第十五話 偽りの表情はどちら
暗闇の下で私は息をととのえていた。息と同時に心もととのえる。目の前にあるのは、くすんだ色の木製の扉。脆いようで意外と厚さがある丈夫な扉だ。ジュウクが修理を重ね魔法をかけ堅固な物となり、度重なる衝撃にも耐えてきた。……その衝撃を与えるのは私なんだけど。はは……。
よし!と、拳を握り締め、ノックをして勢いよく中に入った。
ん?いつもの迷惑そうなジュウクの声がない。おかしいなぁ。
留守ではないと思うけど、部屋の中に灯りがない。床に置いてある物を踏まないように気をつける。ジュウクの家内は通い慣れ、体が知っているから家具や床に積み重ねてある物を避けることは楽勝。
「おーい、ジュウク?」
今は十一時をまわっている。ジュウクには迷惑な時間帯だが、こっそり逃げ出すならやはり夜中だろう。(森で私を見張っている兵には申し訳ない)今日の仕事がおまわりだとしても、この時分には帰ってきている筈なのになぁ。
家主がいないと暇だ。辺りを低回する。
こんな夜分遅くに来たのは、ジュウクに婚約のことを伝えるため……だ。ジュウクには自分で伝えたい。
でも、ジュウクに言ってどうするの?何を望むの?
捉えどころのない、もやっとしたものを胸に抱え込んでいたら、床に置いてあるものから気がそれた。
「うぎゃっ!」
溜息を吐いたと同時に足元の物体に蹴つまずく。
痛い。当たり前だけど痛い。顔面強打は避けたが、床に突いた手の平がヒリヒリする。いったい何を蹴ったのよ?
手探りで床に置いてある物を見つける。平たい箱?
そっと蓋を開け目を凝らしたが暗い視界ではよく見えない。箱中のを物指で触れる。ぼこぼことした手触り。持ち上げ裏側にも触れてみる。木と麻のような感触。
もしかしてキャンバス?ジュウクって絵持ってたかな?持ってなかった思うけどな。
「シーラス姫?」
ジュウクのいぶかしむ声に、私は慌ててキャンバスを戻した。声は扉から一番遠い部屋の角に置いてあるベットから聞こえた。寝ていたのか。
でもおかしいな。私が来るとジュウクは一瞬で目を覚ますのに。
キャンバスの入った箱を持ちベットに近づく。
「二日ぶりだね」
婚約のことを頭の隅に置き、当たり障りのない話をきりだした。
ジュウクはベットに腰掛け両手を組んで俯いているようだ。髪が黒いジュウクは部屋の暗さに溶け込んでいた。
「……」
ジュウクは黙り込む。彼の視線は私の手にある箱に注がれていた。
「あ、ゴメン。勝手に蓋開けちゃって。これ、何の絵?暗くて見えなくて」
ジュウクは手の平に息を吹きかける。手の上に白銀の糸がするりと現れ、徐々に糸が輝きだし丸く光を作る。部屋全体を照らすことは出来ないが手元は明るくなりジュウクの顔が見えた。
よし、見える!と意気込み視線を絵に落とそうと思ったら、視界に鈍く光るブラウンを捉えた。
ジュウクの夜闇のような瞳が明るみ、ブラウンに染まっていく。それはジュウクの扱う魔法のように徐々に明るく彩度を増す。
錯覚?いや……?
急に視界が明るくなったため、ブラウンに見えたのかもしれない。そう思い瞬きを数回した。だがジュウクの瞳は黒に戻っていない。それどころか彼の髪の先まで変色していた。本人は自分の外見に気づいていないのか、私が思わず固まっているのを見とめ瞳が揺れ動く。
「見てみれば?」
ジュウクが箱の蓋を開けキャンバスの表面に明かりを近づける。
「……おい?」
ジュウクは、ぼーっと自分の顔を見つめてくる私を眉間をよせてじっと見つめる。
じっと見つめられ、我に返るとキャンバスに目を落とした。
「えっ」
満開のグレイムの木。その幹にとまっている私。え、私?
まじまじと絵を観察し始めた。何度見返しても描かれているのはグレイムと、私だ。
まさか内緒で庭園のグルークに登ったことがバレた?でも絵を描かれていたなんて思いもしなかった。確かあの時は下りられなくなって、ジュウクに降ろしてもらったと思う。恥ずかしい思い出。
あれ?でもグルークの木に登ったのは数年前……十一、二歳までだった筈。この絵の私は今と同じ姿、形。
「わ・私じゃないからねっ。こんな歳してグレイムに登らないから!」
慌てて否定する。『もうすぐ成人なんだから――』というようなお小言が飛んでくるかと思ったのだ。
「この絵が描かれたのは十五年前だ」
はい?十五年前?何でそんなときに描けるの?私、まだ生まれていないかもしれないじゃん!
