玉藻と野孤と不良爺
ストレス解消目的の残虐行為ありです。
馬鹿騒ぎが落ち着いて家路についたのは辺りがすっかり暗くなってからだった。もう初夏と言っていい季節だから、8時は過ぎているのだろう。
基本、残業という概念すらないこの会社に入ってから、こんなに遅くなって帰るのは初めてだ。
考えてみれば殴られたのも久しぶり。覚えていたのより痛いのと、アドネラリンの分泌が適度に心地よいのが不思議だ。
もう若くはないのだとわかっているのだが、それでも心は昂る。
部屋に帰っても興奮が収まらない。俺は2週間ぶりにライディング・スーツに腕を通す。アパートの裏に停めてある愛車、Kawasaki 900Ninjaのカバーを外した。
30年以上前のバイクだ。バッテリーは先日新しくしたが、そえでも2週間放置していたのは痛い。しかし、恐る恐るセルを押したら一発で愛車は息を吹き返した。
近所迷惑にならないように慌てて表通りまでのろのろ移動させる。しばらく走らなかったバイクを安定させるには走行距離も稼いだ方が良いだろう。関内辺りに夜食でも食いに行くか。
アクセルを捻ると同時に盛り上がるような大型自動二輪の粘り強いパワーに身体が包まれる。ヘルメットの風切り音の強まり、清涼な夜風に内部が満たされたところで、フロントシールドを強く抑えて密閉する。風切り音が消えた不思議な空間がメットの中に生まれた。
湾岸高速に入って加速したところで、一台の大型バイクに追い抜かれた。Suzukiの刀だ。1100の方か?乗っているのは華奢な女性ライダーに見える。
そのすぐ後ろを下品な族車が追いかけている。絡まれているのか?
かなり腕のいいバイク乗りのようだし、刀ならその気になれば族車なんて置き去りにできるだろう。しかし、何故か刀は人気のないランプに降りていく。
高速での接触が怖くなったのかもしれないが、女性ライダーとして良い選択には思えない。
放っておくのも夢見が悪かろうと、俺も少し離れて追走し様子を覗うことにした。
・・・埠頭近くの廃車置き場。なぜ、こんな所に向かう?おまけにバイクを端に寄せて止めやがった。乱暴してくれと頼んでいるようなものだ。
族車がその前を遮るように止まり、頭の悪そうな若造が二人降りてきた。俺が女のバイクの後ろに止まると、若造たちは一瞬警戒する。俺の戦闘力を値踏みしているようだ。
ヘルメットを脱がない方がハッタリは効くかと思ったが、本当の喧嘩になったらフルフェイスのヘルメットは不利なことが多い。
視野も限られるし、動けば息も苦しくなる。ヘルメットをヘッドロックされて振り回されたりしたら、それこそ顎紐で首絞め状態だ。
人に見られても捨て台詞を吐いて立ち去らないところを見ると、どうやら二人とも犯る気満々なのだろう。
茶髪に剃りを入れて、暗いのにご丁寧にサングラスをかけている。歳は20才前後。痩身。ダボダボの戦闘服だから筋肉がどこまでついているのかいるのかわからない。
しかし、肩の盛り上がりが欠けるところから見て、肉体労働もしてないお坊ちゃま系の不良のようだ。
大方、凄めば怯む私立高校の教師とか相手にしているうちに、自分が強くなったと勘違いした口だろう。暴走族にすらなれない『族もどき』とでも言えばいいのだろうか。
俺はヘルメットを脱いだ。バトル・スーツにビビッていたようだが、中から爺さんが出てきて安心したようだ。『族もどき』たちは急に不遜な態度で肩を怒らせて凄んでくる。
「ジジイ、どっから来たんだよぉ。俺達そっちの女に用があるんだよ、すっこんでろや!!」
「知り合いのバイクだったからついてきただけですが、君たちこそ何か用ですか?」
暗に爺の知り合いだから、女は婆の可能性があると匂わせた。案の定、若造たちは自分たちが無意味なことをしてる可能性に思い当たったのか一瞬怯む。
そこで何を考えているのか、女がヘルメットを脱ごうとする。空気読めない馬鹿女か?それとも顔を見られれば絶対犯られないと自信があるほどのブスか?
