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西洋魔導研究会  作者: 戸賀内藤
4/15

忘れえぬオサナナジミ 4/5

 完全に日は沈んでいた。アパートの廊下の蛍光灯は、存在感を伝えるように瞬いている。


 夕飯の買出しを終えて玄関のドアを開けた矢淵を待っていたのは、美智留だった。玄関で膝を抱えて座っていた彼女は、矢淵が帰ってくると顔を向けてにっこりと笑う。


「おかえり。遅いから何かあったのかと思っちゃった」

「どうしたんだよ、勝手に入って。風邪は大丈夫なのか」

「んー大丈夫。お腹すいた。何か食べたい」


 美智留は買い物袋とクッキーのバスケットを持って台所に走っていく。その背中を眺めながら、矢淵は内心まんざらでもなかった。


 そんなだらけた顔を晒していると、呼び鈴がなった。美智留の足音がこちらに戻ってこようとする。


「俺がでるよ」矢淵はそう言って美智留を静止する。


 再び靴を履いた矢淵は、ドアノブを回す。その目に映ったのは、淡いピンク色の髪だった。


「こば……」


 名前を口にしようとした矢淵は首根っこを捕まえられ、ドアの外に引きずり出された。驚くほど強い力に、矢淵は声をだすことすらできない。気管を潰されたような圧迫感が彼の首を襲う。そのまま壁際に座らせられ、柔らかな手で口をふさがれる。


「おとなしくしてね。君のためなんだし」


 木鳩はウィンクし、矢淵にのしかかる。彼女の柔らかい体と、意外なほど発達した筋肉が彼を押さえつけた。わけもわからずとにかく彼女から離れようとする矢淵は、蛍光灯の光が遮られたのに気づく。誰かがこちらを覗き込んでいるのだ。それは加賀崎とベルタだった。


 それを見て矢淵はどっと冷や汗をかく。


 服装こそ学校の制服のままだが、彼女たちは銃を持っていたのだ。ベルタは体格に似合わないショットガンを持ち、加賀崎は腰に大きな拳銃をホルスターに納めて携行している。首をひねって自分を拘束する木鳩の手にも、黒光りする無骨な拳銃が両手にある。


「木鳩ちゃんはそのまま矢淵さんを捕まえておいてくださる? 作戦通り、ポイントマンは私で突入いたします。何もいないとは思いますけれど、念の為ですわ」


 こくりとベルタが頷き、ショットガンをスライドさせる。


 ドアを音を立てぬようそろりとあけ、加賀崎、ついでベルタが中に乗り込んでいく。矢淵はやめろと声を上げようとするが、あまりにがっしりと口をふさがれ、むーむーとしか叫べない。


 それを見つめる木鳩の顔は、どこか恍惚としていた。耳まで紅葉させ、あらっぽく息を吐く。その口内からは、ぎらりと光る牙が覗く。それに気づき後ずさる矢淵の足の間に、木鳩は自分の艶めかしい太ももを潜り込ませ、矢淵の耳元でささやく。


「騙されてるんだよ、矢渕くん。美智留なんて女の子は、どこにもいないんだって」


 何を言ってるんだ? と矢淵は顔を歪める。


 その意図は伝わったようで、木鳩は首を振って否定する。


「このアパートに住んでる201の住人はうちの学校に通ってないし、そもそも女子高生ですらないんだって。二十歳を過ぎた、幽霊みたいな女の人が住んでるだけだよ。その人が、美智留って記憶を君に埋め込んだ……って感じかなぁ」


 加賀崎は台所からの物音を聞きつけ、体を斜めにして拳銃を胸の上で小さく構えながら、そこに向かって歩みを進めていった。近距離戦で即座に対応するための構えだ。


 斜め後ろでは、銃口を上に向け、左脇にストックを挟んだベルタが続く。これは前を歩いている人物を即座に撃たない銃口管理であり、いざというときに銃を盾にする副次効果も望める。


 曲がり角や死角がありそうな場所では、お互いにハンドサインを使いながら巧妙に死角を潰していく。銃を構えていつでも撃てるようにしながら、曲がり角を中心にして円を描くように大きく回り込む。


 居間には何もいなかった。几帳面で真面目な矢淵の性格が反映された綺麗な部屋で、テレビとテーブルがあるくらいのものだ。テーブルのそばには、座布団が2つ置かれている。それを見て加賀崎は目を細めた。


 直後、台所でビニール袋をがさがさと鳴らす音が響く。とっさにそちらに銃口を向けながら、二人は目配せする。


 彼の記憶の中だけの存在ではない、と二人は確信する。


 台所へ銃を構えて飛び出した二人は、対象を見て引き金を引くのをためらった。そこにいたのは、生き物かどうかすら怪しい黒いコールタールのような粘液が蠢いていたからだ。それが人間の手のような触手を形成しながら、冷蔵庫の中に食品を詰めている。


「動かないでいただけますか? 何もしなければ……」


 加賀崎がそう言ったのとほとんど同時に、スライム状の物体は手を伸ばしムチのように二人を打ちつけようとする。だが加賀崎の目前で、眩い緑色の光を放ってかき消える。そこにガラスの壁があるかのようだった。粘液は再び攻撃を仕掛けようと別の触腕を伸ばすが、やはり同じように焼き切られるだけだ。


