闇の中で
ホウ、ホウ
――鳴いているのはミミズクだろうか?
暗い森の中を早足で歩く。
正直、森をなめていた。
それも光源のない暗闇が、いかに恐ろしいかということも。
空を見上げても何も見えない。月の光さえ届かない深奥、という言葉が頭をよぎった。
実際には月が出ているのかさえわからないのだが。
制服の上着は土で汚れ、頬は枝葉で擦りむいて腫れていた。
ボーイスカウトの経験があるから、森の中でも大丈夫だろうという、素人考えが状況を悪くしたのは明白だった。
ごつごつした木の根があちこちにあり、足を引っかける度に生傷が増えていく。
土の上に積もった腐葉土は、幾分か湿っていて、とても歩きにくい。
舗装された道というものがいかにありがたいものか、否応にもわからされた。
足は鉛のように重く、痛む体からは疲労を感じる。
口の中がカラカラで喉が渇いて仕方がなかった。
何故、自分はこんな状況にあるのだろうか?
つい先ほどまでは、退屈な授業を終え、コンビニでダラダラと立ち読みし、家に向かってアスファルトの
道を歩いていたはずだ。
それがいつの間にか、木が多い茂った森の中にいたのだからたまったものではない。
リフレッシュできる森林浴は休日の密かな楽しみだったが、嫌いになりそうだった。
スンスン、と鼻を鳴らすと森の匂いがする。木の濃い匂いで胸いっぱいになり、酔いそうだった。
―オーン
獣の遠吠えが聞こえた。
犬のようにも思えるが、まさか狼?
だとしたらここは日本ではない?
自分の居場所もわからず、ここが日本ですらないとしたら、外国だろうか?
パニックになりそうなのを抑えつけ、体に鞭を打ち前に進む。
半時は歩いただろうか、木々が途切れ、開けた場所にでた。
目の前にはログハウスのような建物がある。
近づいてよく見ると、ログハウスというには手作り感が溢れていて、掘っ立て小屋のようだ。
普段ならこんな怪しい建物には寄ったりしないのだが、疲労困憊の状況が大分、危険度のグレードを落としていた。
歪なドアノブを見て一瞬、ノックをするか迷ったが、考えるのがおっくうで仕方なかった。
「すいません!誰かいませんか」
意外に大きく響いた自分の声にやや驚きつつも、返事を待った。
小屋の中でゴソゴソと動く音がすると、扉が開かれた。
「誰だおめえ?」
出てきたのは見上げるような大男。くすんだ金髪に粗末な身なりをしている。
贔屓目にみても凶悪な人相は、悪党の類であろう。
――何故、僕はこの小屋を訪れてしまったのか。後悔は先にたたず。
「中に入れ」
返事をしないこちらを大男は訝しんだものの、中に入れてくれた。
小屋の中は色々な物でごちゃごちゃしていたが、男に促されるままに適当に座った。
「おめえ、この辺りじゃ見ない面してるな。余所者か?ん?」
余所者、そうかもしれない。ここがどこかもわからないんだから。
「その前に水を一杯ください。水を!」
かすれた声で水を必死にねだる姿に男は、奥へ行くと、椀に水を入れて戻ってきた。
差し出された水を椀ごとなめるように、犬みたいにがっついた。
3回に渡っておかわりした僕は我に返ると、急に恥ずかしくなってきた。
「ようやく落ち着いたようだな。ここがどこだかわかるか? おめえの身なりはこの辺りじゃ見たことねえ。しかし、俺の言葉がわかるって事は、ロマニアから来たってわけでもなさそうだな」
「ロマニア…?それってどこですか?」
聞いたことのない地名だ。どこの地方だろうか。
「ロマニアを知らねえ?おめえ、相当田舎で生まれたのか?俺のいるこの辺りだって田舎には違わないがよう、誰だって知ってるぞ?」
聞けば、ここより東にある大きな国のことらしい。そんな国聞いたことないぞ。
「あそこはよう、物がたくさんあって、みんな綺麗な服で歩いてる。おっかない兵士共はいるが、いいところだ。」
部屋の中央は土間のようになっており、小さな竈のようなものが置かれている。
薪をくべて火を絶やさずにし、よくわからないスープを椀によそわれ、飲んだ。
あまりの獣臭さに吐き出しかけるが、我慢して飲んだ。
「俺は元々はダキアの方に住んでいたんだが、ロマニアの奴らに税金だなんだといって、色んなもん、持っていかれるのが頭にきてよう、徴税官を殴り飛ばしちまった。いまではお尋ねものだ」
デケバルスと名乗った男は干し肉をかじりながら、ロマニアに対する愚痴とも憧れともつかない事を
話てくれた。
僕も試しに干し肉を食べてみたが、余りの硬さに歯が壊れるかと思った。それに塩が効きすぎていて、正直おいしくない。
つーか、これ何の肉だよ。
「んじゃ、あんたはその、ダキアって所から逃げてきて、ここに住んでるわけだ。一人で住んでるの?」
「…家族はダキアに置いてきた。俺は捕まったら打ち首だがよ、家族はなんとか暮らしていけるはずだ」
苦々しい顔を見ると、一人で住んでいるのは本意ではなさそうだ。
「前まではよう、ゴートとかいう奴らがダキアに居たんだが、ロマニアと戦って、いつの間にか西の端っこに追いやられちまった。ゴートの奴らは狂暴で戦に強いんだが、おつむがいまいちでなぁ。ロマニアに丸め込まれちまった」
なるほど、ゴートは虎みたいに強いが、後ろで操っている狐の方が上手だったみたいだな。
ていうか、ゴートってどっかで聞いたことがあるような……
デケバルスは途中から酒を飲みながら、横になると、いびきをかいて寝てしまった。
僕に襲われるとか考えないのだろうか?
いや、東洋人は若く見えるっていうし、子供だと思われてるんだろう。
まあ、大人でもないけどね。
考えることはたくさんあるはずだけど、とりあえず今は横になりたかった。
しばらくパチパチと火の弾ける音を聞いていたら、疲れていたのかいつの間にか眠っていた。