まさか犯って欲しいと思っていたところを俺に邪魔されて怒ってる変態だとか。それなら、俺が暴走族に頭を下げて静かに立ち去るのも吝かではない。
って見覚えがある美人だった。昼間、会社に来た玉藻だ。ブスという線は消えた。馬鹿か変態かの二択になったようだ。
スラリとしたスリムな長身に張り付くようなレザーのツナギ。エヴァのプラグ・スーツのように身体の線が強調されているのは、結構値段が高い特注のライディング・ウェアなのだろう。
玉藻は綾波レイに似ていた。正確には綾波レイが無難に25歳まで成長したと仮定し、それ相応の老化をある程度抑制できた場合を想像すると瓜二つに見えるということだ。
玉藻が左足をスッと引く。何か武道でも嗜んでいるのか。動きは様になっている。しかし、圧倒的なウエイト差を埋め合わせられるとは思えない。
『族もどき』は多少のリスクを冒す価値があると判断したようだ。玉藻のスタンスが変わったことには気が付いていない。
俺を袋にしてさっさと致したいとしか考えていない。この手の馬鹿の常套句を吐いて近付いて来た。
「殺されてぇのかぁ?はあぁん?」
打撃系で来るのか、それとも胸倉を掴んで脅してくるか。打撃系の攻撃を想定するなら構えた方が良い間合いだ。
しかし、構えれば警戒されて軽いジャブとかを出されるかもしれない。ここは馬鹿みたいに胸倉を掴んで欲しいものだ。
俺は情けない悲鳴を上げた。
「やあよぉ~。殺さないでよぉ~。命だけはお助けぇ~!」
『族もどき』1号が俺の悲鳴を聞いてニヤリと笑い、胸倉を掴んで来た。馬鹿な奴だ。
軽いジャブで牽制する慎重さがあれば、俺のような爺が持久力で勝てるわけがなかったろうに。更に恐ろし気に作った顔で凄んでくる。
「殺しちまうぞ、コラッァ~」
今がチャンスだ。胸倉を掴んで来た相手の右手の甲を左手で掴んで固定し、目を掃うように目つぶしをかける。
相手が痛みで怯んだところで掴んだ手を一旦強く引き込む。人間はこうすると引き込まれないように逆らうことに集中し、捩じられたりする力に対する抵抗力が極端に低くなる。
立ち上がって、掴んでいた相手の右手を、脇の下に挟み込むように固定し内側に巻き込む。上手く巻き手という手首の関節技に持ち込んだ。
そのまま下に全体重をかける。相手の手首の関節が音を立てて外れた。
激痛に跪く男の側頭に廻し蹴りを叩き込む。スニーカーが無理に頭部を掠って傷つけたのだろう。男が流血する。
「てめぇ、何するんだぁ」
もう一人の男が罵声を上げるが、無視して流血している最初の男の口元にライディング・ブーツを喰らわすように前蹴り。前歯が折れるのは初めてのようだ。
口から零れ落ちた白い塊に男が驚愕する。更にわき腹を蹴り上げる。
「ひゃぁ、・・・ひゃあああ・・」
命乞いをするように男が慈悲を求める。
もう一度倒れている男のわき腹に廻し蹴りを叩き込み、必死に腹を守るように抱え込もうとする男の腕を、俺は無慈悲に思いっきり踏みつけた。
声にならない悲鳴が上がる。しばらくは動けまい。
もう一人の男は攻撃に躊躇していた。圧倒的な実力差を感じさせる動きに、自分も返り討ちに遭うかもしれないという恐怖を感じているのであろう。俺は冷たく言った。
「仕方ないよなぁ。俺が命だけは助けてくれってお願いしても、俺のこと殺すって言うんだもんなぁ。自分が死ぬより、お前たちが死ぬ方が良いもんな」
「俺は言ってねぇ。俺は殺すなんて言ってねぇ。許してくれ。この通りだ」
「そんなこと言ったって、お前の相棒が俺を殺そうとしたの止めようとしてなかったじゃないか?
