03.被検体の少女
その少女は儚かった。
一目見ただけでそう理解した。認識せざるを得なかった。
透き通るほど色素の薄い白髪に、魔性を宿した深紅の瞳。
俗にアルビノと呼ばれる特徴を備えた少女は、ただぼんやりとした眼差しでこちらを見ていた。
(……これは)
同じく人間でありながら、どこか人間とは異なる印象を見る者に与えるその姿。
彼女の無気力そうな表情からは、おおよそ人間が持つ“感情”という機能が備わっていないように見受けられる。
まるで、物言わぬ人形。人を模して精巧に作られた魂の無い人形と形容するに相応しい。
「……どうした、エイン?」
リーゼロッテに声を掛けられ、我に返る。
どうやら、自分でも気付かぬうちに見入っていたらしい。
「あ、ああ。……大丈夫だ」
息を整え、毅然とした態度で少女と正対する。
「……さて、まずは自己紹介といこうか。俺はエイン。君に魔術を教える者だ。宜しくお願いする」
軽い握手を求め、少女に近付く。それまで椅子に座っていた少女が立ち上がった。
未成熟な体から推定して、歳は十代前半、それも十四に届くかどうかといったところ。
袖を持て余したぶかぶかの軍服を着せられた姿は見るも痛々しい。
「……よろしく、お願いします」
少女はたどたどしく答え、握手に応じた。
触れた手の感触。そして、皮膚を通して伝わる温度。
――柔らかく、冷たい。
どうにも、彼女が人外の存在であるかのように錯覚してしまう。
事実、彼女の手から感じ取れる魔力の流れは、今まで見てきた魔術師のそれを圧倒的に上回る。
故に、一瞬。背筋に冷たい怖気が走った。
「……悪くない」
触れただけで理解できる、この少女が持ち得るポテンシャルの高さ。
なるほど、中央の魔術師どもが決戦兵器などと喧伝するのも頷ける。
これは、確かに鍛え上げれば決戦兵器足り得る“力”を存分に発揮してくれるだろう。
その事実に、魔術を究める者のひとりとして、俺の心は久方ぶりに興奮していた。
「……君の名は?」
握った手を離しつつ、聞きそびれた少女の名前を問う。
「――残念だが、その子に名はない」
「……何?」
突如掛けられた言葉に、俺は戸惑い硬直した。
横から口を挟んだリーゼロッテが、被検体の少女に近寄り確認を取る。
「……個体識別番号003、だったな?」
少女は軽く頷いて、肯定を示した。
リーゼロッテは僅かに膝を屈めると少女と視線を合わせ、その頭を優しく撫でた。
セミロングに切り揃えられた、透き通るような白髪が穏やかに揺れる。
「実験の影響かは分からないが、名前も出身も彼女の記憶にないそうだ。もしかすると、戦争孤児であった頃から既に失くしてしまっているのかもしれない。……だから、今は実験時の番号だけが頼りだ」
そう言い切るリーゼロッテの表情は、どこか悲しげだった。
とはいえ、俺もリーゼロッテも、軍という組織に身を置く以上、軍上層部からの命令には絶対に従わなければならない。
この被検体の少女の境遇が、如何に涙をそそる憐み深いものであったとしても、彼女を兵器として扱う必要がある。
それは何も、上層部に命じられたから、という理由だけではない。
俺もリーゼロッテも、このグレンツェ要塞を護り抜くには彼女の力を使いこなす必要があり、後方からの援軍が現状一切認められていない以上、この少女を最大限に利用しなければ自分達の身すら危ういことを承知しているからである。
故に、俺達は彼女の扱い方に関して、ひとつの誓約を交わす必要があった。
「……君に、ひとつ問いたい」
そう切り出し、少女の眼を真っ直ぐに見詰める。
深淵すら見透かすような深紅の瞳がこちらを見つめ返し、僅かに首を傾げた。
言い知れぬ神性と威圧感に押されながらも、俺は言葉を紡ぐ。