生まれてても、ほやほやの赤ん坊だろう。
ふと灯りが消え視界が狭くなる。
絵が見れないじゃないか。視線をジュウクに戻し、彼の袖を引っ張り灯りを要求する。
ジュウクに接近すると、先程までの瞳や髪のブラウン色の強烈な違和感は跡形も無くなっていた。けど、何かが違う。
今日のジュウクは底抜けに暗い。口数も少ない。遅い時間に訪ねてきても文句を言わないなんて、彼らしくない。
「お腹痛いの?」
いくらなんでも違うか。昔はよく腹痛で泣きそうなジュウクを慰めたものだ。
ジュウクが暗い原因はよく分からないけど、昔と同じように背中を摩る。成長したジュウクの背に手をおくことは難しく抱き着く形になってしまった。
ジュウクは私のの肩口に額を乗せる。
何だか、でかい子供みたい。こういうときにジュウクと私は同い年なんだな、と実感する。子供っぽいところは見られなくなり、定職まで持っているジュウクは私よりいち早く大人になったのだと思っていた。
「泣いていいよ」
「泣かねえよ」
そうなの?
そう言っているけど涙声になっているし、鼻をすする音も聞こえる。
泣くなんて珍しいな、と感慨にふけり、ずーっと昔をことを思い出した。ジュウクと私は辛いことがあると、二人でべったりくっつき、どちらか一方が泣く方を慰めた。ジュウクが私のところで泣かなくなったのは、いつからだっただろうか?
思い出そうとしたが、あやふやで答えを出すことが出来ない。私が分からないくらい、彼はゆっくりと確実に私から離れていったことに目を瞑った。
心の隅で何かが苦しく蠢いたが、ジュウクの背をゆっくりさすることで、その苦しさは緩和されていくような気がして、ずっとそうしていた。
ジュウクを慰めているのに、私が彼に救われていることに気づき腕を引っ込める。
その手をジュウクは咄嗟に掴んだ。
「あ……」
ジュウクが驚いたように小さく声を漏らし、目を泳がせた。
「どうしたの?」
掴まれた手は直ぐに離されぶらんと下がる。ジュウクはふらりと立ち上がり、戸に向かっていく。その足取りは覚束ない。
「どこ行くの?」
「……」
私の問いにジュウクは応えず足を止めない。
やはり今日は変だ。
「ジュウク?」
慌てて追いかけるとジュウクは逃げるように走って扉を越した。
えぇー! ちょっと!何で逃げるの!?
反射的にシーラスも後を追う。だが追いつくどころか離される一方。夜の森は走りづらいし身体能力もジュウクの方が上だ。私も鍛えてるんだけど敵わない。
さっと木陰から兵が顔を出す。
「えっと、何でもないから気にしないでね」
手を振ると兵はまた身隠す。
隠れてはいるだろうけどピッタリ私をつけてきているだろう。仕事なんだから仕方ない事だけれども、私としては正直めんどくさい。
撒きたいなー……。
その場で回れ右をしてジュウクの家に戻る。
話し合うのに見張りの人はいない方がいいからなぁ。申し訳ないけど。本当にごめんなさい。今回だけ許してください!
ジュウクの家の扉の鍵をしめる。
この家の扉は一つしかない。平家で隠れ家みたいなこの家には、あと窓くらいしか外に脱出口がない。だけど窓から出たらすぐに兵に見つかるだろう。
「確かこの辺りに……」
昔、この家の壁壊したような気がする。何処だっけ?
本棚の後ろ辺りだったと思う。本棚は重いけど仕方がない。一際重そうな本だけを取り出し棚を引きずる。
駄目だ。予測はいていたが、数ミリしか動かない。
諦めて本を全て抜き出す。後で本を戻すのが大変そうだ。謝っておかなきゃ。
空っぽの棚だけでも結構な重みがある。最初よりは軽くなったけれど。
「良かった。まだ残ってる。」
ジュウクが魔法で塞いでしまっていたらもともこうもない。
開いた穴には板が打ちつけてあったが、これならどうにかなりそう。
私はグルーク史上稀にみる(良く言えば)行動力のある、(悪く言えば)お転婆なのよ!
にやりと口端をあげ、髪飾りを外し板と壁の僅かな隙間に差し込む。
根性だー!!
ぐっと力を込め髪飾りを手前に引く。
「わっ!」
思ったより簡単に板が外れ尻餅をついた。
外れたというより割れたというのが正しい。多分雨にうたれて痛んでいたのだろう。割れる際に大きな音がした。兵に気づかれてないよね?
窓から兵の様子を伺ってみたがどうやら気づいていない。木陰で小さく兵が欠伸したのを見て、ほっと溜息を吐く。
うーん。やっぱりこの穴小さいよなぁ。
これは昔ジュウクと大喧嘩した時出来た穴。
ジュウクの師匠、マルサが壁に穴をあけ、脅して私たちの喧嘩をやめさせた。
『これ以上続けるならこの家を飛ばしますからね。』あの時笑顔で恐ろしい事を言ったマルサにジュウクは今でも頭が上がらない。
わぁ……ギリギリ、通れる。服や髪を引っ掛けながらもなんとか通ることが出来た。後でこっそり繕わなくちゃ。侍女にはバレそうだけど。
兵を撒くことは出来ただろう。さて、ジュウクは何処に行ったのかな?
