#02 灰田くん、妹の病気を治す?
「……どうする?」
教室の後ろ、机を囲んで座る五人の生徒たち。
そのうちの一人、男子生徒の藤田が告げた。
「こうなったら……灰田で良いんじゃないか?」
同じく机を囲んでいる女子生徒、新谷が声を上げる。
「ていっても、美術のモデルでしょ? 誰がやっても一緒じゃないの?」
次の美術の授業で各班一人モデルを決めてデッサンをすることになっている。
そのモデル決めで誰にするか難航していた。
ふう、とため息をつく藤田。
「分かってないな……モデルになった生徒は絵が描けないだろ? そのかわりにあとで美術の園崎先生をモデルに絵を描かされるんだよ。ちなみに先に授業を受けた一組のやつ情報な」
「げぇ……」
新谷が嫌そうに声をあげる。
美術の園崎先生は……なんというか、その、有体に言ってブサイクだった。
あの人をモデルに絵を描く……どんな拷問だ。
灰田のやつは何だか知らないが、ここ最近ずっと無表情で、調子が悪そうだった。灰田なら園崎先生をモデルに絵を描くのも苦に感じないだろう。
机を囲んでいた五人は沈黙の後、黙ってコクリと頷く。
「「よし、灰田にしよう!」」
その時、ガラっと音がして、教室のドアが開く。
灰田が帰ってきたのだ。
「あ、灰田。ちょうど良かった。今度の美術の授業のモデルだけど……」
藤田がそう声をかけようとして、止まった。
灰田の様子が予想と違ったのだ。
その顔には笑顔が浮かび、雰囲気も明るくなっていた。
いつもの灰田に戻っていた。
「んー、美術のモデル? 何だよ俺抜きで決めるなよ」
灰田はそう言うと、藤田の隣に座る。
「お、おう、悪い……」
藤田は多少、気後れして答える。
「それじゃ、みんなで相談して決めようか」
灰田が笑顔でそう言った。
どうしてか分からないが灰田は完全に元に戻っていた。
結局、灰田を混ぜて相談の結果、最終的にじゃんけんで決めることになった。
ちなみにモデルは藤田に決まった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
その日の放課後、俺は帰宅しようとしていたところを金本に呼び止められた。
「灰田、ちょっと良いか?」
「ん? なに?」
俺はカバンを持って立ち上がったところだった。
「今日の放課後にさ、囲碁将棋部のメンバーで集まれないかな? 顧問の先生に紹介したいんだよ」
「うーん……」
俺は迷った。今日の放課後か。
「結構、時間かかる?」
「いやそんなにはかからないと思うよ。顔合わせくらいの認識だし。何なら途中で帰るのもありだよ」
途中帰宅ありか。
「ん。それなら行くよ」
「良かった。それじゃこのあと一緒に理科準備室まで来てくれよ」
「ああ、分かった」
俺と金本は理科準備室まで一緒に廊下を歩いていく。
途中、金本がふと声を掛けてきた。
「灰田さ、何かあったのか?」
「ん? なんで?」
「いや、調子戻ったみたいだからさ」
「あぁ……」
俺は何と答えるべきか考える。
ふとある考えが浮かび、俺は答える。
「好きな海外のバンドが解散してさ。悲しんでたら、昨日の夜に解散はやっぱり止めるって発表があったんだよ」
適当にデタラメを言う。
「へぇ、海外のバンド……まぁ、元気になって何よりだよ」
金本は納得した様子だ。屈託のない笑顔を向けてくる。
(う……)
その笑顔を見ていると何だか嘘をついたことを責められているようで、後ろめたい気持ちになってくる。
やがて理科準備室の前まで到着する。
金本はドアを開ける。
中には男子生徒二人、女子生徒一人が居た。
「おぉー!」
女子生徒が入口まで詰め寄ってくる。
「その人が新しい部員?」
俺の顔をまじまじと見つめてくる。
顔が近い。この女子、遠慮とかを知らないのか。
金本は慣れた様子で答える。
「そうだよ」
「ふーん。へー。ほー」
金本と俺は中に入る。
その間、女子生徒は俺の周りをぐるぐると回っていた。
「灰田、紹介するよ。こちら二年の川原」
川原と呼ばれた女子生徒は、手を胸に当てて自己紹介する。
「川原よ」
「それでこっちの二人だけど……」
金本は本を読んでいた小さな男子生徒を指す。
「こちらが一年の倉田」
「……どうも」
倉田は本から視線を離さずに答える。
金本はもう一人の太った男子生徒を指す。
「こちらが三年の望月先輩」
「こんにちは~」
望月先輩は笑顔で挨拶してくる。
