第15話 ダイブ・イントゥ・ユア・ストマック
前回および今回の話には、グロテスクな表現が含まれます。苦手な方はご注意下さい。
特に今回は一部の方に対して胃の痛くなる様な描写があります。お気をつけ下さい。
「――ぐぇ!?」
……本当に止まりやがりましたよ。危うく舌を噛むところだった。
唐突に触手――と言うか、母狐全体が固まってしまい、戦車中隊からの一斉砲撃をまともに喰らい始めている。中隊の皆様も、この時とばかりに可能な限りの速度で連射している様だ。砲声が今までとは一味違っている。
そして俺はと言えば、地上から約35メートル程の空中で未だ逆さ吊り状態だったりする。しかも頭上――もとい、真下には大口を開けて固まっている母狐の頭が待ち構えているのだ。
「は、放すなよぉ? 今、ここで俺の足を離すなよぉ……?」
生唾を飲み込みながら、地獄への入り口にしか見えない口の奥を眺める。どんどんと激しさを増す揺れに、足首の触手が解けて口の中へ落としこまれそうで恐怖が倍プッシュ中だ。
『サーウさん、聞こえるッスか?』
突然、耳にヤーウィの声が飛び込んできた。ボイスチャットの様に頭へ直接入り込むのではなく、ちゃんと耳から聞こえている。
『チーム登録した時に設定した無線で連絡してるッス。こっちから見える様子だとサーウさん、ボイスチャットの受信ボタンが押せなさそうッスから』
(五月蝿ぇよ。事実だが)
『あー……無線の場合は声に出して喋って貰わないと聞こえないッスよ?』
「……了解。それで、何で解る? お前はエスパーか?」
『違うッス。皆、1回はやらかす事ッス。お約束って奴ッス』
「左様で。まあそれはそれとして、いきなり連絡してくるとは何か拙い事でもあったのか?」
『や、拙いって訳じゃないんスけど、現況の説明と今後の方針について打ち合わせでも、と』
「なるほど。何かすっごく揺れまくって怖いんで、出来るだけ簡潔に解り易く頼む」
『了解ッス。で、現在の状況なんスけど、母狐のHPは、先程、三分の一を割ったッス』
「ふむん……それで?」
『今こいつが固まってるのは、ザザンさんが第1脳を破壊して麻痺効果が発生しているからッス』
「ザザン?」
『さっき、逃げる途中で出会った迷彩マントの人ッス。それで、もうそろそろ麻痺の効果が切れる筈なんス』
「……って事は、もう少ししたらさっきまでみたいに暴れだすのか」
『それ以上ッスね。HPが三分の一を切ったんで、復活と同時に装甲を破棄して、高速で戦車目掛けてランダムに突進してくる筈ッス』
……装甲って、この甲羅の事か? これを全部落として身軽になって暴れまくるって……甲羅の下がどうなっているのかも含めて、怖い考えしか浮かんでこないんだが。
『そこでサーウさんにやって貰いたいのが――』
ヤーウィの話を遮る様に、母狐の咽喉の奥から本日何度目かの轟音が吐き出された。
口の上空5メートルにぶら下がっている俺は、その直撃を浴びてしまい、嵐に翻弄される木の葉の気分を満喫する破目になっている。今触手から開放されたら、物理的な意味でお星様になれそうだ。
『いや、それはお星様じゃなくて、只のスペースデブリッス』
「だから何で突っ込めるんだよ!?」
『実は、こいつが動き出す前に口の中に飛び込んで貰って、中から毒をばら撒いて欲しかったんスけど、間に合わなかったッスね』
「スルーかよ! それと間に合ってても出来ねぇよ! 怖過ぎるよ! て言うか中に入れるのかよ!?」
『さあ……それは何とも言えないッス。未だ誰も試した事無いんで』
「それを初心者にやらせるのかYO!!」