医者に食事制限と運動制限を付けられるような虚弱体質の老人が命乞いしてるのに、お前たちは殺す殺すって言うんだもんな。心臓がもう少しで止まるところだった」
医者には『肥満解消のため、もっと運動して栄養のバランスを考えた食事をしてください』と言われている。嘘ではない。運動制限と食事制限を受けているのだ。
土下座する男の顔を思いっきり蹴る。まさか土下座しても許されないとは思わなかったのだろう。
更に驚いて這って逃げようとする男の肛門を思いっきり蹴った。足に力が入らずにのたうっている。
「免許証を見せてもらおうか」
ふたりの財布を奪い、スマホで免許証の写真を撮った。更に族車のナンバープレートを写真に収める。関心にもグローブコンパートメントには車検証が入っている。これも当然写真に収める。玉藻は無表情だった。
「さて、お嬢様。たまに自由を欲しがられるお気持ちもわかりますが、この辺りで終わりにいたしましょう。この男たちの身元は明らかになりました。まだ面倒なことをしでかすようなら、始末するということで、今回は逃がしてやっても良いのではないですか?お気に召さないようなら直ぐに始末してしまいますが・・・」
今度はきちんと空気を読めたようだ。玉藻は不貞腐れた我儘なお嬢様のように言った。
「後で面倒なことになるのは嫌だわ。この手の男は執念深いから今日のことも忘れないでしょう。それならいっそのこと今始末してもらった方が安心だわ」
『族もどき』2号が慌てて命乞いをする。
「待ってくれ・・・、絶対、絶対に今日のことは忘れるから。二度と悪さなんかしねぇから。約束する。誓う。頼む・・、頼むから許してくれ・・・」
玉藻が冷めたように言った。
「爺、お腹が空いたわ。ついて来て。この者たちが悪さを考えれば、私の手のものがこの者たちを裁くのを許すわ」
まぁ、そこまで演技で言えれば上等だが、しばらくは変な車に追われてないか気を付けてバイクに乗らなきゃならない。バイクは基本的に弱い乗り物だ。玉藻には飯を食いながら説教でもしてやるか。
「畏まりました、お嬢様」
玉藻はバイクを走り出させると見事なUターンで高速のランプに戻る。玉藻のバイクは来た方向に向かい、裏野アパートに近い24時間営業のファミリーレストランに止まった。
ウェイトレスが注文を取りに来る。玉藻はメニューを見ずに言った。
「稲荷寿司と抹茶ソーダー」
一瞬、倉林が妖狐と言った話を思い出す。しかし、直ぐに思い過ごしだと自分に言い聞かせ、俺も注文を頼む。
「クラブハウス・サンドとアイス・コーヒー」
ウェイトレスが下がったところで俺は切り出した。
「さて、何があったのか教えてもらおうか?腕に覚えがあるみたいだが、何もあんなに危ない真似をする必要はなかったんじゃないか?」
「女の子が乱暴された。一生懸命バイトしながら大学に通っていた女の子だった」
嘘をついているようには見えない。しかし、逆に何でお前がそんなこと知ってるのかと聞きたい。取り敢えず、信じた振りして質問しながら、話の矛盾を探してみよう。
「警察には行ったのか?」
「もういけない。女の子は自殺しちゃったから」
予想外に重たい話になった。本当だったら根掘り葉掘り聞くのは如何なものとは思うが・・・。どう話を続けるか悩んでいると、玉藻が勝手に話し始めた。
「はじめて同級生の男の子に告白された、裏野ドリームランドのミラー・ハウスの前。ナイフで喉の頸動脈を切った。バイトの帰り道に拐され、恥ずかしい写真をいっぱい取られて、これからも言うこと聞かないとネットにバラまくって脅されて、誰にも相談できずに思い出のミラー・ハウスの前で、ナイフで喉を切っちゃった」
そういえば何か少女が自殺した事件を聞いたことがある。理由は思い当たらないとか。スマホで検索してみると、少女の自殺を報じるニュースがヒットした。
しかし、何故そんなことを知ってる?いったい誰から聞いたんだ?
