31:どのように転んでも得をする流れこそ、交渉の原則でしょう?
起床後。
身支度を整え、朝食を取り、地図の確認まで済ませてから、
アルストはやっと女神――もとい、イルディアの寝所へと向かった。
「アルスト! なぁっ、どういうことか、そろそろ説明してくれよ」
「何の話だ」
後ろをついて回るサフィストに対するアルストの返答は冷たい。
しかし、それでめげるサフィストではなかった。
アルストは、いつでも割りと冷たい。
「聞こえたってやつ!」
「そのようなことを言ったか?」
「言ったね! 神に誓ってもいい!」
「聖職者でもない立場で軽々しく誓うな」
溜め息をつきながらも、アルストは歩みを止めない。
廊下をしばらく歩いていけば、イルディアに宛がわれた特殊な部屋へ通じる扉が見えてくる。
「お前の声が聞こえたわけではない」
「えっ、そうなの?」
「聞こえたのは、女神の声だ。
――が。召喚者に付随する作用だ。特別なことはない」
アルストはつまらなさそうに言って、扉に手を当てた。
それは、中位以上の神官か、あるいは、特殊な道具がなければ開かない扉だ。
掌を押し付けた瞬間、扉の模様が薄く光を帯びて開錠の音がした。
「呼び出した者と女神との意思疎通を容易にするためのものだろう」
扉をくぐれば、白い廊下が伸びている。
緻密な彫刻で飾られた壁を横切って進むと、また扉が見えて来た。
「そういうものなのか……?」
そもそも神官の仕事など知らないサフィストは、
アルストの説明が嘘なのか本当なのかも、わかってはいない。
女神の寝所が近づいて来た緊張感で、サフィストの声は自然と小さくなった。
「ああ――そういうものです」
二つ目の扉に手を当てたアルストが口調を改めた。
彼の手が触れた瞬間、扉を飾る装飾が虹色の光を帯びる。
開錠の音。
ワンテンポ、息を吸う間を置いて、アルストは扉を開いた。
「――イルディア様。お待たせいたしました。」
ゆっくりと。
扉が開かれていく。
白を基調とした寝室の中央には、天蓋つきの寝台。
天井は一面ステンドグラス。
大理石の床には鮮やかな模様が描かれている。
だが、そのどれも女神の目を楽しませはしなかった。
「おっそーい!」
扉の前。
空中で仁王立ちしているイルディアは、完全にヘソを曲げていた。
「おそすぎるよ! 待ちくたびれたッ」
眉を寄せ、両手を腰に当て、唇を尖らせている。
が。
そこに恐ろしさなど微塵もない。
サフィストは、むしろほのぼのとした気持ちになった。
かわいい。かわいすぎる。
ずっと怒っていてもかわいい。
「申し訳ありません。サフィストの準備が遅いもので」
「ちょ、え!?」
のんきなことを考えていたサフィストだったが、
アルストによって売り飛ばされ、一気に現実へと戻された。
桃色の唇を尖らせたイルディアが、サフィストを見る。
「じゃあっ、置いてきたらイイのにっ!」
しかし、イルディアの気持ちの矛先はアルストだった。
「彼は我々の護衛をしますので、同行が原則です」
アルストはしれっとのたまった。
あまりの平然とした様子にサフィストが勝手にたじろぐほど。
だが、イルディアは負けていない。
「でもでもっ、ずっと待ってたのに!」
「ええ。ですから、お迎えに上がったではありませんか」
「もっと早く来て欲しかったの!!」
やだやだと、
駄々を捏ねる子どものような様子を見せるイルディア。
そんな彼女(仮)に、サフィストは心臓が早まるのを感じていた。
こんなにも愛らしい女神を前にして、アルストはまるで鬼だ。
そのように感じつつあった。
「そうでしたか。それは気が利かずに申し訳ありませんでした」
アルストは、やはり平然としたものだ。
「今後は他の者にお願いしましょう」
「えっ!? どうして!? それはやだっ、やだよっ」
付き人交代に言及されると、イルディアはわかりやすく動揺した。
だが、狼狽する女神を前にしても、アルストはぶれない。
「では、今後は少し急ぐことにしましょう。それでよろしいですか?」
「うう……いいよぉ、もうそれでいいから、交代なんてしないでよ」
「ええ。わかりました」
しょげるイルディア。
平然としているアルスト。
サフィストは思った。
どっちがサディストだよ――と。




