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09.過去と未来

 「……というわけで、東の練兵場は整地が必要だ。手間を掛けさせるが、宜しく頼む」


 サクラが待つ練兵場へ向かう途上、追い付いたリーゼロッテに事のあらましを伝える。


 「ああ、その程度ならば構わない。サクラの修練のためだ、多少の犠牲には眼を瞑るさ」


 そう言ってリーゼロッテは快く許してくれた。とはいえ、これはサクラが絡んでいる案件だからだろう。

 普段であれば、当事者である俺ひとりに整地を任せ、全てが元通りになるまで責任を取らされたに違いない。


 「……しかし、お前とサクラが出会って早五日か。……ふ。今思い返せば、あの時は随分と威勢のいい啖呵を切ったな、エイン?」


 隣を歩くリーゼロッテが、にやりと口元に笑みを浮かべながら俺を見る。


 「まさか、彼女に名前まで与えるとは思わなかったぞ?」


 「……言うな」


 彼女の手厳しい言葉に、俺の心が抉られる。忘れようとしていたことを、まさかここで掘り返されようとは。

 今思えば、確かにあの時、サクラが持つ魔性と場の雰囲気に呑まれて、普段らしからぬことを口走ったのは認め難い事実だった。


 「ふ。お前は昔から、目の前のことに熱くなり過ぎると我を忘れてしまう癖があるようだな」


 リーゼロッテの指摘に過去を反芻してみる。確かに心当たりがないわけでもなかった。

 サクラに名前を与えた時然り、魔術の講義に熱中し昼食を台無しにした時然り。

 つい先程も、模擬試合で使用した魔術によって練兵場を再起不能にしてしまった。

 普段から冷静さを失わぬよう心掛けてはいるが、思いのほか徹底されていない。反省する必要があった。


 「だが、彼女に名前を与えたことは決して悪くないと思うぞ。彼女も、番号で呼ばれるのは勿体ないだろう。あれだけ可憐な容姿をしていれば、可愛らしい名前のひとつやふたつは付けたくなるというものだ。……ただ」

 

 そこまで言うとリーゼロッテは言葉を切り、歩を止めた。俺の眼を真っ直ぐに見詰める。

 憂いを秘めた彼女の瞳。次に何を言わんとしているか、大方予想はついた。


 「……彼女に入れ込むのは危険だぞ?」


 「……ああ、分かっている」


 リーゼロッテに窘められ即答する。彼女が伝えようとしている危険性は、自分でも常日頃からよく分かっていた。

 サクラに入れ込むことを良しとしない理由。それはつまり、彼女が兵器であるということを忘れるな、という意味。

 サクラが如何に人間であろうと、彼女は一種の兵器として調整され生み出された存在。その境遇に、人として同情するも悲嘆するも自由だ。

 だが、任務を与えられた軍人としてはそうはいかない。本来であれば、一切の私情を排し、彼女と向き合う必要がある。


 「それに、な。お前はサクラと接することで、何かの許しを乞おうとしているようにも見える。まるで、罪を償おうとしているかのような……」


 その言葉に、俺は無意識の内に歯噛みしていた。リーゼロッテの指摘は、正に当たらずと雖も遠からず。

 実際、今の俺はサクラに小さな光を見出し始めている。彼女が例え、人の手によって調整され、生み出された兵器の類いであったとしても。

 その純真さが、無垢な心が、かつて人の業を知って穢れた者にとっては眩しく見える。だからこそ、溺愛にも等しい感情で彼女に生きるための術を教え込む。

 初めこそ、魔術に関する興味だけを以て接していたが、今では違う。俺の心は既に、彼女に生きるための術を教え込むことによって、真っ当な人間が歩むべき道を指し示そうとしている。