「女の子のお婆さんが稲荷神社の狐様に復讐して欲しいと祈っているのを聞いた。でも、願いを叶えればお婆さんの魂が汚される」
「で、何故、お前が囮になった。何かあったらどうするつもりだった?」
「あたし自身があいつらを憎むしかなかった。あたし自身が祈るしかなかった。武道の心得がある。あいつらが私に何かしたら殺すこともできた。絶対に負けない」
俺はかなり怒っていた。ついつい語気が荒くなる。
「馬鹿か?武道を習って大丈夫とか抜かす奴は戦闘を知らない馬鹿だ。自ら武道を学ぼうとしてたら、そんな馬鹿な発想にはならない」
玉藻が何か言いたそうに俺を睨む。俺は無視して続けた。
「武道の目的は相手を殺すこと。しかし、稽古の最中に殺し合いをしてたら命がいくつあっても足りない。一方で技をかけるタイミングは乱取りじゃなきゃ掴めない。だから予め禁じ手を約束しておいて試合形式にする。それで勝っただけじゃ意味がない。相手が禁じ手を使うことも想定して、相手が何をするのか予想して、対抗策を講じるのが戦闘だ」
玉藻が悔しそうに睨んで言った。
「試合でなくても勝てる。経験だってある」
「自慢できるほどの経験があったなら、なぜ最高の条件で戦わない?不敗の態勢で、失敗しても二の手、三の手がある環境を作ることが出来たはずだ。刀に乗っていたんだから、上手く相手を誘い込むこともできたはずだ。最悪でも生きて帰れる環境をなぜ作らない?戦闘は戦う前の環境作りから始まっている。お前が正義を信じていたなら、負けることは絶対に許されなかったはずだ。負けても良い程度の正義だったのか?」
「森田はずるい。森田も無茶したのに。森田は勝てるかどうかわからないのに戦ったのに。なぜ、私だけ無謀だって責める?私だって無謀になっていいはずだ」
近くの席のコップが急に割れる。駐車場の電灯がはじけ飛んだ。駐車場に怒り狂うように狐火が飛ぶ。なんか柄の悪そうな狐の影が飛び交ってる。まさか、本当に妖狐?
こぇー、めっちゃ怖ぇー。玉藻が『玉藻の前』なら、本当に狐の大親分なのだろう。親分を侮辱されて子分の狐が怒り狂ったか?
一瞬、土下座して非礼を詫びようかと思ったが、妖狐なんてどうせ脳筋の獣だろうから、下手に弱気を見せたら返って危ないかもしれない。
本気で殴り合えば分かり合えるとか思ってる脳筋に、下手な妥協するのも危険だ。このままの路線を突っ切るべきだと判断した。若い娘を心配するあまり口煩くなる好々爺路線だ。
何を隠そう俺は冷静な判断力と論理的な分析力には自信がある。こう見えて国立理工系の出身だ。おまけに卒業時に所属していたのは物性理論物理学研究室だ。頭良かったんだからな。別に成績が悪くて高エネルギー研究所の素粒子論研究室に入れなかったとかじゃないからな。本当だ!
俺は優秀な頭脳をフル回転させて『野孤達のハートに刺さるセリフ』を考える。
「老人が目の前で無茶をする若者を見て、命を引き換えにしてでも助けたいと思ったからといって何が悪い?お前が武芸の達人だろうが、狐の変化だろうが関係ない。文句あるか?」
静寂が訪れた。全てが止まったように静かだ。上手く刺さったみたいだ。どうだ、これが正解だ。脳筋の狐は青春学園ドラマの熱血教師路線で対応するが吉と見た。
おい、そこ。違うぞ。俺の思考レベルが獣並みだから狐と話が合ったんじゃない。俺の優秀な頭脳が狐の思考パターンを分析し、適切な対処法をはじき出したんだからな。
時々、読解力の低い読者が作者の意図を読み取れないことがあるみたいだから気を付けてくれ。
調子に乗って俺は続けた。
「お前が死んだら老婆の願いは聞き届けられなかったんだろ?ならば死なないように戦略を練ることも、誰かに相談することもできたはずだ。目の前で大切な人が傷つけられるのを避けるために戦うなら無謀もありだ。しかし、大切な人の願いを叶えたいなら、安直に命と引き換えにするんじゃない。全てを手に入れることを考えろ。殺すなとは言わない。だが、絶対に死ぬなとは言わせてもらう」
これこれ、脳筋の孤とか絶対に『ずっと寂しかった』とか言いそうだ。『誰も私のことなんか心配してくれなかった』とか喚くタイプだろう。
玉藻が俺のことを涙目で見つめる。
「目の前で大切な人が傷つけられそうになったから無茶したの?」
まずい、そこツッコムか?脳筋の狐は読解力がないのか?面倒だからスルーしようとすると、玉藻が伝票を持って立ち上がった。
「私のことを大切に思ってくれたなら、ついて来て」
まずい、流石にここで『誤解があったようなので訂正させていただきます』とか言ったら殺されそうだ。
仕方がない。冷静に局面を分析すれば、上手く逃げ出せるチャンスはまだ残されているはずだ。クールに玉藻の後に従おうとしたのだが、右手と右足が同時に出てしまって倒れそうになる。
玉藻のバイクが止まったのは、小さな稲荷神社の前だった。憔悴しきった老婆が参道を降りてくる。玉藻によると少女の祖母らしい。
不器用な野孤の一門は、義理堅くも少女を守り切れなかったことを詫びに老婆の枕元に立ったという。知らせない方が良かったと、今では野孤達は反省しているがもう遅い。
老婆は復讐の念に囚われてしまったようだ。しきりに犯人たちを八つ裂きにしてくれと稲荷に祈る。
「あのお婆さんの希望を叶えれば、あのお婆さんの魂が汚され、もう極楽浄土には行けなくなる」
ハハッ、じゃあ殺さなきゃいいじゃないか。そもそも、簡単に八つ裂きなんて出来るのかぁ~?大きく出たよなぁ?
