2ー(1)皇帝軍最強の一対
都に通じる街道を、月明りの中、馬を飛ばして進む二騎があった。
先を走る馬に乗っている者は、重い鎧を身に纏い、腰に剣を帯びていて、一目で戦場からの使者らしいという事がわかる。その馬の来た方向から、恐らく、秋白湖方面に駐留している、天海元帥麾下の者に違いない。
長身で、体格も良く、典型的な武人に見えるが、時折、光の加減で金色に見える明るい栗色の髪と、印象的な琥珀色の瞳を持つその顔を見ると、どうも、その身に纏う鎧が妙に不釣合いなものに見えてしまう。というのも、幾つもの戦火をくぐり抜けてきたであろうその鎧に対して、それを纏う者があまりにも若すぎるから、であった。
彼の名は、劉飛。
年は十八である。
六年前の李笙騎の乱という帝位をめぐる内乱の折に両親を失くし、現在の帝国三元帥の一人で、当時中将だった璋翔に拾われた事が縁で、三年前に皇帝軍に士官し、武勲を重ね、現在、皇騎兵軍准将と呼ばれる地位にある。
勿論、劉飛の年齢では前例のない事で、彼の昇格を良く思わないものは、『鎧が、子供の頭をつけて歩いている』などと皮肉を言ったものだが、劉飛の琥珀の瞳に、面と向かってそう言える者はいなかった。劉飛の剣技は並のものではなく、彼と剣を交えて、一分と生きていたものはいないという噂があり、人並み以上に寛大でもない劉飛に対して、それを試してみる程の物好きはいなかったからである。
劉飛の後ろを走っていた白馬が、その速さを少し上げ、劉飛の黒馬と駒を並べた。それに気付いて、劉飛は馬の手綱を引いた。
「どうした?周翼」
劉飛がそう呼んだのは、彼よりも更に年若い少年だった。
周翼は、劉飛の剣の師であった鴻麟という人物の甥っ子で、劉飛が師に弟子入りした十の年に知り合って以来、ずっと行動を共にしていた。劉飛より二歳年下の周翼は、劉飛とは対称的に、華奢な体型をしており、その長い黒髪を後ろで軽く結んでいる。鎧は付けておらず、腰に剣を下げているだけの軽装であった。
その出立ちを見た限りでは少女と見えないこともない。実際、女に間違えられたことも幾度かはある。しかし、あまり知られていない事だが、実は、劉飛と剣を交えて、唯一、生き残っている人間が、この周翼だった。
普段は劉飛の副官として、先走りしがちな劉飛の押え役を努めていて、その存在こそあまり目立つものではなかったが、劉飛を現在の地位にまで押し上げたのには、周翼の智略が少なからず、その一翼を担っていた。二人の親代わりである、璋翔元帥が、『勇の劉飛、智の周翼。二人が一緒にいれば、一個中隊並の働きをする』と称え、二人が天海元帥のもとに配属される事が決まって、さんざん残念がったという話も残っている程である。
劉飛は、周翼に剣で負けて以来、その存在に一目置いており、周翼はというと、これも劉飛の豪快さを気に入っている様であった。
劉飛に呼ばれた周翼は、
「あれを」
と言って、天空の月を指差した。
「月食か?今時分、どういう事だ?」
「暦にはないものです。食の進みも早い様ですし……凶兆ですね、これは。城の占術師に聞いたことがあります。羅刹が何か良からぬ事を企てている時に、月が邪魔で、その光を消すのだそうです。月光は、羅刹の妖力を弱めるそうですから。河南公の息女、麗妃殿が羅刹を手懐けたとの噂もあります。何も無ければいいですけどね……」
「河南の女丈夫の鬼姫か……それにしても、お前の華梨殿は物知りだな」
「りゅ、劉飛様っ」
自分の言ったことで、周翼が思いの外、動揺したのを見て、劉飛は声を上げて笑いながら、鐙を蹴った。彼の愛馬、驪驥がそれに反応して、再び勢いよく走り出す。
「劉飛様っ!」
慌てて追う周翼に、風に乗って劉飛の声が届く。
「都へ、燎宛宮へ急ぐぞ。お前の華梨殿に、一刻も早く会える様にな。もしかしたら、羅刹も捕まえられるかもしれないぞ。月食の終わる前に着けばな」
都への使者という役の代わりに、天海元帥がくれた久し振りの休暇だと言うのに、どうやら、何事もなく済みそうもない。そう考えて馬を駆りながら、周翼は溜息をついた。
河南を制する者は、天下を制す。
皇家に伝わる、帝王兵書の一節に、こんな言葉がある。
鳳凰山系に源を発し、帝国を二分して流れる大河、天河。その下流に広がる穀倉地帯が河南地方である。現在、この地を治めているのは、三大公の一人、楊桂であった。
先の内乱、李笙騎の乱の後、八代皇帝炎雷帝が崩御。その跡を継いで、九代皇帝光華帝となったのが、皇太子虎伯であった。
光華帝は即位後間も無く、帝国の要衝である、河南、海州、広陵の三つの地域を確実にその支配下に置くためにこれを大公領とし、三人の弟達をその大公に任じた。
光華帝は、その人となりは穏やかで争い事は好まず、英明な君主となった。こうして内乱の混乱が収まり、帝国に束の間の平和が訪れた。だが、平和は長くは続かなかった。光華帝がその即位から僅か二年で、急逝してしまったのである。