爆音がいきなり止まり、代わりに木の生皮が裂ける様な音が響き始めた。何の音かと周囲を見回すと、母狐の身体を覆っていた甲羅が剥がれ落ちていくのに気付いた。
次々と脱落していく甲羅の下から現われたのは、うねる剛毛に覆われた狐っぽい巨体だった。ただし、脚部は相変わらず蟹とダンゴムシをミックスした形状のままだったりする。
剥がれ落ちる甲羅をどう避けたのか、母狐の後頭部付近に薙刀の様な物を突き立てている迷彩男の姿が見えた。あの辺りがどうやら第1脳らしい。
彼はマントの下から銃の様な物を出してきて薙刀の側に撃ち込んだ。命中した場所には小さな金具があり、そこから銃口に向けてロープが伸びている。
薙刀を引き抜いた彼は、そのロープを利用して降下していく。まさにレンジャーとしか言えない見事な挙動だ。だが、その見事な降下も、降りきる前に母狐が急に動き出した為に中断してしまった。
急に動き出した壁面に薙刀を突き立て、体勢を何とか立て直した彼に、付近の剛毛が絡み付く様に寄り集まる。それを引き抜いた薙刀で切り払ってルートを確保しながら、彼はゆっくりと降下を再開した。
――と、その模様を上空35メートルから眺めていた俺にも新たな展開が待ち受けていた。
偶然の産物なのか狙っていたのか、触手が巻き付いていた左足首を開放したのである。
「俺は不味いぞぉぉぉぉ!」
絶叫しながら母狐の口の中へ落下しながら、俺は抱えていた突撃銃を闇雲に振り回した。結果、鮫も裸足で逃げそうな牙の列に銃身が引っ掛かる。急な衝撃で銃から滑り落ちそうになったが何とかしがみ付き、とりあえず胃袋直行ルートから外れる事に成功した。
勿論、それで俺のピンチが終わった訳ではない。足元の黒い穴から巨大な舌が上って来たのだ。
どうやら舌先で歯に引っ掛かっている俺をせせるつもりらしい。
「俺は食べカスか!」
俺の突っ込みを肯定する様に、ぬらぬらとした巨大な塊が先端を尖らせながら這い寄って来た。うねる舌の表面に拳大の穴が無数に見えるが、あれは味蕾だろうか。
俺をかき出そうとグイグイ押してくる舌先を渾身――だと落っこちそうなのでバタ足よりはましなレベルの蹴りで迎え撃つが効果は無く、逆に俺の体を支えている銃身が振動で牙の隙間からずり落ちかけていた。
「ヤバイ……このままじゃ消化されちまう……」
昔読んだ医療漫画にあった鯨に食べられた人間の話が頭を過り、気持ちばかりが空回りを始める。
焦って大きく蹴り込んだ足が空振り、俺はバランスを崩しかけた。慌てて銃にしがみ付き、その拍子にトリガーを握り込んでしまった。無意味にばら撒かれた銃弾の反動で、引っ掛かっていた銃身が抜け落ちる。
「結局落ちるのかよおぉぉぉぉぉぉぉ!」
二匹目の泥鰌を狙って、またもや銃を振り回してみたが、今度は何処にも当たらなかった。更に母狐が高速機動を開始したらしく、俺の体はピンボールみたいに弾みながら、食道の奥へ順調に向かっている。何とか銃剣を突き立てて止まれたのは、食道の出口――噴門とか言うらしい――で体の半分が胃液の上に落ちかけた状態になってからだった。
「ふう……死ぬかと思ったぜ……」
母狐が直線をかっ飛ばしているのか、揺れも比較的少ない。このチャンスを逃してたまるかと両の腕に力を込めて落ちかけている下半身を引き上げ――ようとしたら、オレンジ色に光るナイフの周辺がどす黒く崩壊し始めていた。
「げ……」
足場を求めて両足であちこちを探ってみるが、ぬるぬるしている胃壁にはそんなご都合主義は通じなかった。
母狐の胃袋を毒の刃で切り裂きながら、俺は胃液の中へと着水した。銃剣の軌跡がどんどんと腐って爛れ続けて、胃袋の外が垣間見えている。
……何と言うか、ここまで作り込む必要はあったのだろうか?
