7:美しさに右も左も白も黒もないんだからね!
「え? 僕、全然呼んでないんだけど。用事ないし」
案の定、イルディアは不思議そうに目を丸くした。
女神の寝所へと続く長い廊下を抜け、辿りついた先でくつろぐ姿にアルストは溜め息をついた。
豪奢な寝台の上、薄く開いた天蓋から覗く姿は、確かに見目ばかりは美しい女神。
この上なく麗しいとはいえ、アルストにとっては天災にも等しい。
「私にはございます」
「えぇ? それで嘘ついて入ったの?」
「はい」
「意外と強引なんだね」
うつぶせになっていたイルディアは、ゆったりと上肢を起こした。
白い衣からすらりと伸びた脚が見えている。
近付けば近付くほど、アルストは(なぜ、これで男なのか)と嘆きたい気持ちになった。
せめて女だったら、もう少しは我慢できたような気がしたのだ。
(……いや。やっぱり無理だな)
アルストは男女平等主義だった。
「イルディア様。お聞きしたいことが──」
「いいよ。改まらなくても。僕の前だけなら、君だって叱られないでしょ?」
「お聞きしたいことがあります」
「え、無視?」
いい度胸じゃん、と。
イルディアは身を起こして座り直した。
寝台へと繋がる階段前に膝をついたアルストは、形式を守って顔を伏せた。
女神に直接の視線を注ぐことは、本来ならば失礼な振る舞いだ。
今更、アルスト側に女神への敬意も何もなかったが。
「何故、同行者に私をご指名なさったのでしょうか。私は一神官にございます。
身に余る光栄ではございますが、不相応のお役目を果たす自信がございません」
──そう。
アルストは高位とはいえ、一神官。
神官長でもなければ、司祭でもない。
確かに呼び覚ましたのは彼だったが、そこには召喚以上の役割などあろうはずがなかった。
もしあったのならば、アルストは引き受けもしなかった。
「あー、うん。そうなの? よくわかんないけど、神官って順位とかあるの?」
イルディアは退屈そうに首をかしげた。
確かに神官内の事情など、女神──もとい神であろうイルディアには無関係。
アルストは頭を下げたまま、言葉を再開した。
「はい。下位、中位、高位、神官長、司祭となります」
「かいちゅうい?」
「下位と中位にさほどの区別はございません。彼らは総じて、神官と総称されます」
「高位って?」
「私めのような術使用の許可を得た者や儀式を任される者、神官長の補佐を務める者などがおります」
「ふーん」
イルディアは素っ気ない。
あまり興味がない様子だった。
アルストは内心焦った。
他の者達に、関心を向けてもらわなければならない。
だというのに、だ。
イルディアは、まるで無垢な子どものようだ。
アルストの意図を察するどころか、不思議がっていた。
「……高位と言えども、たかだかいち神官である私めには、あまりに荷が──」
「──いいんだよ。君じゃないとダメなんだから」
言葉を遮られたアルストは、すぐ近くに白い足先が見えていることに気がついた。
今し方まで、そこには何もなかった。音も聞こえてはいない。
ハッとして顔を上げたアルストは、空中に立っているイルディアの姿に目を奪われた。
白い室内に差し込む月明かりの中に佇む姿の、なんと美しいのだろう。
彫刻のような整った輪郭。なめらかな肌。
絵画のような美しい色彩。ほっそりとした体つき。
「僕が君を選んだの」
アルストは時間が止まったかのようにすら思った。
声を聞きながら、心臓が跳ね上がる心地がしている。
「……それは、ありがたき幸せには存じますが──」
アルストは尚も断ろうと試みた。
しかし、眼前で屈み込まれたせいで言葉を途切れさせてしまう。
「君しかいないんだよ」
「だって、君は僕の魅了が効かないんだからね」
にっこりと笑うイルディアに、アルストは言葉を飲み込んだ。
(お前が男だって言うからだろ……!?)