21:風習など基本的に古めかしい迷信がきっかけだ
「──というわけで、僕のこと愛してね?」
「はい?」
移送陣のある一間へと繋がる渡り廊下は長い。
移送陣自体は特に神聖なものではないというのに、
わざわざ隔離されている意味をアルストは理解できなかった。
儀式と同じく慣習によるところが大きいのだろう。
もっとも、くだらない慣習よりも理解が困難な言葉の方が、今のアルストには問題であった。
「……それは、どのような意味でしょう?」
アルストは廊下の途中で足を止めた。
この廊下に入る扉の前で、他の神官達の同行は終わっている。
つまり、ここにいるのはアルストとイルディアだけだった。
「もーっ、聞いてなかったの? 僕が守るって言ったの」
「ええ、ああ、はい」
ふよふよと浮いているイルディアは、ひどく不満そうにアルストを見た。
だが、アルストはどうにも素っ気ない。
召喚当初よりも、幾分か猫かぶりが薄くなっていた。
「聞いてなかったんだね?」
「いえ、確かに聞きました。そのために呼ばれたのだと」
確かに──そうなのだ。
救いの女神であるイルディアを召喚した理由はひとつ。
侵攻を開始した魔王を食い止めることだ。
戦うために、というよりは。
守るために。
そういう言い方の方が適切だろう。
何せ神官は本来、殺生をしないものとして教え込まれている。
だから、アルストはイルディアが意図的にその単語を使ったのだと思っていた。
「それと、私があなたを愛することがどのように繋がるのでしょう?」
「全っ然聞いてないじゃんっ」
イルディアは嘆くような声を上げた。
そして、両手で顔を覆ってしまう。
翻弄する側であろう彼女──彼のそんな様子に、アルストは目を丸くした。
「うう、どうしてアルストは僕を無視するの」
「無視はしていません。理解できないだけです」
「それって余計にひどくない?」
やれやれと言わんばかりに、イルディアは顔を上げた。
泣きもしていない表情を見て、アルストは少し安堵した。
ここでヘソを曲げられても困るのだ。
「僕は救いの女神じゃない」
「ええ、そのように聞きました」
「だけど、僕には力があるの。愛の力がね」
イルディアは誇らしげに胸を張った。
当然ながら、そこには何の膨らみもない。
アルストは自分の思考に気がつくなり、そっと視線を外した。
「愛っていうのは、いろんな種類があるじゃない?」
「はぁ、まぁ、そうですね」
アルストは肯定を返しながら、歩みを再開した。
イルディアは、ふよふよと漂いながらついていく。
「僕に向けられる愛が、僕にとっては一番の力になるんだけどさ。
僕から向ける愛だって、あるわけじゃない? みんながついて来るなら、僕は楽だけど」
「つまり?」
アルストは結論を聞きたがった。
なるほど。確かに結論をなかなか言わないあたりは女っぽい。
そのように思いつつ、アルストは歩みを止めない。
少し進めば、大きな扉が姿を現した。
「アルストが僕を愛してくれたら、僕はもっと強くなるよってこと」
「善処します」
アルストの即答に、イルディアは不満げに頬を膨らませた。
「何でもいいんだよ? 友愛でも性愛でもいいの!」
「いや、まぁ、はい。わかりました」
「わかってないよね?」
「いいえ、滅相もありません。理解しております」
扉を開けば、そこにはひどく寂しい空間が広がっている。
大人であれば、五十人程度が収容できる広さの一室。
何も置かれていない空間の天井はガラス張りで、満月がたっぷりと光を落とし込んでいた。
中央には、移送陣が描かれている。
なめらかな床板に直接刻まれた魔法陣は、古いものだった。
この建物が建築された当初からあるというそれが、本当なのか嘘なのか。
アルストは、移送陣の傍らに立って手をかざした。
そうすれば、床に走る紋様が僅かに光を帯びる。
「移送陣が生きているようで何よりです」
アルストは移送陣の中央に立つと、イルディアへと腕を伸ばした。
不思議がるイルディアを腕に招き入れた彼は、真剣な眼差しを足元に向けた。
「離さないでください。本来の行き先ではない場所に繋ぎますので」
「もし離しちゃったら、どうなるの?」
イルディアの質問に、アルストは肩をすくめた。
「迷子になります」
眉を下げてしがみついたイルディアを抱いたまま、アルストは静かに目を閉じた。