「君は、この世界でどうしたい?」
俺の問いに、少女は僅かに視線を彷徨わせた。
難しい問いだったかもしれない。だが、せめて彼女の意志を聞いておきたかった。
無論、彼女を兵器として扱うことに変わりはないが、言うなれば心の持ちようである。
彼女の出した答えによっては、彼女が持つ小さな望みのひとつやふたつは叶えられるかもしれない。
せめてもの情け。偽善。そういった単語が脳裏に浮かんでは消える。
組織に縛られ、与えられた役目を黙々と果たす。利害目当てに動く、つくづく汚い大人だと俺は自虐した。
しばしの沈黙。少女は躊躇うように逡巡した後、か細い声ながらも答えを出した。
「……分からない」
彼女の言葉に、俺はすっと染み入るように自然と納得していた。
当然だろう。幼い日々を実験に費やされた彼女に、将来や願望といったものを考えるだけの余裕と思考はなかったはずだ。
挙げ句、よく知りもせぬ戦争に駆り出されようというのだから無理もない。
彼女の答えに、どうしたものかと頭を捻った時、不意に彼女の口が再び開かれた。
「……でも、生きたい」
少女の言葉に、俺は眼を見張った。おそらく、リーゼロッテも同じ心境だろう。
そう、確かに彼女は震える口先ではっきりと主張した。生きたい、と。
生憎と、彼女が生存を望む根本的な理由は分からない。その無垢な心の内に、何を拠り所とし、何のために生きようとするのか。
だが、それが魔術の被検体とされ過酷な実験に供された、誰でもない他ならぬ彼女の意志。
それが例え不明瞭であろうとも、彼女の面倒を見る責任を与えられた俺には、その意志を尊重する義務がある。
「……分かった。ならば、君には魔術だけではなく、生きるための術を教えよう」
そして、リーゼロッテにも聞こえるように、はっきりとした口調で少女に告げる。
「ただし、やるからには本気でやらせてもらう。生半可なやり方じゃ意味がないからな」
俺は、今更彼女のような存在を生み出した中央の魔術師どもを恨むわけでも憎むわけでもない。
事実、彼女の扱う魔術にどれほどのポテンシャルが秘められているのか、忌憚なく興味があった。
そして、彼女は既にこの世に生まれ出てしまっている。生まれ出てしまったものは、もはや致し方ない。
生まれた生命が取る究極の選択はふたつにひとつ。生か、死か。
そのふたつの選択の内、彼女は生を選んだ。自らの意志で。
その選択の先に、一体どれほどの苦痛が待ち受けているとも知らずに。
だが、しかし。
生きることを彼女が選択したのであれば、責任者である俺は彼女を見守ってやる必要がある。
彼女をどうやって生かすか。どうやって幸せにするか。
生きるということは、幸せを追い求めることに他ならない。そうやって人間は生きている。
故に、この混沌とした世界で、彼女に少しでも幸福な未来を掴み取らせねばならない。
定められた少女の運命に、せめてもの幸せを――。
(……厚顔無恥とはこのことだな)
結局、これは俺の傲慢だ。傲慢以外の何ものでもない。
如何な高尚な謳い文句を掲げようとも、自分の意見を他人に押し付けているだけに過ぎない。
だが、だからこそ、俺は最後まで見届ける。
彼女が自らに備わった異能の“力”――魔術を使ってどのような未来を紡ぐのか。
彼女に魔術を教授する以上、俺は責任をもってその行く末を見届けなければならない。
その結果が、如何なる結末をもたらそうとも。
「……今、思いついた。この時から、君は個体識別番号003ではない。君の名は――“サクラ”だ」
儚くも美しい、今では遠き故郷の花。その名を彼女に与え、俺は決心する。
来る闘争に勝ち抜き、彼女を、そして、リーゼロッテを。このグレンツェ要塞を護り抜いて見せると。