第83話 乗車中の暇潰し
結局、俺が選んだのは、ざる蕎麦と天丼のセットだった。現実で食べた味とどれくらいの差があるのか、比べてみたかったのだ。
因みにお値段は25クレジット。車内販売価格だとしても少々、いや結構お高く感じてしまうのは、俺が庶民だからだろうか。
「……まあ良い。見せて貰おうか、仮想の蕎麦とやらの味を」
無意味に腕組みなんぞして注文が来るのを待っていると、程無くドアがノックされた。一呼吸空けて、ドアの上半分にトレーを持つサンティーニの姿が映る。ドアにセキュリティカメラが内蔵されているらしい。
待たせちゃいかんと、返事をしつつ急いでドアを開ける。
「お待たせ致しました。ご注文のざる蕎麦と天丼でございます」
「ありがとうございます!」
「蕎麦湯もありますので、宜しかったらどうぞ。それと、こちらはエプロンです。お使い下さい」
サンティーニはトレーを受け取った俺に紙エプロンを見せた。
言われてみれば確かにスーツが蕎麦汁で汚れてしまう可能性もゼロではない。
俺はトレーをテーブルの上に置いて、紙エプロンも受け取った。
「食べ終わった食器はそのままゴミ箱に捨てて下さい。それでは、ごゆっくり」
「はい、有り難うございました」
ドアが閉まったのを見届けてからテーブルに戻り、通路側の椅子に座る。こちら側だと車窓の景色が見えるのだ。
トレーからカバーを取り外すと、ざるに盛られた蕎麦と蕎麦猪口に入れられた汁、エビ3匹に野菜の天ぷらが幾つか乗った丼と蕎麦湯の入った急須――全て凝ったデザインではあるが、使い捨てのプラスチック製だ――が現れた。
「おぉ……美味そうじゃないか」
いざ食べようと箸を取ったところで、ふと思い出してトレーに戻し、紙エプロンを身に着ける。別に無くても良い様な気もするが、折角余所行きのお洒落してるんだし、たまにはやってみよう。
紙エプロンで服の前面がちゃんと隠れた事を確認してから、俺はざる蕎麦に手を付けた。
――――――――――――――――――――
「ふぅ……美味かった」
空になったざると丼を前に、俺は蕎麦湯で割った汁を食後のお茶代わりに啜っていた。
車内販売価格とは言え、流石、2千5百円相当の味だった、と思う。そんな値段の昼飯なんぞ食った事は無いが。
少なくとも、先程食った昼飯より、蕎麦も汁も美味かった。まあ、所詮は素人が茹でたスーパーのプライベートブランドの乾麺と麺つゆだもんな……。
ともあれ、二度目の昼飯を堪能し終えた俺はトレーと食器と紙エプロンをゴミ箱――入口のドアのすぐ横の壁に、厚みから考えると非現実的な口が開いていた――に捨て、部屋から出た。車内の探検に出発である。
先ずは通路を後尾へと移動する――とは言っても少し歩いただけで行き止まりである。
突き当りにスタッフルームと書かれたドアがあり、そのすぐ横にトイレのドアがあった。
「ふむ。一応、あるにはあるのか」
ゲームとは思えない凝った造りに感心しながら、今度は前方へと移動する。
丁度、車両の中央付近を過ぎたところで、3号室から痩せた、神経質そうな男が出て来た。年恰好は結構若そうに見える。多分、大学生くらいだろうか。
俺に気付いていないのか、広くない通路のど真ん中を大股で後尾へと歩いていくので、壁にへばり付く形で避けなければならなかった。避けた背中に、彼の肘が掠る。痛い訳じゃないが、急な衝撃に思わず声が漏れた。
「――ッ! あ、す、済まない。大丈夫?」
「はい、ちょっとびっくりしただけです」
やっと俺に気付いた大学生に事なかれ的な返事を返すと、彼はもう一度「済まなかった」と言い残して、6号室に入っていった。
「何だったんだ、ありゃ……」
チラリと見た彼の顔は蒼褪めて強張っていた。3号室で部屋の人間と喧嘩でもしたのか、そんな感じだった。
何と言うか、推理物のドラマで一人目を殺した犯人と擦れ違う証人になった気分だ。
「……オリエント急行ならぬ、長距離バス殺人事件とか起きたりしないよな?」
俺は栃木だか茨城だかの不良じゃねぇんだから勘弁して欲しい。
大体、俺に推理能力を期待するのはお門違いだ。何しろ未だに連載が続いている某推理漫画で犯人を当てた事が一度も無いんだからな。
被害妄想気味の疑心暗鬼に陥りながら、俺は車内探検を再開した。
通路は1号室を過ぎた所でガラスのドアに遮られていた。端末で見た車内案内図によるとドアの向こうは展望室になっているらしい。
ドアを開けると、中から甲高い言い合いが聞こえてきた。
「幾ら見せびらかしたいからって、ここで着けるのは危険過ぎるわ。あの都市じゃ有名過ぎる物だし、関係者が乗っててもおかしくないし」
「あいつのアクセサリー好きは解かってるだろ?」
「大体、あんたがそうやっていつも甘やかすからあの――」
思わず声のした方向――展望室の奥まった辺り――に目を向けると、男の子と女の子が言い争っていた。確かバスターミナルまで案内してくれた家族連れの内の二人だ。体格からして男の子の方が兄だろう。着ている子供服とはバランスの悪いブーツが目立っている。お気に入りなのだろうか。
疲れた仕草で兄が目を逸らした先で、俺と彼の視線がぶつかってしまった。
そのまま妹を巻き込んだ三人の時間が止まりかける。
「おい、何こっちをジロジロ見てんだよ」
無言のままのこちらに痺れを切らしたのか、妹が俺を睨みながら文句を付けてきた。
下手な返事は藪蛇になりそうだと感じた俺は、黙って会釈をするだけに留めておく。
「おい、行こう」
「……チッ」
俺と妹の様子を見た兄が、妹を促して展望室から出て行った。
妹の方は擦れ違い様、俺に聞こえる様に大きく舌打ちしてから、兄に続く。一見して大人しそうに見えるのに、意外とキツイ性格らしい。
「何なんだ、一体……」
閉まったドアの向こうで、二人が3号室に入って行くのが見えた。
そうすると、家族連れの残りである両親は2号室に居るのだろうか。
因みに、このバスの4号室から6号室はグリーン車に相当するハイランクの部屋になるとチケット売り場の小母さんが言っていた。
「……って、さっきの兄ちゃんが出て来た部屋じゃないか?」
あの兄ちゃん、家族連れと知り合いなのか?
