東北への旅
いよいよ東北調査の出発日になった。俺はレンタカーのハイ・エースを受け取るとアルトカイールに向かう。
喫茶店は既にお休みの準備を終わらせていて、近衛と倉林はアンパンをかじっていた。玲子は蒟蒻ゼリーのパックをくわえている。
パソコンや録音機、ビデオ等を積み込み、着替えなども放り込む。玲子はボードゲームと携帯トイレまで用意していた。
車内でするつもりかと携帯トイレを指さして聞いたら頭を叩かれた。
「外のトイレが不衛生なときの緊急手段よ。デリカシーがないわね!」
これ見よがしに携帯トイレを積み込む方もデリカシーは如何程かと思ったが、俺は大人だから声に出して言ったりしない。
こそこそと近衛社長がクーラーを積み込む。中を見るとビールが入っていた。
「いや、別に森田ちゃんだけに運転押し付けて飲もうってんじゃないんだ。ほら、僕は大きな車の運転って苦手だから・・・」
なら、キャンピングカーとか買ってどうするつもりだったんだ。
その騒動の横を倉林が更に大きなクーラーをこっそり積み込もうとする。急遽臨検するとワインとつまみのソーセージとかが入ってる。
「いや、別に森田さんに運転を押し付けて飲もうってんじゃない。ほら、喫茶店締めちゃうから、冷蔵庫の中から足の速いものを持ってこうかと・・・」
目をそらして言い訳する倉林の横に玲子が割り込んで来る。
「大丈夫です森田さん。酒と肴は私が責任もって一元管理します」
事前調査より遠足の様相を呈してきたハイ・エース。
既に積荷満載に近い状態でアルトカイールを出発し、裏野ハイツに葛葉たちをピック・アップに向かう。
更に大量の着替えやら何やら、・・・ビーチ・パラソルなんて何に使うんだ?
葛葉達三人が乗り込むと、サスペンションが思いっきり沈み込んだ状態でハイ・エースが走り出す。途中で説得して一部を宅配便で送り返すかことを提案しよう。
東北自動車道に入って最初のSAは確か佐野だったか?蓮田だったか?俺は助手席にいい子で座る玉藻に聞いた。
「最初のSAまで俺が運転するが、その後は順番に車に慣れるようにしよう。車重がかなり重くなってるから、ブレーキの感覚が変わってる。
オービスの位置をこの雑誌でチェックできるか?まぁ、あまり無理して走る必要はないがな」
「車の運転なら大丈夫。あと、覆面パトカーも注意してみておく。最初は蓮田SA」
あとで知ったことだが、この時すでに行く先々に野孤の伝令が走っており、道中の安全を保証すべく各地の稲荷神社に協力を求めていたらしい。
取り敢えずソフト・ドリンクを飲みながら和やかにご歓談いただく予定だった。
しかし、途中で昨年ヒットした『君の名は。』に話が及んだ辺りから近衛、倉林、俺の顔は暗くなる。葛葉がハイテンションで語り始める。
「素敵よねぇ。人と人とを結ぶ紐が時空を超えて繋がってるなんて。
電車ですれ違っただけで、相手が大切な人だと感じて、二人が次の駅で降りて走ってお互いに会いに行くなんて。
何にも記憶になくても実は繋がってるってあると思うの」
『あたしが何を言いたいかわかっているわよね』と言わんばかりの勢いで倉林を見つめる。
倉林は顔をひきつらせながら、『い、いゃぁ・・・切ないですよねぇ』と繰り返すばかり。
蓮田SAに着く頃には倉林は蒼い顔してフラフラになっていた。取り敢えず、トイレ休憩をとり親父達三人は連れションに行く。
船が沈没して救命ボートで漂流しているとき、『死ぬかもしれない』とか叫ぶのは反則である。そうだと思っても言わないのが最低限の思いやりってもんだろう。
その最低限の思いやりをどこかに忘れてきてしまった近衛社長が便器の前に立ちながらボソッと言った。
「気が付かなかったけど、『君の名は。』ってホラーだったのかもな」
高校生の主人公が同世代の女の子と入れ替わりになったが、時空を超えた入れ替わりで三年前に死んでいた設定だったと思う。