「無駄ですわ」


 加賀崎が銃を撃つと同時に、ベルタも発砲する。鉛の嵐が、台所の床ごと粘液をずたずたに引き裂き、水の入ったボトルを撃つように飛び散らせた。天井、壁、電子レンジや冷蔵庫……。それらに飛散した黒い粘液が動かなくなるのを確認すると、ベルタは銃口を下げる。加賀崎は銃を構えたまま、片手で小さなマガジンをトリガー前方の装填口に押し込んで装填した。


「ベルタ、このアメーバのことご存知?」

「いえ。ですが、もう脅威ではないかと」




 耳をつんざく銃声が聞こえた矢淵は、木鳩がとっさに顔を上げたのを見計らって頭突きをかました。


「ったぁ~! 痛いってば!」


 鼻を抑えた彼女は再度、矢淵に掴みかかろうとする。その手首を矢淵はとっさに掴んで押し返す。力比べのような状況になってしまった。だが青筋立てて怒り狂う矢淵に比べ、木鳩はすました表情をしていた。


「男の子なのにこの程度の力しかないのかなぁ?」


 木鳩の細腕は、矢淵がいくら力を込めようがびくともしない。まるで柱を相手にしているようだ。


「くそったれぇ!」


 矢淵が叫ぶと、木鳩の筋肉がボコボコと浮き上がった。それは木鳩が全く予想だにしていないものだ。体が水風船のように膨れ上がったかと思うと、木鳩は鉱夫のような筋肉になり、制服がびりびりと避ける。


暴発(バックファイア)!? なんで……!?」


 鼻先で化け物に変貌する木鳩を見た彼は、甲高い悲鳴をあげて慌てて部屋の中へ逃げ込んだ。台所まで一直線に走ると、その惨状を目の当たりにする。そこには倒れ伏して血を流した美智留がいた。腹に銃弾を受け、血溜まりを作っている。


 加賀崎とベルタが見ているものとは、全く別の光景だった。


 呆然とその光景を見つめる彼は目を見開く。足から力が抜けた彼は、その場で膝を屈した。開いたままの瞳から、涙が湧き水のように溢れだす。喉が痙攣しているのだろう、泣き声にもならない空気の通る音が漏れる。


「み……ちる……っ」


 声を絞り出した彼に、加賀崎とベルタはバスケットから取り出したクッキーを口の中に押し込むと、二人で顎と頭をおさえて口を閉じさせ、無理に食べさせる。もはや抵抗する気力も起きないのか、彼はされるがままだった。


 ごくりと飲み込んだ彼の視界が歪む。いや、正常なものへと変わっていく。そこにはやはり、真っ黒いペンキの飛び散った惨状が映った。事態が理解できない彼に、しゃがみこんで目線を合わせた加賀崎が口を開く。


「佐藤美智留なんておりませんの」

「いない……。加賀崎さん、あなたは、なんで……アレ……?」

「どうやら洗脳がとけたようですわね。先に食べていてくれたら面倒も減ったんですが。後始末は……とりあえずおいておきましょう。201に向かいますわよ」


 加賀崎が銃を構え直したところで、矢淵のスマホが鳴る。すぐさま手にとった矢淵は、ぶつぶつと呟く。液晶には何も表示されていない。


「美智留が……殺されて……」

「原因はそれですのね」


 スマホを取りあげた加賀崎は、スマホについた“ストラップ”を緑色の閃光と共に消滅させる。それがなくなると、矢淵は慟哭するのをやめ、ハッとした顔で二人を見あげる。加賀崎とベルタに見られているからか、すぐにシャツで涙をぬぐう。


「このストラップを媒介に操っていたようですわね。矢渕くん、202の住人は誰ですの?」

「202……? ええっと、そこには確か……美智留……あれ、違う……、斎藤さんが住んでます」

「そいつが今回の事件の犯人で間違いありません」

「ちょ、ちょっとまってください。どういうことですか? 美智留は、どこに行ったんです? え、あれ? なんで美智留と斎藤さんが同じ部屋にいるんです?」


 加賀崎の足に矢淵は縋りつく。ベルタが苛立たしげにそれを離そうとするが、加賀崎が制す。


「女の子の幼馴染の美智留さんとは家族のような付き合いだったんですものね。でも、うちの高校のリストにも、飛行機事故のリストにも、佐藤美智留という人は存在しませんでしたの。あなたは、偽の記憶を植えつけられていたのですわ」

「そんな……そんな馬鹿なことがありえますか!? そもそもどうやって!」


 加賀崎の説明に、矢淵は激昂する。


「でしたら、いま明確に思いだせるかしら? あの人はどんな髪型で、髪色でしたか。どんな性格でしたか。資料室でも、あなたは答えられませんでしたわ」


 矢淵は押し黙る。記憶の井戸を攫うが、たしかに彼女の言う通り、印象派の絵画のようにしか、彼女を思いだせない。薄ぼんやりとした、ただ幸福な笑顔が浮かんでは消える。ただ幸せだった記憶だけが去来し、彼を混乱させる。


「ついさっきまでそこにいたんです。ついさっきまで……」

「そうでしょうね。でも、今はおりませんの。いえ、元から……。それが正しい姿なのですわ」


 加賀崎はすっくと立ち、矢淵に手をさしだす。


「これから真相を暴きに参りましょう。201の合鍵、大家さんならお持ちですよね?」


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