玉藻の言葉を受けて狐火が灯り、近くの石造りの灯篭が音を立てて砕ける。
すんまへん、出来そうですよねぇ~。当然、出来るって雰囲気ですよねぇ。そこはわかりました。
「あのお婆さんはもう直ぐ寿命を迎える。でも、その時に恨みが残っていれば、やはり極楽浄土には行けない」
なるほど、しかし、結局八つ裂きにするつもりだったのか?玉藻の瞳が怒りに震えていた。
「私に危害を加えさせて、私が心から奴らを八つ裂きにすることを望めば、あのお婆さんの願いを叶えなかったことになる」
その決意を初めて知ったような驚きの喚声が稲荷神社に木霊する。狐火が青く悲しく震えるように燃え上がる。
「自殺は罪になる。あの娘は悪くないのに、あの娘だって極楽浄土に行けない。でも、お婆さんが極楽浄土で待っていることを知れば、あの娘がお婆さんの待っている極楽浄土に行きたいと思って、自殺の罪を心から悔いるかもしれない。存外早く極楽浄土に行けるかもしれない」
玉藻が理不尽な扱いに泣きながら抗議する幼女のように、握りこぶしを下に突き立てるようにして、声を嗄らしながら絶叫する。
「老婆は警察に行った。でも、死因は間違いなく自殺で、事件があった証拠がないからと、まともな捜査をしなかった。野孤達が警察官の枕元に立って泣きながら願うのに、娘は死んでいるのだから、今更人を恨んでも仕方がないと言った。本当は政治家から圧力がかかって面倒だったって知ってる」
理解してくれない親に歯向かうような眼で玉藻は俺を睨む。
「なぜ、人間は同じ人間の魂を救おうとしない?残虐な人殺しを死刑にする判決が出ているのに、なぜ『人の命は尊いものだ』と言って死刑に躊躇する?遺族の心を汚さないように、代わりに自分の手を汚して遺族の魂を救ってやろうと何故思えない?お前もみんなと同じだ。あいつらの死をこの稲荷に願えるか?あの娘の罪を肩代わりしたいと願えるか?誰も願えないから、妾が願おうとしたのはいけないことか?」
いちいち厨二病を抉らせたままの爺の魂に刺さることばだ。だが、何と反応するのが一番か?俺は厨二病ウィルスに冒された自らの魂の叫びと、優秀な頭脳が次々にはじき出すシミュレーションの結果に挟まれた。
シミュレーション1
俺:『悪かった。俺が間違ってた。後は、よろしくお願い申し上げます』
玉藻:『やはりお前も同じか。死ね』
こりゃ不味いな。
シミュレーション2
俺:『君は間違っている。人命は尊い』
玉藻:『死ね』
こりゃもっと不味い。時間は刻々と過ぎていく。タイム・アップは近い。仕方ない。出たとこ勝負だ。
俺は落ち着いた声で言った。
「娘が死んだ理由があの男達にあるとするなら、俺はあの男達の静かな死を望まない」
一瞬、稲荷神社に剣呑な空気が流れる。なんか怖ぇ、マジ怖ぇー。俺は慌てて言い添えた。
「理由がその通りなら、簡単には殺すな。生まれたこと自体を後悔するほど苦しめて、現世で地獄の苦痛を味合わせ、ついでに地獄に叩き落とせ。誇り高き神孤の名に懸けて、奴らの想像すら及ばぬ苦痛と恐怖で、その魂自体を破壊してくれ。森田健介、心から切に祈る。悪いが婆の祈りは無視しろ。我が国は男尊女卑の麗しき伝統がある。婆の祈りより爺の祈りが優先する。残念ながら玉藻も女だ。俺の祈りが最優先だ。それが道理だ、了見してくれ」
神社に一瞬静寂が訪れ、鬨の声のような狐の鳴き声が夜空に響く。狼の遠吠えより澄んだ、それでいて遠くで聞くものの心を抉るような鳴き声。
セーフ、・・・セーフだ。どうやら狐の怒りを買わずに済んだらしい。本当は一言シブく『ぶっ殺せ!』とか、言葉少なげに祈るつもりだった。高倉健のファンだからな。しかし、人間には持って生まれた器というものがある。高倉健の真似して殺されたら話にならない。
ここまで来たら路線を変更するわけにもいかない。仕方なく同じ路線で祈ることにする。
「哀れな娘の罪は、娘を守ることの出来なかったこの国の大人たちにある。森田健介、日本国の大人を代表して罪を背負うことに同意する。娘の罪を俺に振り替えてくれ。切に祈る」
狐火が空に向かって飛んで行くのが見えたような気がした。多分、錯覚だろう。俺は知的で冷静な男だ。きっとこれは夢だ。気が付けばアパートで目が覚めるってパターンだ。別に怖くて現実逃避してんじゃないぞ。本当だ!
