日は立ちこめる冷気を感じなかった。


◆◆◆


「へへへ…ヴィヴィアンの赤、どんな味かなぁ…」


「ハンスさんったら、さっきからそればっかりじゃん」


書状が届いた翌朝、私は数人のモルゲン兵と荷車を牽いてニマム村に向かっていた。


そうそう。王国兵にやられてから、ウィリス村から森の縁を通ってニマム村へ行ける道を作ったんだ。森の木を何本か掘り出して道の脇に植え直し、原野側からはその木々が森の輪郭に見えるように。つまり、秘密の避難路だ。


あくまでも森の縁を通る道だから、獣が襲ってくる危険はあるけど、結界魔法が使える人が同行するか、結界発動の魔道具を使えばなんとかなる。


今回も、物資を運んでるところを襲われたら堪らないから、この道を使っているんだ。木々に囲まれた道は、早朝の爽やかな空気の中、小鳥の(さえず)りが聞こえる。ほんの少しまで死闘を繰り広げていたのが、まるで夢かと錯覚してしまうような――ひんやりとした冷気を感じないからだろうか。


今日は暖かい――。


「にしても、村のヤツらここぞとばかりに頼んできたよなぁ」


私の横で一緒に荷車を牽くモルゲン兵が零した。


「ああ、女どもがやれ干し肉があったはずだとか、鍋が足りないから取ってこい、とか」


並んで歩きながらみんなで笑った。


「フツーの生活感、堪んねぇや」


……うん。

問題は解決したわけじゃない。戦争を続けるって決まったんだ。でも…


これ以上の戦いは、自滅に近づくだけだ。


何か策を取らなきゃいけない。でも、敵の要求を吞んだら、この村に、森にアーロンが踏みこんできて……


そうなったらきっと湖が村を呑み込むだろう。ここはそういう土地だから。何とかして、奴らの要求を吞まず、戦を終結させる方法――ニミュエ公爵やもちろんメドラウド公にも救援を要請しているけれど、未だに反応はない。ヴィヴィアンやパロミデスにも救援を求める使者を送ったけど、返事はない。たぶん、街道をベイリンが塞いでいるんだ。八方塞がり……。




聞いて!お聞きなさい!

私よ…

 

水の宮殿へと連れてゆくの…


どうかその指に私の指輪を嵌めて

私の夫になって


どうか共に宮殿にいらして

湖を統べる王になってくださいな




ああ…また、聞こえる。湖の『声』が。


最近ひどいんだ。毎夜夢に出るし、昼間でもこうして訴えてくる。


たぶん、エヴァの言ってた『邪竜』は、湖と大きく関わっていると思うんだ。もしかしたら同じモノかもしれない。

そして…この『声』に応えたら、恐らく私は私でなくなってしまう。なんとなくだけど、わかるんだ。すでに浸食された左手から、私とは別物の魔力を感じる。酷く冷たくて、真っ黒な魔力――心まで塗りつぶしてしまうそれを…。




聞いて!お聞きなさい!!




心に直接響いてくるヒステリックな『声』に耳を塞ぐ。この時の私は知らなかった。これが『警告』だということに。


◆◆◆


夜の闇の中を馬も使わず駆けたせいだろう。ブルーノが辿り着いたのは父親のいるウィリス村ではなかった。


「水車がある……ニマム村か?!」


「分かれ道で間違えましたか…」


ブルーノと従者のウェズリー、さらに護衛たちも息を弾ませつつ辺りを見回した。村は静かで、人の姿はない。


「ここの村人はウィリスに逃げたようだな」

無人の村を眺めてブルーノが呟いた。


「一度分岐点まで戻るか」


今なら日も昇り、道を間違える心配もない。そう思ったのだが…


「しかし…それでは敵と遭遇する危険がありますし、時間もかかります。その…道はありませんが、このまままっすぐウィリス村方向に進むことはできないのですか?」


「うむ…」


ウェズリーが心配そうに街道の彼方を振り返る。


確かに、日中無人の街道を数人で彷徨くなど、敵に見つけて下さいと言っているようなものだ。リスクがある。対してウィリス村方向の原野は、道がないとはいえ障害物といえば腰の高さくらいの灌木(かんぼく)くらいだ。歩けないというほどではない。


「そうだな。なら、ここを」


ブルーノが言いかけた時、無人の村から話し声が聞こえた。


「?!今、人の声が」


「敵兵かもしれん。隠れろ…!」


主従は慌てて近くの灌木の繁みに身を隠し…


「あれは…」


目を丸くした。民家から荷車に何やら運んでいたのは…


「サイラス?」


◆◆◆


「サイラス?」


ふと聞こえた声に私は振り返った。


「あ…」


目が合ったその人は、ブルーノ様。見間違いじゃない。彼だ。見れば従者さんや護衛も数人連れている。



もしかして、待ちに待った救援?!



「ブルーノ様!」

私は彼に駆け寄った。


よかった…!敵軍の包囲をすり抜けてここまで…!


「ご無事で…ッ」


◆◆◆


ブルーノと再会を喜ぶ少年は、茶色の髪に空色の瞳をしていた。間違いない、あの方が欲しがっていた『少女』――


「あの…貴方はここで何を?」


素知らぬ顔でウェズリーは二人の間に割り込んだ。情報は得られた分だけこちらの力になる。


「ここに物資を埋めておいたので、今から村に運ぶんです」


「原野を?そんな無茶な」


さすがに荷を満載した荷車なり馬車なりを原野に走らせることは無理があると、ブルーノが顔を顰めたが。


「そこ、道を作ったんです」


少女が指さしたのは森の縁。よく見れば、ほぼ等間隔に木々が生えている。道をカモフラージュしているらしいとわかった。


なるほど、これは使える。


ニマム村は早々に放棄されたのと、ウィリス村までは距離があるために捨て置かれたが、道があるなら話は別だ。ここから、攻め込める。


「魔獣が出るかもですけど、結界発動できれば何とかなるし、私もいるし!」


目の前の少女はニカッと白い歯を見せて得意げに平らな胸を張った。


「あなた一人で作業を?」


ウェズリーが尋ねると、少女は「今、床板を剥がす作業を他の仲間がやっている」と答えた。


どうやら物資は床下に埋めてあるらしい。この村を制圧したら、まずはそれらを回収するとしよう。ひとまず、今は少女から離れないように……いつでも捕まえられるように傍に張りついていよう。ウェズリーはそう心に決めた。


「なら、私たちも手伝いましょう。こういうのは人数が多い方が捗りますよ?」

愛想のいい笑みを浮かべて、ウェズリーが持ちかけると、少女は何も疑うことなく目を輝かせた。


(遊撃部隊、出よ)


彼女の後ろを歩きながら、気取られないよう通信魔道具から暗号で合図を送る。自分は、彼らが到着するまで時間を稼ぐのみ。

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