5:やめてくれ、まさかそんな、ありえない
「は?」
アルストは、低い声と共に顔を上げた。
壇上には、少女が──違う。少年が立っている。いや、立っていない。
立った姿勢のままで、浮いている。
息を飲む音がした。
他の神官達だ。
周囲がざわついたのは数秒。
腕を組んで宙に浮いているイルディアは、憎たらしいほど美しい笑みを浮かべていた。
アルストは、二度と同じ言葉を聴きたくないと願った。
「もう一度だけ言うね。
……アルスト──アルスト・ヴァミング。あなたが補佐を務めなさい。
さすれば余りなく天のご慈悲を運び、甘やかな安寧とゆりかごの如き平穏を約束しましょう」
今、何と言った。
同行しろと言ったのか。
神も情けもないのか。いいや、こいつが神なのか。
(──クソッ、どうなってんだよ)
アルストは歯噛みした。
そもそも、アルストが神官を目指したのは"安定しているから"だ。
アルストには、神官になるだけの学力も魔力もあった。
たとえ神官長にならなかったとしても、神官という職業は高給取り。
決してなくなることのない職業であり、社会的な地位も高い。
王都と独立したこの都──聖都から出る気など、アルストには全くなかった。
前方にいる司祭、そして神官長が振り返る。
彼らの驚愕に染まった瞳に、アルストは舌打ちの一つでも出したい気持ちになった。
(驚きたいのは俺の方だよ!)
この場で言われてしまえば、拒否権などない。
あるのは、限りなく本心とは異なる定型文。
アルストは緩やかに立ち上がり、そして深々と一礼をした。
「──有り難き幸福に目も白む思いでございます。このアルスト、必ずや女神イルディア様の──」
「アルスト」
「……お心のままに」
女神という単語が気に入らなかったのだろうか。
名前を呼ばれたことで咎めを受けたと感じたアルストは、すぐに定型文を差し替えた。
(……クソっ、最悪だ……)
深々と頭を下げたまま、アルストは床を睨みつけるしか術がなかった。