装備を胃液で溶かされて、視界の片隅にあるインフォメーション欄には破損の警告がずらずらと並び始めていた。このままでは消化されて死に戻りになりそうだ。
色々足掻き続けた結果、俺は切り裂いた胃壁の隙間に体を潜り込ませる事に何とか成功した。下半身の装備は見た目もステータス的にもボロボロになってしまったが、一息吐けたのは嬉しい。だが俺の付けた傷跡は、その間にも拡大を続けていた。
胃袋の隣にある臓器――色からしてレバ刺し、もとい肝臓だろうか――に寄り掛かって、俺は荒くなっていた呼吸を静めた。モトクロス選手みたいだと多少馬鹿にしていた防具のお陰で、現在のHPは2割少々が失われただけで済んでいる。ここに到るまでの道程を考えると優秀なのではないだろうか――勿論、装備が。
母狐は、どうやら戦車中隊の攻撃を左右のステップで避けているらしく、かなりの急加速が乱雑な方向に掛かっている。もっとも胃壁に無理矢理隙間を作ってビバークしている俺には、それほど深刻な問題とはならない。グロテスクな景色と気持ち悪い軟らかさ、そして強烈な臭いを我慢しなければならないが。
「さて、ヤーウィに連絡でもとるかな……」
ヘルメットには簡単なコンピュータが内蔵してあるそうで、無線連絡贈る時は相手の名前の後に「コネクト」と呟くだけで良いとの事だ。
俺がヤーウィを呼び出そうと口を開いた時、体全体が下方向へ急激に押し下げられた。どうやら母狐がジャンプしたらしい。胃壁とクッション代わりの臓器の隙間に手と足を押し込むようにして体を固定すると、押し下げられていた体が一瞬浮いて、今度は上に押し付けられる。その後に続いた着地の衝撃も軽く乗り切ってみせ、ちょっと自信過剰になった俺へ、胃液の荒波が何処ぞの映画会社っぽく打ち寄せて来た。
「糞ッ! 何て酷ぇ扱いだ!」
浴びせられた胃液で下半身の防具が軒並み喪失し、上半身にも2割以上のダメージを受けた。インフォメーション欄に赤く光る警告が流れていく。
全身に掛かった飛沫を払っていると、肩に何かがへばり付いてきた。嫌な予感がして振り向くと、クッションにしていた臓器が胃液の酸で溶け出していた。中の体液や臓器の一部が開いた穴から滴り落ち、俺に降りかかっている。
加えて俺が切り開いた傷口にも胃液はかかっており、人工的な胃潰瘍を生み出していた。溢れた胃液が外にある内蔵を溶かし始めている。
ここに到って、母狐は己の体内で起きている痛みに気付いたらしい。胃袋が前後左右上下、あらゆる方向に傾き、跳ね、転がった。それに合わせて胃液も飛散し、内臓を溶かす。痛みの増した母狐が更に転げ回って内部の損壊が一層進む。
そんな中で俺は胃壁と内臓の隙間に我が身を押し込めるので手一杯だった。降りかかる胃液が俺の装備を蝕んでいく。ヤーウィと連絡を取ろうとするが、体内まで電波が届かないのか、ヘルメットの無線機能が壊れたのか、ノイズ以外の音は聞こえてこない。
不意に母狐の動きが止まった。先程の麻痺効果の再現みたいな事態に、俺は隠れていた内臓の隙間から顔を出した。
派手に転がる様な動きは無くなり、外から砲撃されているらしい振動が伝わってくる。
「そういえば、ヤーウィは『第1脳』と言ってたな……」
口に出して現在の状況を整理する。
「だとすると……これはザザンだったか? が第2脳を破壊して起こした麻痺効果、って事か……」
それならば、今が攻撃するチャンスだ。俺は突撃銃を……持っていなかった。隙間に隠れるのに夢中で何時の間にか手放していた様だ。
付近を見回すと、ぱっくり開いている傷口を挟んで俺とは逆側の隙間に銃床が飛び出している。俺が銃を取りに隙間から体を引き出した時、母狐の体が傾いた。落ち着いていた胃液の中へ、俺は成す術も無く頭から飛び込んでしまう。
胃液に溺れながら、母狐が倒れた衝撃を感じる。と同時に周囲が白く光りだした。
あれだけ肉々しかった内臓が、透明なガラス状へと変質していく。外界からの猛攻で、どうやら母狐を倒せたようだ。
ガラス状のポリゴンに変化した俺の周囲は、そのまま砕け散った。ダイヤモンドダストの只中浮かんだ状態となり、思わず周囲に見惚れてしまう。ポリゴンの吹雪が消え去った後には、俺と俺の愛銃だけが残った――地上10メートル程の空中に。
「また落ちるのかあぁぁぁぁぁ!?」
あらん限りの絶叫と共に落下した後の、俺の残りHPは1だった。