金本は最後に俺を指してくる。
「そして、こちらが二年の灰田です」
「どうも、灰田です」
俺は自己紹介する。
「顧問の先生ももう来ると思うよ」
金本がそう言うと同時に、狙ったようなタイミングで理科準備室の扉が開く。
「お、もう集まってるな」
入ってきたのは理科の先生の桜田先生だった。
四十半ばで中肉中背の男性だ。
「ひー、ふー、みー……うん、確かに五人居るな。よく集めたじゃないか金本」
「いや苦労しましたよ」
桜田先生は俺たち全員を見渡すと、自己紹介してくる。
「まぁ、そんなわけで、俺が顧問をやることになってる桜田です。この中の何人かは理科の授業でもう知ってるかな」
桜田先生に答えるように、俺たちはもう一度、各自、自己紹介をする。
桜田先生はそれを聞いて満足そうに笑う。
「それで、ついでだから部活動の入部申請書持ってきたぞ。たしかまだ渡してないんだろ?」
桜田先生は五枚の用紙を取り出す。
金本は思い出したように礼を言う。
「ありがとうございます、助かります!」
金本は受け取った用紙をみんなに配っていく。
桜田先生はそれを見ながら近くにあったイスに座る。
「明日の職員会議で囲碁将棋部を先生方に相談してみるよ。まぁ結論が出るのは一週間後くらいかな。部室は……まぁ適当な部屋を見繕うよ」
「囲碁と将棋は……まぁどこでも出来ますし、小さな部屋でも良いですよ」
金本と桜田先生は二人で話し込む。
やがて入部申請を書き終え、桜田先生はそれを回収すると俺たちに聞いてくる。
「それで今日はこのあとどうするの? なんなら将棋盤もってこようか?」
俺は手を上げる。
「あの、俺、今日このあと用事があって……先に帰っても良いですか?」
「ああ……そうだったのか。それじゃ灰田は先に帰っても全然構わないよ」
「ありがとうございます」
俺はカバンを持って立ち上がる。
「それじゃ、先に失礼します」
「ああ、またな」
金本はそう言う。
「またね~」
川原もそう言って手を振ってくる。
俺は手を振り返して理科準備室を後にした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
駅前の病院。
昨日まではここに来ると吐きそうになっていたのに……というか実際吐いたが、今日は違った。胸のつかえがとれたような晴れ晴れとした心象だ。
俺は病院の五階、廊下の奥の部屋まで来ていた。
(どうしても試しておかなきゃいけないことがある……)
俺は病室に入った。
妹が俺の姿を見ると笑顔になる。
「お兄ちゃん、彼女出来た?」
「出来てねーよ!」
妹は笑顔を崩す。
「なんで出来てないの?」
「なんでも何もあるか! 出来てないものは出来てないんだよ!」
「昨日、次に会うときに彼女作ってねって言ったのに……」
妹はやれやれと首を振る。
「そんなんじゃ、私が死ぬまでに彼女出来ないよ?」
「…………」
妹はそう言う。
俺は無言で妹の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「死ぬとか言うな……悲しくなるだろ」
「……ごめんなさい」
妹は黙って撫でられている。
俺は撫でるのを止めて、改めて妹に話しかける。
「ちょっとお願いがあるんだけど……良いか?」
「何?」
俺は深呼吸してから妹にこたえる。
「ちょっと……良いって言うまで目を瞑ってくれないか?」
妹は目をぱちぱちさせる。
「なんで?」
「なんでも」
怪訝な顔する妹。だがやがて肩をすくめる。
「ま、良いよ……はい」
妹は目を瞑る。
俺は一息つくと、両手を前を突き出した。
(出ろ……心衣領域……)
俺の目の前に心衣領域が出現した。
黒いシャボン玉のような空間の歪み。
俺は心意領域で妹の体を覆った。
本当に心衣領域が何でもありなら……。
(妹の病気も……治せるはずだ……)
俺は大きく息を吸って、止める。
心意領域に念じる。
(妹の病気を治せ!)
心衣領域で肉体の治癒もできるのは確認済だ。
俺は学校に居る内に、カッターで自分の指を軽く切りつけて、それを心衣領域で治療できるか試してみた。すると心衣領域は指先の傷を後片もなく治してしまった。治癒の瞬間、心衣領域には重い手応えがあった。恐らく、それが治癒を行っているときの手応えなのだろう。
俺は妹の肉体を治癒しながら手応えを確認した。
だが、帰って来たのは……手応えの無さだった。
(ん……?)
