10:それはつまり、精一杯の決断だろう
「ごちょうあいー! あはははっ、ご、ごちょっ、ふ、ふふっ、あははははッ!」
ひと眠りを経て昼前。
再び女神の寝所を訪れたアルストは、大笑いに出迎えられた。
天蓋を開いた状態で寝台の上に転がっている少女──少年。
あれがどう女神で、どう救いの手を差し伸べてくれるというか。
アルストは、隠さずに溜め息を漏らした。
「お騒がせいたしました。厳しく言いつけておきます」
一応とばかりに答えはしたが、アルストは怪しんでいた。
女神の寝所と呼ばれる場所は、寝台の置かれたこのルームを含めていくつかの部屋に分かれている。
そのどれもが、このメインルームと繋がっている。
しかし、外部と繋ぐ扉は一箇所。それも、長い廊下の先だ。
扉の外で行ったやり取りが届いているはずもない。
(……地獄耳かよ)
面倒くささの急上昇を感じたアルストは、さっさと下がろうと膝を持ち上げた。
「はー、笑った笑った。いいよいいよ。聞こえたわけじゃないからさ」
寝台から脚を下ろしたイルディアは、再び空中に立った。
白い衣から伸びる長い脚は、ほっそりとしている。
全体的に華奢な印象は、一夜明けた程度では何も変わらない。
高い位置から差し込む日光を受けたイルディアは、桃色の唇を持ち上げて微笑んだ。
「やっぱり、魅了の効果が出ちゃったかもね」
「はい?」
「そこそこ離れてるけど、おんなじ建物の中だからね。やっぱり多少は影響出るかも」
どうして、それを早く言わないのか。
アルストは眉間に皺が寄る一歩手前で、新鮮な酸素で肺を満たした。
誤魔化しでしかない。
「でもねー、なるほどねー。そういう発想になるんだぁ」
「申し訳ございません」
「あははっ、いいよー、君が悪いわけじゃないんだからさっ」
(俺もそう思う)
苛立ちを覚えるアルストの前で、無邪気に笑うイルディアの白い衣がゆったりと揺れる。
襟元が大きく開いたその服は、一見すればワンピースに見えた。
しかし、胴体部分と袖が一連になっており、ドレスとも衣ともつかない。
アルストは考えることをやめた。
「ねぇ?」
伏せていた顔を覗き込まれて、アルストは勢いよく顔を上げた。
イルディアが、ひどく近い位置にいる。
そのことに動揺しつつ、「何でしょうか」と問いを投げた声は冷静だった。
イルディアは、アルストの前で屈んだ姿勢をやめない。
膝をそろえて身を低くしたイルディアは、彼を見上げている形だった。
潤みがちな金の瞳。
ふわりと影を落とす睫毛。
上目遣いの視線から逃れようとする本能。
そして、礼を失してならないという理性。
二つが、アルストの中で戦争を繰り広げている。
「──ねぇ? 僕の寵愛が欲しい? 君になら、あげてもいいんだけどなぁ……?」
ほっそりとした手が伸びる。
手指の先は、アルストの唇に触れた。
右から左へ。ゆったりと、ゆっくりと、なぞっていく。
「ね、どう? アルスト──」
蕩けたような金の瞳。
ふっくらとした唇。
白い肌。
それらを眺めたアルストは、静かに肩を揺らした。