三年前に女子高生だった女と同級生のように接していたことを見ると、女は三年位年上って計算になる。
就職活動中のある日、突然出会ったっていうと、計算では25歳位か・・・。
なんかの因縁がありそうなクリスマス・イブを過ぎた女と出会う。確かに繋がりがありそうだが思い出せない。
『会ったことがあるような気がする』というと、いきなり涙ぐむような重たい年上の女。もう直ぐ婚期を逃すテンパってる女だ。
場の雰囲気から『人違いでした、ごめんなさい』とか言ってスルーできそうにはない。
恐らくあの後は済し崩し的に結婚することになるのだろう。20代、30代という男の人生の中で最も煌めく期間が、年上の女との結婚生活により暗く塗り潰される。
そして疲れ切った40代で子供達が大学に通い始め、老後の資金を食いつぶす。
何もかも失った50代、妖怪のごとく醜く変わり果てた女につきまとわれ、『甲斐性無し』罵られ、早くお迎えが来ないかと天を仰いで涙ぐむ。
耐えられなくなった男は、電車に飛び込むぐらいしか逃れる術を思い付かない。
詰んでるな。
俺と倉林の頭の中が暗い想像で塗りつぶされた所で、近衛社長が非情にも暗いイメージを補強する。
「逃れようにも蜘蛛の巣のように絡みつく組紐。主人公は普通の少年だったのに。本来なら絶対に出会うことのない二人だったのに。
一体どこで魔に魅入られたのだろうか」
倉林の背中がピクリと動く。唇に血の気がない。近衛社長が更に追い打ちをかけるように涙声で絶叫した。
「あの男の人生にもう何も良いことなんかないんだぞ!
女子高生と嬉恥ずかしキャッキャウフフの思い出がないまま、あんな重たそうな女から逃げられないんだぞ!!」
「うげぇえ、・・・・」
たまらず倉林が吐いた。俺は倒れ崩れそうになる倉林を支える。
「大丈夫か倉林。社長、流石に言い過ぎですよ」
倉林が涙を流しながら俺を見上げてくる。
「済まない森田さん。・・・なぁ、俺はもうだめなのか?」
まっすぐに俺を見つめて問いかけてくる倉林に嘘は付けない。俺は思わずサムアップしながら言った。
「大丈夫だ。お前だけじゃない。人間誰でも一度は死ぬんだ」
「コパァァ・・」
倉林はわずかに残った胃液を巨人兵のように吐き出した。
倉林の身体を水道で簡単に流させ、楽なトレーナーに着替えさせる。消臭剤と仁丹、そしてタオルを買って車に戻る。すっかり萎れた倉林を見て葛葉が慌てる。
「どうしたの倉林さん。大変、無理して仙台まで行くことはないわ。近くのインターでホテルを見つけてくれたら、わたしが残って看病するから」
倉林が無言の涙目で『置いて行かないでくれ、連れて行ってくれ』と俺に訴えかける。
先の大戦で南洋諸島に傷ついた戦友を置き去りにして帰還した日本兵はさぞかしつらかったろう。
大丈夫だと俺は倉林に目で合図を送る。
「こうなると男は逆に弱いもんです。急に心細くなるから、置いて行かない方が良いと思います。
次のPAかSAまで様子を見て、どうしても無理なら全員で泊まれる場所を探しましょう」
近衛社長が手を差し出すと、倉林のその手を縋るように握る。近衛社長が低い声で言った。
「バディ。いっしょに、もう一度空をみよう」
どうやら近衛社長の頭の中では『海猿』のテーマ・ソングが流れ始めたみたいだ。
近衛がバディを見捨てないか否かは極めて疑問であるが、今は目の前の問題を解決することに集中しよう。
「玉藻さん、次のSAまで運転してくれるかな。もしかしたら僕より上手いかもしれない」
「任せて。揺らさない」
玉藻は自信があると言い切るだけあって、動き出したハイ・エースは氷上を滑るように揺れない。八重のナビケーションは安心感がある。
ただ、葛葉が唱える回復魔法らしき不気味な呪文が倉林を苦しめていた。
運転は八重も葛葉も腕が良かった。平安時代から生きていた妖狐なら当たり前だったのだろう。