予想は付くけど。久しぶりにアノ場所に行く。迷わず辿り着くことが出来るかが一番の不安要素だ。夜中の森だしね。
そう悩んでいても仕方がない。行くしかない。拳を握り締め、少々歪んだ髪飾りで髪を止めなおし、気持ちを入れ替えた。音を立てないようにそろりそろりと歩き始め家から数メートル離れたところでダッシュする。
初めは余裕たっぷりで全力で走っていたが徐々に息が乱れてくる。正直キツい。
時々立ち止まり休憩を挿みながら走った。
ジュウクが居るのはたぶんよく遊んでいた池じゃないかな。外れていたらどうしよう。だけど自分の勘を信じるしかないんだ。
肌に汗が浮かび髪は乱れる。ずっこけて土もついた。血は出てないだけマシであろう。
あーもう。クソジュウク!と、叫びそうになったが、夜の暗い雲を反射している水面を見つけ喉のことろで堪えた。
池の辺で横たわっているジュウクを見つけ怒鳴り付けようと、ふらふらの足取りで近寄った。もう体力の限界。
どーせ喚くなら、ジュウクの耳元にしようと顔を覗き込もうとした。ジュウクの肩をつかんでも無反応。
おーい。無視するなぁ!
顔をがちりと掴みこちらを向かせる。
……なんだ。寝てる。
瞼を伏せ寝息を立てスヤスヤ眠る彼はとても無防備だ。どんなけ苦労してここまで来たと思ってるのよ!
シーラスはへなへなと直接地べたに座り込んだ。拍子抜けだわ。
だいたい魔法使いとしての自覚が足りない。敵に寝込みを襲われたらどうするつもりよ。いつもは敵だろうと、味方であろうと、瞬時に跳ね起きるのに。勿論、私でも。
「ジュウクのばか。」
怒鳴るつもりだったが意気消沈。思っていたより消えそうな声だった。
隣で寝ている仕事帰りのジュウクに、罵声をあげることなんてどうせ出来ないんだ。疲れている上にどこか様子がおかしい人を思いやるくらいしなければ。
湖面に映った暗い雲が流れるのを見て、私はジュウクに伝えようと思っていたことを思い出した。
「あのね、ジュウク。私婚約するんだって。ウェイグの人と」
まるで他人の事のように、話し始めた。寝ているジュウクが聞いている筈がない。
どうしても今、言っておきたい事だ。誰も聞いていないので私はどんどん本音を吐いていく。
「婚約の話を聞いた時は“ついにか”って思ったの。この国を受け継いでも継がなくても、結婚だけは避けられないって分かってたし。思ったより早かったけど」
私の夫になる条件は厳しい。
まず、今の政界上の力の均等を保つために、有力貴族は相手から排除。
かといって、ある程度の力を持っていないと利益がこない。 ポイントは相手に極力益を出さそずにこちらに益を出すこと。そんなこと誰が相手でも無理な事。もっと婚約者選びに時間が思っていた。だから、のうのうと結婚のことを考えずに過ごしてきた。ショックだったのは、私の知らないところでウェイグとの縁談が進んでいたこと。(当たり前なんだけど)私の意見など取り入れてもらえないことに気づき落ち込む。
「正直、嫌なんだよねー」
へらへら笑ったが、バカだと気づきすぐに止めた。誰も聞いてないのに表情を取り繕う必要があるか。シーラスは笑いも泣きもしなかった。誰も見ることがない、冷たい表情をする。城での私は私であって私でない。何時もくるくる表情を変えて疲れる。
本当の私じゃないのよ?
顔は笑っていたが、心は秘かにそう思っていたのだ。
「小さい時は自然に信じてた。私の隣には必ずジュウクがいるって。無理なのに」
小さい掠れ掠れの声で呟いた。呟いたというより昔の自分を嘲笑うように吐き捨てた。自分の身をぎゅっと、抱きしめる。
静かな湖は寒かった。凍える程ではないが、うっすら寒気がする。汗が体温を奪うのだ。二人の間を沈黙が流れた。ジュウクの寝息さえ私の耳に届かない。
「いつからなんだろうな。自分の気持ちを隠して生き始めたのは」
低い声が沈黙を破った途端ふわりと温かいものがシーラスを包み込む。私の頭ををジュウクの手が自分の方へ押さえ込んだ。
気持ちを隠してきたのは私なのか。それともジュウクか。
それとも二人共なのか。私たちは知る由もなかった。
ネット小説ランキング様の方で「小説家になろう」の登録拒否が決まりましたので元旦までには、ランキングから引き上げたいと思います。約半年の間ありがとうございました。「シーラス姫と愉快な仲間たち」はまだまだ続きます。お付き合いよろしくお願いいたします。