「これでどうでぇ?もうアパートに帰っていいな?」
緊張が続くと何故か『べらんめぇ調』になる俺を、玉藻が奇跡を見たかのように、惚けた目で見つめて一言いった。
「権爺?」
◇
小さな稲荷神社の野狐達が白狐である玉藻に直訴したのは丁度日暮れ時だったろうか。
(白狐様、我ら悔しゅうてたまりませぬ。我らを心から慕ってくれた一族の娘を、慰み者にしたあの者どもだけは許せませぬ)
(守れなかったのは我らが恥、その罪を問われても何も言い訳は致しませぬ。しかし、あの者どもだけは生かしておけませぬ)
(全ては我らが不徳の致すところ。白狐様にご迷惑をおかけしないよう、我らが一門の不祥事とご理解いただきたい。ただ、白狐様に最後まで仕えることの叶わぬ、我らが一門の悲しみ、白狐様の御心の中だけにお留いただきたい)
老婆が泣きながら社を訪れた夜、小さな稲荷神社に集う野弧達は怒りに震えていた。小さな町で幸せに暮らしていた娘。学費を稼ぐためにバイトに行った帰り道に不良達に拐され慰み者にされた。
小さな稲荷神社に棲む野弧たちの縄張りは狭い。その外でのことで、野弧達には為す術もなかった。
娘はそのことを苦に自害した。
(許せぬ。決して許せぬ。例え理に外れ人を害したことを咎められ、天帝様のお怒りで我らが消え去ることになろうとも、我らはあの者ども生かしてはおけぬ)
いきり立つ野弧の一族の前で玉藻が静かに立ち上がる。その怒りを全てくみ取り、震える声で一族に伝えた。
『しばし待て。妾が検分して参る。妾が許しを出せば、其の方にも咎めはなかろう』
(おおっ、白狐様が検分して下さる)
(白狐様もお怒りだ。我らの怒りを汲み取って下さった)
玉藻はSuzukiの刀1100に乗って不良達の前に現れた。純白の革ツナギに包まれてもそれとわかる、美しくしなやかな肢体を魅せて不良達を誘い込む。
どうせ男運が悪いのだ。惚れた男に追っ手を放たれた悲しみは今も忘れぬ。もし、男が自分を守るために戦おうとしてくれたら、この国の全てを敵に回しても戦い続ける覚悟があった。
昼間出会った初老の男がNinjaに乗って現れたことは予想外だった。闇に紛れる漆黒の革ツナギ。既に全盛期を過ぎて疲れ果てた肢体。玉藻と対極的な存在を主張しているかに見えた。もとい、ただ生きてるだけの哀れな老人にしか見えなかった。
しかし、意外にも狡猾な戦略で戦い。見事不良達を叩きのめす。しかも相手が慈悲の心を持たなかったことを指摘し、それを理由に無慈悲な暴力を正当化する。
人間の法律なら過剰防衛となろうが、天帝様には十分言い訳として使える。玉藻は昔出会った老孤を思い出していた。
昔、人に追い詰められたとき、老孤が空蝉の術を使い、玉藻を殺生石とすり替えて助けてくれた。姑息な手立てで生き延びることに躊躇する玉藻に、老孤は生き残ることの素晴らしさを説いた。自らの尊厳を守るため、決して安易に命を捨ててはならぬという。
あの老孤は程なく天界に召された。数々の妖術を使い、強かに生き残った老孤であったが、持って生まれた器を超えた寿命は生きられない。野弧である老孤が、白狐として生まれた玉藻ほどの寿命を持つことはない。
もう一度、会って礼を言いたかったが、玉藻ほどの白狐でも天界に召された魂には最早会うことが叶わぬ。神になったのか輪廻の輪にもどったか、・・・意外とこの男の魂として引き継がれたのかもしれぬ。
玉藻は霊力を込めた真言を使い宣言した。
『この者たちが悪さを考えれば、私の手のものがこの者たちを裁くのを許すわ』
玉藻の霊力が籠った真言を聞いた瞬間、私鉄沿線にある小さな稲荷神社は喝采に溢れた。
(白狐様は我らの好きにしてよろしいとおっしゃった)