恐らく日本で初めて走った車のことも知っており、当然のことながら好奇心の強い彼女たちは車を散々玩具にしたはずだ。俺なんかとは経験が違う。
あっという間に古川のICで降り、俺が昔立ち寄ったことがある鳴子温泉の宿屋に到着した。河岸声のように声の割れた老婆が迎えに出てくる。
葛葉は軽々と倉林をお姫様抱っこすると、早く休む部屋を用意して欲しいと老婆を急かした。まるで空気のように抱え上げる。
中学校の音楽で聴いたシューベルトの『魔王』を思い出したのは俺だけではあるまい。もう、倉林は魔王に連れて行かれるのだろうか。
しかし、俺達の心配を他所に倉林は夕食までに結構回復した。地下の共用男風呂で湯船に浸かっていたのが良かったらしい。
下手に気を使って部屋付の風呂に入れさせていたら、葛葉が入浴を手伝って悪化させていたかもしれない。
夜は宴会になりかけたが、倉林の体調もあるので早めに眠ろうと提案したら、葛葉はしぶしぶ部屋に戻った。
俺は地図を持って宿の玄関前の共用スペースに行く。
明日の宿泊先を決めなければならない。本来なら明日の午前中にでも倉林と方角を割り出し、次の宿に予約を入れるのだが。
いっそ葛葉たちに頼んでみようか。葛葉たちはカミングアウトしていないが、間違いなく妖狐だろう。玉藻なんざ、今更普通の女と言われても信じられるわけもない。
葛葉たちに聞けば一発で方角など割り出させたはずだ。なんたって本物の妖狐だ。妖狐の血を引いただけのナンチャッテ霊能者である倉林とは格が違う。
翌日、倉林と社長に葛葉の協力を得ることにつき相談すると、二人が強く拒否する。そんな秘密を共有したことになれば、後戻りできないというのだ。
「今はオフィシャルには正体を知らないことになっている。世の中には知らない方が幸せなことがあるんだ」
近衛社長が持論を力説する。倉林もうんうんと頷いている。仕方なく、倉林と俺の二人で呪詛の方位を見極めようとハイ・エースで宿の周囲を走った。
近くの鳴子谷にかかる橋の上でハイ・エースを止めると倉林が真剣な顔をして俺に話しかけてきた。
「このまま、ふたりで何処かに逃げないか?」
こいつ、近衛社長を裏切って自分だけ逃げようというのか?倉林は縋るような目で俺を見つめる。
しかし、一瞬橋の脇に映った狐の影を俺は見落とさなかった。倉林に目配せしながら言う。
「正気か?倉林。お前が葛葉さんの幸せを願って身を引きたくなる気持ちはわかる。しかし、今すぐ愛に答えなきゃならないというわけでもあるまい」
流石に霊能者だけあって、倉林も野孤の影に気付いたらしい。慌てて低い声でいった。
「すまない、森田。馬鹿なことを言った。彼女だけは幸せになってもらいたかったんだ。
思わず口から思ってもないことが出てしまった。彼女を悲しませるなんて俺には出来ないはずなのに・・・。ども、限りある命では彼女を幸せにできない・・・」
三文芝居の棒読み台詞だったが、クソ田舎の野孤は上手く騙せたようだ。野孤の遠吠えが渓谷に響く。
「上手くいったようだな」
「助かったぜ、相棒。これからも頼む」
近衛をあっさりと置き去りにしようとした奴に相棒呼ばわりされても落ち着かないが、取り敢えず宿に帰る。
野孤の報告を受けたらしい葛葉が倉林に駆け寄って一言。
「愛を止めないで・・・」
倉林の腕に音を立ててサブイボが立つのを俺は見た。
その後、簡単なブリーフィングをしたが、次の宿屋は盛岡近くの温泉によかろうとの話になった。
良さそうな雰囲気の宿屋が盛岡市の外れに見つかったが、多分予約でいっぱいだろう。
北に外すが良いか、東に外すが良いかを相談しながら宿屋のリストアップをしてると、ちょっと席を外していた葛葉が戻ってくる。
「念の為、一番良さそうなこの宿屋に電話してみましょう」
更に葛葉が付け加えるには、そこに二泊はした方が良いという。呪詛の源泉はかなり明らかになってきているが、現地に近付くほど用心が大切という。
