05.魔術
――魔術。
それは、地水火風からなる四つの属性――四大元素を操る術。
元素とは、この世界を構成する物質のことを指し、俗に“マナ”とも呼ばれる自然界の物質である。
魔術師はこれを使役するため、体内の“魔力”を消費し、“詠唱”を以て魔術を発動する。
どのような魔術であれ、おおむねこの段階を踏まえなければ、魔術を発動することはできない。
「……わざわざ、運ばせてすまないな」
そう言って、隣を歩くサクラに謝罪する。ふたりの手には、パンやスープといった昼食を乗せたトレイが握られていた。
本来であれば、リーゼロッテから兵舎付きの士官食堂を利用するように勧められていたのだが、事情もあってサクラの部屋で昼食を摂ることにした。
人目の多い食堂で食事を摂れば、少なくともサクラは周囲から奇異の眼で見られることは必須。俺自身も、他人から発せられる好奇の眼は好かない。
加えて、彼女に教える魔術の講義は衆人の目に付かない場所で行う必要があった。
「さて、早速昼食にありつきたいところだが、その前に。手短だが、魔術に関する話をしようと思う」
その言葉を聞いたサクラは、心なしか残念そうな表情を見せた。
質素なテーブルの上に置いた、熱々の湯気と食欲をそそる香りを立ち昇らせる昼食。
それを前にしては、如何に寡黙な少女といえども敵わないらしい。
ならば、話す内容の要点だけまとめて、早々に切り上げるとしよう。
「サクラ、中央の研究室に居た頃、魔術を使ったことは?」
「……あります」
「どういった魔術だ?」
「……物を壊したり、人を傷付けたりする魔術、です……」
サクラの回答に俺はひとつ頷いた。
もとより、中央の研究室から送られてきた報告書によれば、彼女は地水火風、全ての四大元素を扱えると記されていた。
ここで重要なのは、魔術師が扱える属性である。魔術師にも得手不得手があり、四大元素全てを扱える者もいれば、ひとつやふたつまでしか扱えない者もいる。
そういった意味では、彼女は希少な全属性を扱える魔術師ということになるが、それだけでは一流の魔術師とは言い難い。
一流の魔術師とは、他の誰もが扱えない高等な魔術を自らの手で編み出すことを目標として掲げており、より強力な、より効率的な魔術を生み出すことが求められる。
サクラの場合、彼女は四大元素全てを扱えるといっても、現段階では下級の基本的な魔術しか扱えないと報告にある。
そのため、俺は彼女に、一個師団規模の一軍をたったひとりで葬り去るほどの強力な魔術を教え込まなければならない。
今の彼女には、一軍を一瞬にして壊滅せしめる戦略的決定打となる決戦兵器としての実力が不足している。
それを踏まえて、サクラには人殺しのための魔術を教え込んでいかなければならないのだが――。
「ひとつ、ここで実験をしよう。魔術という名の深奥、その本来の意義について理解するためにな」
そう言って、テーブルに置かれたトレイから、生の豚肉が乗った皿を手に取る。
わざわざ無理を言って厨房から調達した豚肉の塊。これを使って、まずは魔術の深奥とは何たるかをサクラに教える必要がある。
「……あの、このお肉と魔術に、一体何の関係が……?」
意図を掴めてないサクラが、不思議そうな表情で俺と肉を見比べる。
「まぁ、見ていてくれ」
空いた右手を肉塊にかざし、意識を集中。脳内でひとつのイメージを練り上げる。
体内の魔力を励起。魔術の発動に必要な魔力量を調整、経験則から割り出し、固定する。
発動する魔術のイメージ、選定完了。残すは、発動に必要な詠唱を紡ぐのみ。
「――――“Lohen”」
魔術発動。かざした手の先に、赤々とした炎が瞬く様にして煌めく。
一瞬、生肉を炎が包んだかと思うと、さっと消えた。
すると、そこにはこんがりといい色に焼け、表面から脂を滴らせる豚肉の姿があった。
「食べてみるといい」
未だに要領を得ていないサクラに、ナイフとフォークで切り出した豚肉を与える。
フォークに突き刺さったとろとろの肉片に、彼女は不思議そうな顔をしながらも、一心にかぶりついた。
「……どう思う?」