(白狐様のお墨付きを得られた)
(あの者どもが間違った考えをするだけで、あの者どもは我らの好きにしていい贄となる)
神社の周辺に狐火が燃え盛る。野狐達の目が爛々と輝く。復讐を認めるお言葉を白狐様から戴いた。ただ、それだけでは玉藻に咎が残る可能性があることは、野孤達は気付いていなかった。
玉藻がどんな決意をして、たった一人、不良達の前に姿を現したのかも、野孤達は知らなかった。
◇
森田に袋叩きにされた不良達は、玉藻と森田が立ち去ると安堵のあまり気を失った。一刻半ほど経ったころ、あまり痛めつけられていなかった方の『族もどき』が目を覚ます。
慌てて相棒を車に乗せると、意識をようやく取り戻した相棒と直ぐに悪態をつき始めた。
「あの爺のバイク、今度見つけたら車をぶつけてやる。女を犯るのは、その後だ」
闇夜の廃車置き場に野弧の鳴き声が響き渡る。
(我は聞いたぞ。この者たちは確かに悪さを考えた)
(しかし、老婆の祈りを聞いたことになるのか。老婆に罪は無かろうに)
その時、遠くの空から狐火の一団が飛んで来る。その狐火に呼応するがごとく、周囲に狐火が燃え立っていく。
(我は聞いたぞ。あの爺の願い)
(おお、我もじゃ。あの爺は、婆の願いを聞くなと言った。自らの名を明かして自らの願いを叶えろと我らに命じた)
(おおよ、ただ静かに殺すなと命ぜられたときは八つ裂きにしてやろうかと思ったが、あの爺は地獄の苦痛を味合わせてから、あの者どもを地獄に叩き落とせと我に命じた)
(しかも、自らの名を明かして命じたのじゃ。老婆に罪が及ばんよう、自らの命が優先すると断言しおった。玉藻様の命より、自らの命が優先すると断言しおった。全ての責めを受ける覚悟じゃ)
(これで玉藻様にも害は及ばん。惚れたぞ。わしゃ、あの爺に漢として惚れ申した)
埠頭周辺の地元の稲荷の妖狐が応援に駆け付ける。
(ちぃース。白狐様のお許しが得られたそうで。おめでとうございます。この辺りはうちの稲荷の縄張りですが、ヘッドからは万難を排して便宜を図るように言われてやす)
(ちぃース、うちら葛葉様の系列ですが、玉藻様が本気になられたとか。葛葉様から手伝えることがあれば手伝ってこいと命じられておりやす)
続々と集まる妖狐の眷属たちに、感極まって涙を流しながら弱小稲荷神社の妖狐が伝える。
(皆の衆、聞いておくれ。玉藻様の連れてきた爺が我らを救って下さった)
葛葉と八重が寄越した野孤は、白狐同士の関係を良好に保つための接待要員だったから、話を聞きながら絶妙なタイミングで『おおっ』とか、『ほぉぉ』とか、合いの手を入れる。話は否応なしに盛り上がった。
(昔から、友を選ばば書を読みて、六分の侠気に、4分の熱というじゃろ。あの爺は、・・・確か最近ラノベをよく読んどる。官能小説も良く読んどるぞ。まぁ、侠気というより狂気に近いし、熱は10分ほどある狂人のようじゃが)
(確かに、むしろ『一寸の虫にも、五分の魂』とか表現した方が似合う矮小な爺じゃが・・・、そ、そうじゃ。一寸の身体に十分の侠気と熱が丸まま入ってるような爺じゃ。玉藻様の連れ合いにピッタシの爺じゃ)
((((オオッ・・))))
(左様、左様。我らは玉藻様の暴走を止めて下さるような漢を探しておった。しかし、ここは発想をコペルニクス的に転換し、むしろ玉藻様の暴走を目立たないようにする暴走爺をあてがうのも有りかと思う。さて、皆の衆、最も近い大安吉日は・・・)
若い気配り上手な政治家秘書のような野孤がパソコンを起ち上げガントチャートを表示する。
妖狐たちは勝手に式の日取りを決定しては、そこから逆算し、どのタイミングで告白させるかなど線表を引きながら盛り上がった。