倉林の話以外でここまで葛葉が真剣そうに話すのを見たことがない。
まさかとは思いながらも電話すると、ちょうど直前のキャンセルがあったという。
ちょうど空いている期間も二日間。俺達はあっさり二泊目三目の宿屋を決め、目的地に向かって走り始めた。
後で宿屋の女将の話を聞くと、なじみの客が急に腹下ししたとかでキャンセルになったらしい。
今思えば、大方、葛葉の命を受けた地元の野孤が天然の下剤でも一服盛ったのであろう。
宿屋に着くと、葛葉たちの顔からお遊びモードが消えた。妙に真剣である。歴戦の諜報機関エージェントが戦闘モードに入ったような感がある。
葛葉は言った。
「都会の恐ろしさを知らない奴を田舎者と呼ぶわ。同じように、田舎の恐ろしさを知らない奴を都会者と呼ぶの」
いつか俺自身が言った言葉を思い出す。葛葉は習慣の違いが恐ろしい結果をもたらすことを、民俗学の観点で簡潔にまとめながらレクチャーする。
田舎とは閉鎖社会だ。警察も消防も一族で構成されるような田舎では、法律なんてあって無いようなものだろう。
俺は四葉のクローバーのように地域を分け、調査と同時に起点に戻る案はどうかと言った。
明日は東を調べ、明後日は西に拠点を確保した上で北を調べる。
より呪詛の強い方向が途中で明らかになったら、まだ決定していない宿泊地を少し目標から離して確保する。
いきなり敵の本拠地に乗り込むのは危険だ。
葛葉は出来の良い回答をした優等生を見るような目をして言った。
「そのアプローチが一番安全ね。明日は遠野の手前位を調べる。その結果をここに持ち帰って検討しましょう」
軽く酒を飲んだ後、俺は宿の庭を散歩していた。玉藻がいつの間にか後ろに立っていた。
「明日、多分目標に掠る。まずは何も見なかったことにして帰るのが大切。何があっても、一旦は帰る。そうすれば問題ない」
綾波に雰囲気が似ている。本人も自覚があるようだ。玉藻が続ける。
「明朝、0時より発動される作戦のスケジュールを伝えます。・・・・」
天然か純粋のお馬鹿なのかわからん奴だ。
明朝、近衛は深酒が原因で、倉林は葛葉から離れた安心感で、両名とも目覚めない。
俺はアパート近くのホームセンターで買ったジーンズ生地のツナギ作業着を着こみ、頭に手拭いで鉢巻をしながら出発に備えて準備を進める。
プラグ・スーツを着込んで颯爽とコクピットに乗り込むパイロットをイメージしたかったのだが、・・・真にこの世の中は世知辛い。
のろのろ起き出してきた近衛と倉林を積み込んで、俺達は遠野周辺を探るために出発した。
岩手の山奥は新しさと古さが同居している。バイパスのように整備された道があるかと思うと、かなり痛んだ山道に変わる。
新しい道路の脇には、旧道と思われる草蒸れた迂回道がぼっかり口を開けている。
一昔前は鳥も通わぬ山奥と称されていたのかもしれない。新たに作られた道は、土着の文化を全て無視する宙に繋がった懸け橋のように見える。
バイパスされた村の小学校に通う子供達の姿は見えない。主を失った校舎が色あせて佇んでいる。
そこにあった筈の文化は全て捨て去られ、経済効率のためだけに遠隔を繋ぐ道。それが岩手の新国道だった。
余程開発のペースが速いのであろう。旧道を表示するナビ・システムが早々に現在地の把握を諦める。
ナビ上、俺達は今、谷川の上を走り抜けているようだ。
暫くして旧道だが車の通った気配のある脇道があった。大きな道がもう少し先にあるようにも見えるが、田舎の国道は往々にして砂利道なんかも残っているものだ。
ナビのズレから今ひとつ現在地が把握できない。途中まで行って無理なら帰ってくることにしよう。しかし、その前に後ろを向いて一言。
「葛葉さん、運転代わっていただけますか。倉林さんが体調崩すといけないから、上手い人に動かしてもらった方が良いと思います」