本来であれば、釜戸に火を入れて鉄板で焼くなり、熾した火で直接炙って焼くなり、それなりの設備と時間を要するはずの調理法。
それをたった一瞬で、道具と労力を用いずに完成させる。利便性に富んだ魔術の使い方。
この世界では、人と人が争う戦争のために魔術が研究されており、このような魔術の使い方をする研究は、近年に入ってからようやく進歩し始めている。
故に、普段からこういった、人に利する魔術の使い方を見ていない者であれば、誰もが驚愕に眼を見張って「凄い」だとか、「便利」といった感想を抱くはずなのだが――。
「……美味しいです」
と、サクラは口をもごもごさせながら呟いた。
「…………。いや、俺の質問の意図が悪かった」
「……?」
きょとんとした瞳で俺を見詰めるサクラ。
その答えは決して間違ってはいないが、せめて肉の味以外の、できればもう少し学術的な答えを返して欲しかった。
ともかく、気を取り直して彼女に魔術の在り方を教える。
「俺が知っている魔術は、本来、人の生活に利便性をもたらすために研究されていたものだ。今のように、手間を掛けずに食材を調理するといったようにな」
無論、これはごく初歩的な応用法の一例であって、時には人が生み出した道具に敵わない場合もある。
例えば、釜戸であれば薪をくべ続ければ、火は燃え続ける。しかし、魔術で火を熾し続ける場合、術者体内の魔力が尽きれば、火は即座に消えてしまう。
つまるところ、対象に作用するエネルギー源の違いがもたらす差。それを鑑みれば、時と場合によっては、一概に魔術の方が優れているとは言い難い。
「中央の帝都にでも行けば、幾らかは生活のために役立つ道具代わりとして魔術は利用されているが……結局、この世界においてその基本は戦争目的での利用であることに変わりはない」
俺の説明をサクラは黙って聞いている。その意味を全て理解しているかどうかは分からないが、この説明を彼女に話しておくこと自体に意味があった。
「……だから、覚えておいて欲しい。この先、その手でどれだけ人を殺そうとも、魔術には人を間接的に助ける使い方もあるのだということを」
我ながら傲慢に満ちている。結局のところ、俺は彼女に人としての道を踏み外して欲しくないのだ。
それが例え、既に個人としての尊厳を踏み躙られた後だったとしても。魔術に溺れ、血塗られた外道に堕ちて欲しくはない。
神妙な面持ちでこちらを見詰めるサクラ。少しでも、俺が望む意図が伝わっていれば良いが。
「……少し、難しい話をしてしまったな。遅くなったが、昼食を――」
食べようと言い掛けるが、テーブルに置かれたパンやスープを見て思わず言葉を切る。
「……ご飯」
無気力ながらも、残念そうに言葉をこぼすサクラ。
その反応が示す通り、せっかく用意した昼食は既に、俺の長話によって完全に冷めきっていた。
(……しまった。長く話し過ぎたか)
内心、舌を打つ。冷めたからといって食べれないことはないが、少々勿体ないことをしてしまった。
貴重な糧食とはいえ、食事を楽しみにしていたであろうサクラのために、何とか取り変えてもらえないかと思った、その矢先。
何を思ったか、不意にサクラが手をかざした。その先には、冷めきった昼食。
瞬間、彼女の体を通して発せられた、膨大な魔力の流れが空気を伝い、サクラの神秘的な白髪が揺れ靡く。
――まさか。
彼女が何をしようとしているのか、その意図を即座に察した。おそらく、俺の魔術の見様見真似でパンやスープを温め直そうとしたのだろう。
だが、その規模が違い過ぎる。
「それは拙い……ッ!!」
思わず飛び出し、サクラの手を優しく掴んで止めさせる。
十中八九、今の彼女では精密な魔術を扱えない。先程の俺が見せたような一芸は、自らが扱う魔術を完全に掌握し、制御できるようになった者でなければ危険な行為。
俺の焦燥を感じ取ったのか、しぶしぶといった様子で魔力の奔流を収めるサクラ。
そのハングリーな精神には感服するが、昼食が丸焦げどころか消滅してしまっては元も子もない。
あわや大惨事になるところを喰い止められはしたが、とにかく肝が冷えた。
これ以降、彼女の食事に関しては丁重な扱いをすることを心に固く誓うのであった。