 サクラが戦場に立つことによって、失われてしまうかもしれない人間性を護りたい。

 過去の俺がそうであったように、彼女に破綻者としての轍を踏んで欲しくはない。


 「……その通りだ。俺は、サクラに技術を教え込むことで、俺自身の罪を贖おうとしているに過ぎない。彼女がこの先の未来、少しでも幸福に生きられるように」


 納得できるような説明を並べ立てるが、リーゼロッテの表情は一向に変わらない。

 どうやら、彼女の憂いの矛先は異なる方向を向いているようだった。僅かに逡巡した後、リーゼロッテがゆっくりと口を開く。


 「……過去が、辛いか?」


 「……ッ」


 まるで心の内を見透かされていたかのようなその言葉に、冷や汗が走る。

 何と言って返すべきか言葉が見つからず、俺は自然と押し黙ってしまった。


 「気付いているかどうかは分からないが、お前は根が真面目過ぎる。表面上は過去を切り捨てているつもりだろうが、その根底に流れる罪への恐れは失われていない。……三年前、シュラーク作戦が敗退も同然に終わった時、お前が軍から抜けたのも、並々ならぬ責任を感じていたからだろう?」


 リーゼロッテの優しくも心に突き刺さる言葉。長い付き合いだからこそもたらされる彼女の配慮は、却って俺の心を蝕む。

 いつの間にか俯きかけていた顔を上げた時、俺の眼の前には、微笑むリーゼロッテの顔があった。


 「だがな、安心しろ。私も軍人である前にひとりの人間だ。サクラを想う気持ちは私とて同じ。だから、お前ひとりだけに任せるつもりはない。私も責任を持つ。心配するな」


 あたかも聖人のような救いの手を差し伸べるリーゼロッテ。その心強い励ましの声に、俺は辛うじて答えた。


 「……悪いな」


 「殊勝だな。私とお前の仲だろう。久しぶりに出会ったとはいえ、昔からの関係が変わった覚えはないぞ?」


 そう言って微笑むリーゼロッテの存在が、この上なく眩しい。

 彼女は、あの時と変わらない。如何なる絶望に未来が塗布されようとも、決して希望を見失わなかったあの時と。

 沈んでいた心を無理やり引き上げ、顔を引き締める。俺には、まだやるべきことが残っている。

 それを達成せずに逃げ出すことはできない。サクラと出会った時、確かにそう誓った。

 

 「……ひとつ、聞いてもいいか? 今更かもしれんが、西部方面司令部から通達された援軍がサクラのみと知った時、お前さんはギーツェン司令に上申しなかったのか?」


 この疑問は、以前から気になっていたものだった。

 とはいえ、軍上層部からの命令ゆえ、早々に覆すことができないとは知っていたが。


 「無論、上申したさ。無理を承知でな。……まぁ、結果は見ての通りだ。だが、こればかりはギーツェン司令を責めることはできないだろう。今回の命令を発した部署は、帝都の総司令部だ」


 リーゼロッテの回答に俺は納得した。もとより、マルス帝国が常設する軍隊は、中央集権化著しい政府と同じく、帝都に作戦司令室を置く総司令部の権限が最も強い。

 故に、地方の方面司令部といえども、総司令部から下達された命令には、一部の例外を除いて絶対に従わなければならないという風潮があった。

 かつては、諸侯貴族によって統治されていた帝国内の各領も、今では中央集権化によってその力と権限を失い始めている。

 ここグレンツェ領もその時代の波には抗えず、この地を統治するリーゼロッテの生家、リヒテナウアー家にもその皺が寄ってきているようだった。


 「どうやら、総司令部は中央の魔術師と密接な関係を築いているらしくてな。メルクーア王国から魔術の技術供与と引き換えに、多数の軍需品を取り寄せていることは、お前も知っているだろう? それが影響して、軍部の高官連中は奴らに頭が上がらないらしい。一種の癒着だな」


 一概に悪いとは言えないが、とリーゼロッテは付け加えた。

 確かに、帝国がザトゥルンからの侵攻を防ぐには軍需品が必要不可欠だ。それが無くては元も子もない。


 「……なるほど、それで被検体の受け入れ先を軍部が請け負ったというわけか」


 実験によって調整されたサクラを実戦に投入することで、その真価を測る中央の魔術師。そして、その結果が成功に終われば、軍部にとっても喜ばしいものとなる。

 正に一挙両得。強力な魔術兵器の誕生によって、帝国は周辺諸国に対し新たな脅威を知らしめることができる。


 「ザトゥルンの動向、そして、それに対応した援軍の派遣。それらを鑑みた結果、一番に白羽の矢が立ったのがここグレンツェ要塞だったというわけさ。最前線に近いながらも、次回の主戦場とは想定されていないからな。データを採るには打って付けの場所というわけだ」