この後、事件が起きますと言わんばかりの、如何にもな展開が続いている事で、殺人事件に巻き込まれるんじゃないのかと言う不安感が急速に増える。
俺は膨らみ始めた怖い妄想を溜め息と一緒に追い出し、前方の車窓に目を移した。
展望室の壁は、背後――1号室との壁とドア――以外、全てがスクリーンになっている。
バスの走る道路が荒野の中を地平線まで真直ぐに伸びている単調な風景が広がり、時折、道路の側にある立木や標識が凄い勢いで流れていく。
昼を回ったばかりの太陽は空の高みにあり、目的地である軌道エレベーターの細い糸が地平線の向こうに見える山脈の更に先から空の彼方へ向けて張り詰めていた。
暫らくその様子を眺めてから、俺は部屋に戻る事にした。
まあ、気にし過ぎても仕方がない。いざとなれば、このままログアウトして火曜日まで放って置けば良いのだ。このまま何事も無く、平和にフォーチュンへ到着してくれるのが一番だが。
「本当に、殺人事件とかは勘弁して貰いたいんだがなぁ……」
ぼやきながら展望室から部屋へ戻る途中、4号室のドアを過ぎた辺りで、俺は壁際に何かが落ちているのを見付けた。
「指輪、か……」
拾った指輪はサイズからして女性用で、精緻な彫刻がなされた台座に宝石が幾つか嵌められていた。この手のアクセサリーには詳しくないが、それでも、かなり高価そうに見える。
これをどうしようか、と眺めていたら、視界にウィンドウが現れて電子音が鳴り響いた。
【クエスト『落とし物を届けよう!』が発生しました。
クエストを受領しますか?】
バスに乗っている間の暇潰しのつもりなのか、クエストが発生したらしい。
受けるべきか、止めておくべきか……。
暫らく悩んで、俺はクエストを受領した。流石にこのまま火曜日まで何もしないのは虚し過ぎると考えたのだ。
今日明日だって予定も約束も、ある訳じゃ無し。
「方法なんて、片っ端からノックして総当たり位しか思いつかないんだけどなぁ……」
考えを纏める為、俺は部屋へ戻った。
――――――――――――――――――――
部屋に戻った俺は2段ベッド下の椅子に座り、指輪を調べてみた。ドラマ等では、この手の品には何らかの手掛かりがある場合が多いのだ。
まずはオーソドックスに輪っかの部分の裏側――指にあたる部分――を確認する。
「ええと……『我が愛しのクレメンタインへ。40年目の結婚を記念して。 ジム』? 西部劇に出てくる様な代物には見えないんだが……」
どうやら、この指輪は夫から妻への結婚記念日のプレゼントらしい。そう言えば、40年目って何婚だっけ……?
だが、そうなると一つ判らない事が出てくる。
この指輪が落とされたのは、俺が展望室に居た頃の筈だ。
部屋から展望室へ向かう時には無かった。もし落ちていれば気付いたと思う……多分。
そして、俺が展望室に居た間に通路を通ったのは、例の兄妹だけだった。
だが、彼等は指輪が落ちていた4号室の前を通っていない。その手前の3号室に入ったからだ。
「後は、あの兄ちゃんだが……」
俺の背中にエルボースマッシュをヒットさせた大学生。彼ならば、時間も場所も丁度良いのだが、なぜ彼が女物の指輪を持っていたのだろうか。
単純に考えれば彼の祖母――母親とするには、ちょっと歳が合わない様に思えた――の形見、なんてのがあり得そうな理由だが……旅行先のバスの中で持ち歩くか?
落とし主が俺の外見と近い年齢の兄妹でも大学生でもないのならば、指輪は俺が展望台に向かう前に落ちていた――そして俺はそれに気付けなかった――事になる。そうだとすれば、現在乗車中の全員に持ち主の可能性が出てくる訳で……
「下手に推理するよりも、片っ端から聞いて回った方が早い、か……ひゃあ!?」
腕を組んで上段ベッドの裏を睨み付けていたら、頭の中に電子音が鳴り響いた。急遽現れたウィンドウに現実側の玄関に設置されているセキュリティカメラの映像が映し出される。宅配業者が荷物を持って来たらしい。
そう言えば遠金に言われてゲーム内のメールの転送を設定した時に、便利そうだからと来客時や電話の呼び出しをゲーム内でも受けられる様にしたんだった。
「今出ます!」
荷物を足元に置いて不在票を取り出し始めた宅配業者に慌てて声を掛けて、俺は急いでログアウトした。