(うむぅぅ、純愛を育む期間も無視は出来んな)
(はい。ここは『真夏に浴衣を着て花火大会』イベントを外すのは後々に禍根を残すかと・・・。しかし、『ビーチで西瓜割り』イベントで代替可能と言えなくはありません。西瓜割りで彼女の水着姿を見て発情とかは、青春ラブコメの定番でもあります)
(この、彼女が『こっちも、おいしかったよ』と冗談交じりに差し出したリンゴ飴を、主人公が何も考えずにパクッと齧って間接キス成立というのも外しがたいのぉ・・・。やはり縁日と浴衣は必須か)
かなりお馬鹿な会話に見えるが、実は綿密に計算されている。『族もどき』がチャンスとばかりにこっそり逃げ出そうとするのを、絶妙なタイミングで野孤達は阻止する。
「そこに正座しておれって言ったの忘れたのか?この、タコォッ!」
あと一歩のところで捕まっては鉄拳を振るわれる。希望の欠片を見付けて縋っては、絶望のどん底に突き落とされることを繰り返し、『族もどき』達の徐々に心は折れていった。
狐火が周囲を飛び交い、廃車の山に映る野弧の影が更に増えていく。
再び野孤達の議論が白熱したところで、男達はついに車に乗り込んでエンジンをスタートさせることに成功した。助かったと嬉々としながら車を急発進させる男達を見て、野孤達が凶悪な人相でニヤリと笑う。
大通りに乗り出したところで車は急に暴走し始め、そのままコンクリートの電柱にぶつかり原型をとどめないほど大破した。
男達はねじ曲がった車体に挟み込まれるように捕らわれる。指がダッシュボードの割れ目に挟まり潰された。何やら顔からぶら下がったものがあると思ったら、削げ落ちて皮だけで繋がっている自分の鼻だった。痛み以上に、その光景の凄まじさに恐怖を覚える。
自分がどのようになってしまうのだろう。自分はこのまま死んでしまうのだろうか。生き残ったとして、元のような姿に戻れるのだろうか。
恐る恐る相棒を見ると、想像より遥かに悲惨な姿になっていた。まさにスプラッター映画のゾンビのような姿をしており、男達は互いの姿に恐怖の悲鳴を上げる。
逃げようとしても逃げられない。下半身が押し潰され、一部はミンチになっている。
恐怖に怯え声にならない悲鳴を上げる『族もどき』達を見ながら、野孤達は振る舞われた樽酒の品評会をしていた。
(ふううむ、樽の香りに隠れたフルーティな香りが、のど越しとともに鼻孔に広がり、それでいてくどくない。不良共の悲鳴が程よく緩和される酔い口。見事じゃ)
盃を飲み干してから、『族もどき』たちの悲鳴を聴き、やや年長の野孤が『ほぅぅっ』と惚けたため息をついた。
野孤はその出自の賤しさから、並みの不良達以上に人をおちょくることに長けている。悲しみや苦しみを誰にも気付かれず死んでいく孤独を思い切り『族もどき』達に思い知らせるつもりである。
やがて車から漏れ出てきたガソリンに狐火の火が移った。しかし、防火対策が施されている国産高級車は簡単には燃え上がらない。身体が徐々に焼けていく恐怖と激痛を味わう。
やがて男達は一思いに殺してくれと涙を流す。しかし、野孤達は許さない。消防が駆けつけて消火したりすることが無いよう、火は最低限に抑えられている。又、一酸化中毒で意識を失わぬよう、首の周りには酸素が残るようにしていた。
地獄の業火の方がよほど慈悲深かったろう。『族もどき』の男達は意識を失うことも許されぬまま緩やかに焼かれ絶叫を上げる。ついに男達の魂が完全に壊れたとき、族車は火に包まれ、誰もいない夜の埠頭に消防車が到着する頃には、男達は完全な消し炭になっていた。
一匹の年老いた野孤が言った。
(我が一門にとって、あの爺は恩人じゃ。陰ながら恩に報いることとしようぞ)