 そう言って、リーゼロッテは肩を落とす。サクラの存在はともかく、軍上層部からの命令には思うところがあるのだろう。


 「ある意味災難だったな。……そういえば、もし、俺がお前さんの頼みを断っていたらどうするつもりだったんだ? 確かに、サクラは多少なりとも魔術を扱えるようにはされていたが、そのままでは不十分だろう?」


 リーゼロッテの勢いに押されて失念しかけていたが、あの時、俺が首を縦に振っていなければ、今頃は別の魔術師でも中央から召喚していたのだろうか。

 だが、仮にそうであれば、あらかじめサクラとセットで援軍として送られていたはず。

 その疑問に、リーゼロッテは自信ありげに答えてみせた。


 「その時は、無理やりにでもお前を連れてこさせたさ。……だが、確かに奇妙だ。上層部からの命令では、別にお前を軍に復帰させろとまでは命じられていなかったからな。あくまで私の独断だったのだが……他にも理由があるのかもしれん」


 なるほど、強引な手段はともかく、俺は初めから頭数には入っていなかったということか。

 だが、中央に居る人間、ましてや宮廷魔術師どもであれば、辺境に隠居した俺の存在自体は知っているはず。それを利用しない手はないはずだが――。

 確証のない予想を打ち立てていると、リーゼロッテが何かを思い出したように口を開いた。    


 「……ああ、そうだ。お前には前倒しで任務に就いてもらっているが、明日付で少尉の階級が与えられる。復役という名目でな。書類の関係上遅れているが、サクラにも特務少尉の階級が与えられることになった」


 「少尉か……了解した。それで、俺はどこかの部隊に配属されることになるのか?」 


 「軍隊の構成としてはかなり変則的ではあるが、系統としては、アウグスト殿麾下の司令部付き小隊という扱いになる。とはいえ、お前達ふたりはその特性上、場合によっては戦場を駆けまわってもらうことにもなりかねん。その辺りの作戦は追って伝えるが、臨機応変に動けるようにしておいて欲しい」


 「中々骨のありそうな仕事だな。……時に、肝心のザトゥルンの動向はどうなっているんだ?」


 それはすなわち、ザトゥルン共和国の軍隊が帝国の国境を越え、グレンツェ要塞に侵攻してくるまでの時間的猶予。

 サクラの練成は大方完了しているが、具体的な状況が知りたかった。場合によっては、速成でサクラに更なる強力な魔術を教え込む必要がある。


 「国境付近に放っている偵察からの情報によれば、ザトゥルンの軍勢は既に、渓谷を越えた先の丘陵に兵を集結しつつあるようだ。そこからグレンツェ要塞まで、行軍速度を鑑みれば約二日で到達できる。……おそらく、今日を含めて四日後、といったところだろう」 


 「……四日後、か」


 長いようで短い時間。だが、それだけあればサクラの魔術を完璧に仕上げることも不可能ではない。


 「先程入った情報によれば、帝国南部のシュペーア要塞でも、国境付近にザトゥルンの大軍が確認されたそうだ。おそらく、奴らはこことシュペーア要塞、その同時侵攻を狙っていると帝国軍情報部は推測している。……いよいよ、衝突の日が近付いてきてしまったな」


 そう言うと、リーゼロッテは頭を抱えた。グレンツェ要塞の司令官たる彼女の両肩には、民衆からの並々ならぬ期待とプレッシャーが掛かっていることだろう。


 (……とはいえ、俺も人のことは言えんな。開戦までに、サクラを最善の状態に仕上げなければ……)


 二国間の膠着状態が、今再び打ち破られようとしている。その結果がこの先の未来にもたらすものは、誰ひとりとして分からない。

 渦巻く陰謀、凄惨な戦場、そして、夥しい死者の亡骸。

 目に見える要素のひとつひとつは予想できるが、それらが折り重なってどのような結末を紡ぐかは神のみぞ知る。

 だが、俺は誓った。このグレンツェ要塞を、そして、リーゼロッテ、サクラを護り抜いてみせると。

 如何に傲慢で塗りたくられていようとも、最後までその意志を貫いてみせると、再び心に固く誓うのであった。


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