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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

02

作者: たんす

ただの兵士、戦場の構成単位のひとつにしか過ぎない自分にとって、それは当たり前のことだった。

ほんの数ヶ月前まで銃を握ったことさえなく、両親や兄弟、友人達とともに当たり前の幸せを謳歌していた自分にとって、それは受け入れがたいことだった。


走る、走る、走る。

撃つ、撃つ、撃つ。


積み上がった屍の山が大地を覆う。

流れ出した血の河が大地を赤く染め上げる。

一歩踏み出せば、誰かのちぎれた腕を踏む。

二歩踏み出せば、誰かのこぼれた腸を踏む。

右に目をやれば、並んで走っていた戦友の顎から上がなくなっていた。

左に目をやれば、恐慌状態に陥った戦友が既に息絶えた敵兵にのしかかり、絶叫しながら首を締め上げていた。


黒い大粒の雨が降っていた。

絶え間なく降り注ぐ砲弾の雨。

それらは地面に当たると赤黒い炎と煙を出して弾け、爆音とともに強烈な熱を孕んだ風を噴き上げる。

同時に、大量の土砂とそれに混じった人間の破片が辺りに飛び散った。

今目の前で炸裂した砲弾はどこから飛んできたものだったのか。

今目の前でバラバラの肉塊に変わったのは敵だったのか味方だったのか。


あちらでは、下半身を失いながらもまだ息のある兵士が呻いている。

こちらでは、荒れ狂う爆風に晒されて皮膚が焼けただれた兵士が掠れた声で泣き叫んでいる。

前から、後ろから。

右から、左から。

苦痛の悲鳴が、正気を手放した笑い声が、生き延びようともがく必死の息遣いが、人間のものとは思えない断末魔の叫びが。

あらゆる方向からあらゆる声が聞こえてくる。


この戦争はいつから始まったのか。

なぜ始まったのか。

いつ終わるのか。

なぜ自分はこんなところにいるのか。

何人殺せば帰れるのか。

あるいは、帰ることなどできないのか。

この場にいる誰にもわからない。


ただ命令に従って走る。

ただまっすぐに走り続け、視界に映った敵に銃を向けて引き金を引く。

目の前の敵めがけてナイフを振り下ろす。

徴兵されてから教わったのはそれだけだ。

考えることはそれだけでいい。

難しいことなんてなにひとつない。


撃ち殺した敵の返り血を浴びる。

斬り殺した敵の臓物を浴びる。

つい数時間前まで土色だった迷彩服が赤黒く染め上げられる。

独特の"てかり"、吐き気を催す臭気、舌が痺れるような鉄の味。

踏みしめれば耳障りな水音を立て、掌に染みついたそれは握る銃把をぬめらせる。

赤と黒。

五感で感じる血の色、内臓の色、人の色。

実に見慣れた色だ。

なにせ視界いっぱいに広がっている。

数千人数万人もの血の受け皿となって、ぬらぬらと赤く輝く大地と同じ色。

それでもなお渇く、なお足りぬとばかりに血を吸い上げ続ける大地と同じ色。


ここは地上、立っているのは地面の上。

ここは海上、走っているのは海の上。

死体の山は際限なく積み上がる。

血の海はとめどなく広がりゆく。

今自分が踏みしめているものが地面なのか死体なのか、それさえよくわからない、。

走って、走って、走って―――


不意に、右脇腹に衝撃が走った。

ひとつ、ふたつ、みっつ。

視界が揺れ、霞み、両足から力が抜ける。

服の内側で、腰から足にかけて液体が流れ落ちる感覚。

身体という器から、何かがこぼれ落ちていく感覚。

ぽっかりと風穴のあいた肉体が、脳に違和感を訴える。

興奮しきって熱暴走を起こした脳に冷や水をかけられる。

冷静な思考力が戻ってくる。

戦場の構成単位たる"兵士"になりきっていた精神が、"自分"に立ち戻る。


痛い。

撃たれた。

どこから。

右から。

視線を送る。

自分を撃った者の姿を視界にとらえる。


小さい。

子供だ。

細い。

女だ。

薄汚れた長い髪。

血と泥に塗れたランニングシャツと短ズボン。

足はサンダル履き。

全身に青痣と軽い切り傷。

腹部が少し膨らんでいる。

歳は十を過ぎた程度だろう。

手には突撃小銃。

ポケットから突き出すマガジン数本。

弾が切れたらしく、震える手でリロードを試みている。

だがそもそも方法を知らないのか、空の弾倉を外すことすらできていない。

よく見れば周囲にも、似たような背格好の死体がいくつか転がっていた。


相手の情報を認識し、冷えた頭で考える。

なぜ銃器の扱いも知らない子供が戦場にいるんだ?

なぜそんな子供が自分を撃ったんだ?

なぜ―――

だが瞬きひとつの間にその精神は、再び"兵士"のものに塗りつぶされていた。

所属や敵味方を示すものは何も持っていない。

だが撃たれた。

撃たれた以上、あれも敵なのだろう。

敵は斃さなくては。


銃撃を受けたせいだろうか、バンドで首からぶら下げたライフルが重く感じる。

上手く構えられない。

ならばと胸のホルダーから拳銃を取り出し、銃口を向ける。

敵が銃を捨て、背を向けて逃げ出そうとする。

片手で構えたまま、引き金を引く。

敵の左足が弾け、血が噴き出す。

致命傷ではない。

外れた。

手が震えて狙いが定まらない。


接近する。

敵は苦痛に喘ぎ、蹲っている。

さらに接近する。

敵は呻きながら、濁った目に涙を溜めてこちらを見ている。

再度、銃口を向ける。

敵はきゅっと目を瞑り、歯を食いしばり、銃口から顔を背けている。

引き金を引く。

胸に二回、頭に一回。

敵は短く悲鳴を上げ、幾度か体を痙攣させた後、動かなくなった。


敵を斃した。

次の敵を探さなくては。

だが、体が言うことを聞かない。

頭がぼんやりする。

砲弾は相変わらず降り注いでいるし、別の敵がどこに潜んでいるかもわからない。

あまり一箇所に留まるのはよくないだろう。

そう思っていても、やはり足は動かない。

動かないどころか、その場に膝をつこうとしている。

撃たれた傷が痛む。

がくりと両膝を屈する。

足元に目をやると、すっかり鮮やかな赤色が広がっていた。

一秒ごとにどんどん広がる。

こぼれ落ちる。

死ぬ。

死ぬのだろうか。


ふと正面を見れば、何かが光るのが見えた。

独特の鈍い輝き。

あれは狙撃銃のスコープの反射だろうか。

霞がかった視界の奥の煌めきは、故郷の夜空に浮かぶ一番星のようだった。

こちらを狙―――


ほんの数ヶ月前まで銃を握ったことさえなく、両親や兄弟、友人達とともに当たり前の幸せを謳歌していた自分にとって、それは受け入れがたいことだった。

ただの兵士、戦場の構成単位のひとつにしか過ぎない自分にとって、それは当たり前のことだった。

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