倉林のためと聞いて葛葉は俄然やる気を見せる。う~ん、見事だ。山道走ってるのに、身体に殆ど負担がかからない。
ただ揺らさないだけじゃなく、コース取りを上手くとって横に重力がかからないようにしている。
新幹線に乗ってるよりも遥かに快適だ。しかし、山腹にポッカリ空いたトンネルの入り口に近付くと、葛葉が速度を急に落とし始めた。
何かを強く感じたようだ。玉藻と八重も辺りを見回し始める。
旧式のカーナビは依然国道を外れている。しかし、この辺りは遠野の中心部分からは離れているようだ。
遠野からわずかに離れた場所だ。トンネルの中は電灯ひとつない。嫌な雰囲気に包まれるが、葛葉は速度を上げない。
やがて出口が近付くと葛葉さんは更に速度を落とした。良い判断だ。
トンネルの出口で強い夏の日差しに目を射られる。一瞬、辺りが見えなくなり、葛葉は素早くハイ・エースを止める。
視力が回復してから見回すと、トンネルの出口はT字路になっており、無数のタイヤのスリップ跡と折れ曲がったガード・レールがあった。
トンネルの出口でスピードを出し過ぎる車は多いようだ。
山肌に沿って左右に道が分かれているが、どちらも下の盆地に繋がっている。盆地には場違いな観光ホテルのような建物が数件あった。
他に外部に繋がる道はなさそうだ。唯一目に留まるのは山の側面を無粋に這う巨大な銀色のパイプで、どうも温泉水等を供給するものに見える。
しかし、肝心な観光資源らしきものは見当たらない。バブルかなんかの時代に土地の小金持ちが調子にのって建てたものか?
T字路を取り敢えず左に曲がって盆地に向かう。坂を下りると村役場の標識があったので、そこにハイ・エースを止めてもらった。
掲示板の隣に色あせた村の地図が表示されている。外部に繋がる道が反対側に一本あるようだ。
ただ、掲示物は長く張り替えられていないようで、紙が茶色く劣化して四方が丸まっている。
役場の玄関は空きっぱなしで、今日も人が来たらしい気配があるのだが、中には誰もいない。
ハイ・エースに再び乗り込み、村の中を探索しながら反対側の道を目指したが、がけ崩れで閉鎖中との表示があり、それ以上は進めない。
村の中の建物はやはり観光ホテルだったが、入口が開けっぱなしになって、水をまいた跡があるだけ。
土産物屋と兼ねているような雑貨屋には、昭和の遺物と思われるような古いプラモデルのケースが埃をかぶっている。
何よりも不気味なのは、人の気配がするのに、全ての村民が出払ってしまったようにいないのだ。
収入がおよそ見込めそうもない観光ホテルはどうやって維持されているのだろう。
東京ではほとんど経験することのないスマホ圏外。人工衛星使って通信が確保できるような機材はない。地図上の何処にいるのかわからない。
予定通り一旦撤退しよう。俺は走行距離計の表示をメモにとり、再び元来た道を戻ってもらう。
トンネルを再びくぐり抜けると、葛葉たちがため息をつく。かなり緊張していた様子だ。
俺は葛葉と運転を代わり、盛岡とは反対の三陸海岸を目指した。途中、走行距離の記録を取ることを忘れない。
宮古市は既に復興していたようだが、少し海岸線を走ると、一夜にして全てが無くなったような漁村が幾つかあり、それらは未だ津波の深い傷跡を残していた。
しかし、倉林は呪いの震源とは思えないと言った。
俺は裏野ドリームランドの老人のこともあって、てっきり津波と何か関係があるかと思ったのだが、倉林によれば深い悲しみを感じるものの、呪詛的なものは感じられないという。
感が外れたか。今日はもう宿に戻った方が良いだろう。八重さんに運転を代わってもらい、俺は走行距離の記録を再び取り続けた。
八重さんは順調にハイ・エースを走らせたが、それでも宿に戻ったころには、既に辺りは薄暗くなっていた。
俺達は急いで風呂に入り部屋に用意させた夕食の席に着いた。