俺は強く念じなおす。
(治せ!)
やはり手応えがない。
俺はムキになって念じ続けた。
(治せ、治せ、治せ、治せ、治せ、治せ、治せぇぇっぇえぇ!)
ぐぬぬぬぬ!
ぐぎぎぎぎぎぎぎぎ!
ぐんぬぅうらあああああああああああ!
何かに……阻まれているように、心衣領域は妹の肉体に干渉できなかった。
……これは……もしかして?
「ぜぇ……ぜぇ……」
俺は数分間粘ったあげく、肩で息をしていた。
汗もかいているし、まるで全力疾走したあとのようだ。
「ねぇ、もう良い?」
妹が目を瞑ったまま聞いてくる。
俺は心衣領域を消すと、息を整えて返事をする。
「ああ、もう良いよ……」
「随分長い間だったけど、いったい何して……うわ、どしたのその凄い汗!?」
「……祈ってたんだよ。病気を治してくれって、神様に」
「祈りでそんな汗かく?」
「かくの」
「…………」
妹は納得してない様子で俺を見てくる。
俺は顔をそむける。
「……はぁ、まぁ良いけど」
妹はそう言ってため息をついた。
俺は妹に向き直ると、すまなそうに小声で呟く。
「……すまん」
「ん? 何?」
「何でもない」
妹は怪訝な表情をみせる。
が、すぐに笑顔になる。
「それよりさ、お兄ちゃん。何か良いことあった?」
「……なんで?」
「昨日より元気になってるじゃん。今日は空元気じゃないでしょ?」
空元気。
俺は妹に無気力状態だったのを見破られていたのにショックを受けた。
俺の努力は何だったんだ。
「んん……ちょっと色々あってな。そうだな……」
俺は人差し指を立てる。
「一カ月くらいしたら話すよ」
「なんで一カ月……まぁ良いよ。本当に一カ月待つからね」
そう言って妹はそっぽをむく。
その後も談笑を続け、一時間程たったところで病室を後にした。
俺は病院を出たところで立ち止まる。
(ミオンの話していたルール三『一般学生への攻撃は禁止する』……またはルール四『校外での襲撃を禁止する』……どっちかの影響だ)
妹の肉体に対して心衣領域で何も干渉できなかった理由。
それしか考えられない。
俺は病院を見上げる。
(良いぜ……勝つしかないってんなら、全員倒すだけだ)
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
その日の夜。
俺は自宅の自室で悩んでいた。
(どんな武器にするか?)
CDプレイヤーがお気に入りのバンドの曲を流す中、俺は考えた。
心衣領域を展開して棒、剣、盾、と形を変えていく。
続いて心衣領域の中で火を起こしたり、風を起こしたりしてみる。
(本当に何でもありだな……)
飛び道具にするか……でも接近戦に強い相手に近つかれたら?
じゃあ接近戦に強い武器に……しかし相手が飛び道具だったら?
ならいっそのこと……遠近どちらも出来る武器に?
「……うーん」
結論が出ないまま一時間が経過した。
ええい、今日のところは一旦武器をどうするかは保留だ。
俺は駅前のジムで買ってきたスポーツ用品を並べた。
リストトレーナー、リストウェイト、ダンベル……。
これらを買うのに今月のお小遣いをほぼ使いきってしまった。
「よし!」
俺はリストウェイトを手首にまくと、腹筋を始めた。
「一……二……三……」
ミオンの言っていた試合がどんなものにしろ、体力勝負なのは間違いない。
だったら少しでも鍛えておくに越したことはない。
「十二……十三……十五……」
その日の夜遅くまで、俺は筋トレに励んだ。
その結果。
翌朝、俺は酷い筋肉痛に悩まされた。
「痛い……あだだだだ……」
腕が痛い。腹が痛い。脚が痛い。
体の節々が痛い。
くそ……こんなことなら何か運動部に入っておくんだった。
この程度で体がこんなに悲鳴を上げるとは思わなかった。
だが、止めるわけにはいかない。
時計の針は朝の五時を示している。
眠い瞼をこすり、着替えをすまして外に出る。
俺はジャージ姿で家の前に立つ。
「ふう……やるか」
朝の寒気をはらんだ空気が肌をさす中、俺はジョギングに出かけた。
寒い……こんな中、走るのか。
だが、体力勝負になるのは目に見えてる。
