古井戸を覗けば
村の外れの楡の木のそばにその古井戸はあった。
三年前に新しい汲み上げ式の井戸が村の広場に掘られてからは、この古井戸を訪れるものはほとんどいない。
それでも、皆無ではないのは、井戸にまつわる昔からの言い伝えがあるからだ。
いわく、後ろ向きに3歩進んでコインを投げ入れると失せ物が見つかる。
いわく、井戸の中に一晩吊るして冷やしたキュウリを食べると夏病みが治る。
いわく、満月の夜に汲み上げた水で全身を洗えば色白で美人になれる。
いわく、月のない夏至の夜に井戸を覗くと運命の人に会える。
リージアが、7つの時の真夜中に両親の目を盗んでひとりでこの古井戸に行ったのもこの言い伝えのためだった。
月明かりのない暗い夜道は恐ろしくて、ランタンの明かりは頼りなく、夏だと言うのに肌寒かった。やっとの思いで覗きこんだ井戸の中には、そばかすの浮いた自分の姿しか見当たらなくてとてもがっかりした覚えがあった。
あの時は結局サイが迎えにきてくれたんだっけ。
それでも運命の人に会えると思っていた行きはともかく、期待外れだった帰りは、遠くに聞こえる獣の声も恐ろしく、井戸のふちでべそをかいて震えていた。
帰り道が果てしなく思われて、すくんだ足を励まして、歩かなくちゃと、なんとか立ち上がろうとしたときに、サイが腕をつかんだのだ。
「ほら、リージア帰るぞ」
その時、同じ年のサイがとても頼もしく見えた。
えぐえぐとしゃくりあげながら、サイに手を引かれて家まで連れて帰ってもらったのだ。
今では懐かしい思い出だ。
関係ないのに、一緒に両親にこっぴどくしかられたんだっけ。
あれから9年。
リージアは16歳になった。
そばかすは消えなかったし、すぐに絡まるありふれた茶色の髪もそのままだ。
娘らしい体型になったかと言うとそれもいまいち。
肉屋の娘のアレイアのように出るところが出て引っ込むところが引っ込んで欲しかったのに残念だ。
年老いた両親は去年流行り病で呆気なく逝ってしまった。
あの頃のように夢見るばかりじゃいられない。
いつまでも運命なんて言ってないでもっと現実を見なくちゃいけないことなんて知っている。
それでも今年は何年ぶりかの夏至の新月。
外套をしっかりと着こんで、カンテラの中の油の残量を確かめる。
もちろん行く先は、あの、村外れの古井戸。
運命なんてあの頃ほど信じちゃいないけど、それでもちょっとくらいは期待してもばちは当たらないよね。
これで最後にするから。
鞄の中に二人分のサンドイッチと飲み物を入れて、そっと家を出る。
玄関を閉めたところで、不機嫌を隠さない声に呼び止められた。
「おいリージア、こんな月のない晩に何処へいくんだ?危ないだろ」
「あら、サイ。古井戸に決まってるわ、今度こそ運命の人を見るのよ」
「まだ言ってるのか、いくらなんでも若い娘の独り歩きは危ないだろ、ほら、送ってやるよ」
「いいの?」
差し出された手に手を重ねてリージアはにっこりと微笑む。
あの頃よりも大きくて固くなった手の平がとてもくすぐったかった。
それは月のない夏至の晩。