やらなくてどうする。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
その日の俺は筋肉痛に耐えながら午前中の授業を受けた。
「だ、大丈夫か……灰田?」
机に突っ伏している俺に金本が聞いてくる。
俺は顔を上げずに片手を上げて親指を立てた。
「そ、そうか……ま、まぁ無理するなよ……」
今は昼休み。
少しでも休みたい俺は机で寝ていた。
窓から心地よい風が吹いてくる。
(あぁ……眠い)
そのまま俺が眠りに落ちようしていたときだった。
廊下の方が何やらざわつく。
何かあったのか? まぁ俺には関係ない……このまま寝よう。
「――おい、あれ椿だろ?」
「――相手は……一年の子か?」
ピクっと耳が動く。
俺は痛む体を抱えて、ムクリと立ち上がった。
そのまま教室を出る。
廊下をキョロキョロ探していると、騒ぎの元はすぐに分かった。
二年二組の入口のところに人垣ができている。
俺は人垣をかき分けて進む。
「――だから、しつけえって言ってんだろ!」
椿が居た。
ミオンに選ばれた八人の内の一人。
ガラの悪い不良生徒だ。
「で、でも、お父さんがお兄ちゃんに謝らせろって……」
そう言ったのは一年の女子生徒だった。
椿と教室の入口のところで押し問答している。
「はぁ……」
椿は溜息をつく。
「とにかく、俺は謝らねぇぞ。クソ親父にそう言っとけ!」
そう吐き捨てて、その場をあとにしようとする。
「あ……」
それを見て女子生徒は、咄嗟に椿を引き留めようと椿の制服の裾をつかむ。
椿は女子生徒の方を見ずに、それを乱暴に振り払う。
「きゃっ!?」
椿にそのつもりは無かったろうが。
椿の手が女子生徒の顔を横殴りに打った。
椿は一度振り返ると、顔をしかめ、そのまま何も言わずに立ち去ろうと――。
「――おい、謝れよ」
椿にそう言ったのは――俺だった。
俺は完全にキレていた。
年下の女子生徒を相手に、あの態度は何だ?
周囲ではそのまま椿が立ち去ると思っていた生徒たちがギョッとしている。
「…………」
椿は俺を無視してそのまま歩いて行こうとする。
俺は椿の肩に手をかけ、椿を無理やり止めた。
「謝れって言ってんだよ」
椿は俺の手を無理やりにどけ、俺の方に向き直った。
「あ?」
俺に対して睨みをきかせてくる。
「『あ?』じゃねえよ。謝れって言ってんだよ」
俺は睨み返す。
椿と俺は三十センチも離れていない距離でお互い睨み合った。
二人の間に一触即発の空気が流れる。
「なんだなんだ、お前ら何やってるんだ!」
学年主任の田崎先生が、人垣をかき分けてやってきた。
田崎先生は椿の姿を見つけると、顔をしかめる。
「椿……またお前か!」
「ちっ……」
椿は舌打ちして、その場をあとにする。
「おい、待て椿……!」
田崎先生はそれを追っていく。
二人が居なくなって、周囲の生徒たちも散っていく。
あとには椿と話していた女子生徒と、それを介抱する生徒たちが残るのみ。
俺はふんと鼻息を鳴らす。
「いや……うん、灰田って本当、ときどき凄いよな」
いつから居たのか、俺のすぐ後ろで金本が呟く。
「金本じゃん」
俺は金本の方を向く。
「だってあいつ見たかよ? 一年の女子生徒を突き飛ばして、謝りもしないだぜ! そりゃあこっちだってキレて当然だろ! お前だってそう思うだろ!」
「あー……うん……そうだね」
金本が力なく相鎚を打つ。
俺は二年二組の女子生徒に介抱されていた一年の女子生徒に近づく。
「大丈夫? ケガなかった?」
女子生徒は慌てて立ち上がる。
「はい……あの、先程は兄がどうも失礼しました」
「……兄?」
俺は先程の会話を思い出す。
そういえば『お兄ちゃん』とか呼んでた気がする。
「……椿の妹?」
「はい」
言われてみれば目元とかが似てるような……。
待てよ、だとしたら……。
「椿は……妹の顔を殴ったのか?」
俺は体内の血液が冷たくなっていくのを感じる。
「待て……落ち着け……灰田」
何かを察した金本が俺の肩を掴んでくる。
「……落ち着いてるよ」
俺は底冷えのする声で呟く。
そうか。
妹の顔を殴って、謝りもしない。
そういう奴か……。
俺の瞳に静かな怒りの炎がともる。




