(7)
シュウは人が肉塊と肉片になる姿を見て、口の中に何とも言い難い感覚が襲いかかり、それが逆流にしてきてしまい、それを口から吐き出す。
リニスにより意識だけがこの世界に連れて来られたため、物を吐き出すことはなかったが、口の中にすっぱい物があるような感覚があり、それが気持ち悪くてシュウは何度も唾を吐き捨てる。
クサビの方はというと、まだ思考が復活していないらしく呆然とした様子でその場にしゃがみ込み、肉塊と肉片と化した清嗣を手に取りながら、
「お、とうさま……おとうさま……、な、なにか……いって……ください……うぅ!」
直後、血の匂いにやられたのか、シュウと同じように口から胃の中身を吐き出し始める。背中を擦ってくれる人が誰もいない。
そんな一人で苦しむクサビの姿を見ていたシュウは、居ても立っても入れなくなり、クサビへと近付いて背中を撫でる。意識だけの存在なので、クサビにはシュウが擦っている感覚は伝わらないことは知っていた。だけど、こうでもしないとシュウの気持ちが治まらなかったのだ。
「それぐらいで動揺するとはな」
クサビの様子を見ていたらしく、道場の暗闇から一人の男性の声がゆっくりとした足取りでクサビの方へ近付き始める。
声の人物はクサビもシュウも聞いたことのある声だった。
いや、知っていて当たり前の声。
その姿は道場に作ってある通気口の隙間から漏れる月の光によって、映し出された人物――それは義経だった。
シュウとクサビは先ほどのセリフから、義経が清嗣を殺した人物だと理解するには時間はかからなかった。
〈な、なんで……!〉
「よ、義経さ……ま……」
「言いたいことは分かる。教えてやろう。この世に最強は二人もいらないということだ」
「さ、さいきょう……? そ、そんなことの――」
「それだけでもないがな」
「……え?」
「領主様の命令でもある。そいつは最近、領主様に事あるごとに口うるさく言っていたらしいのだ。だからこそ、領主様に命ぜられて清嗣を殺したのだ」
「そ、そんな……お父様は町の人を思って! それに最近の領主様は横暴だとおっしゃっていました!」
「だからなんだ? 町の人よりも領主様の指示が一番だろう? それに逆らったんだ、殺されても文句は言えまい!」
クサビはよろよろと立ち上がる。
その目は憎しみに燃えていた。
清嗣の話を聞いていたクサビにとって、清嗣の行動は間違っていないと思っていたからだ。町の人の平和は当たり前として、世界の平和をも願っての行動だった。だからこそ、間違っていると思ったことは意見していた。いくら上の立場の人間であろうと、下の人間であろうと、態度を変えることなく接していた清嗣の行動は自信を持って間違っていないと言えた。
だからこそ、今ここで仇を取ることが清嗣の無念を晴らす行動だと思い、護符を取り出そうとした時、
「殺したのはお前だろう?」
と、義経の言葉にクサビの動きは固まってしまう。
「ど、どういうこと……ですか?」
「分からないのか? なんで、この道場に結界が張ってあったのか? 最期の言葉の意味を……。それとも気付かないフリをしているだけか?」
「え……あ……っ!」
〈それはお前のせいじゃないか!〉
クサビが気付いたようにシュウも気付き、聞こえないと分かりつつもそう叫んだ。
清嗣が道場に結界を張ってあったのは、『クサビの身を守るため』なのだ。守る必要がないならば結界を張る必要もなく、入ってきたクサビを守るために庇う必要もなかった。つまり、トドメをさせる隙を作らせることもなかったのだ。
「清嗣の予想以上に力を付けていたことが仇となったみたいだな。喜べ、お前の娘はここまで強くなったのだから。だが、そのせいで人質を使うことになるのは予想外だったな」
「ま、まさかっ!?」
残念というように一度道場の奥へ移動すると、再び姿を現した義経の腕に清隆が抱えていた。
そんな乱暴な扱い方をされているのに清隆は暴れることなく大人しくしていた。
シュウが見た限りでは深い眠りに就かされているだけの状態であり、死んでいるわけではないことに安堵する。
が、クサビは違った。
清嗣が殺された後ということもあり、清隆までも命を奪われたくないとばかりに必死に清隆の名前を呼んだ。
「清隆っ!」
「安心しろ。まだ平気だ。こいつの命もクサビ、お前の返事次第だ」
「ま、まだ何かあるんですか! お父様を殺した時点で、貴方の力は世界最強と言っても過言ではないでしょう!!」
「俺が欲しい物は手に入れた。今度は領主様が欲しがっている物を手に入れる交渉だ」
「領主様が欲しい……物……?」
「そ、それはお前だ、クサビ」
「なっ!? な、なんで私なんかを! それでなくてもお父様の件で気に入られて――」
「清嗣とクサビ、お前は一緒の人間ではない。それにお前の容姿を大層気に入られているのだ。気に入らない相手の娘であっても関係ないってことらしい」
「そ、それが条件ですか?」
クサビは唇を噛み締め、今まで以上に憎悪で満ちた目で義経を見つめる。
シュウもクサビと同じように目の前の非情な敵を睨み付けていた。
大切な弟を人質に取られた状態で、クサビがそれを拒否出来るはずがないことを分かっての交渉のため、睨まずにはいられなかったのだ。
「ああ、その通りだ。どうする? 身の安全は保障してやる」
「……分かりました。素直に領主様に元へ参りますから。清隆を解放してください。出来れば、別れの言葉も」
「それぐらいは良いだろう」
そう言って義経は抱えていた床に下ろし、額に手を当てると清隆は目を覚ました。
寝ぼけ眼で清隆は周囲を確認する。
クサビはなるべく肉塊と肉片に変わった清嗣の姿を見せないように背中に隠しつつ、距離を縮める。
清隆の方もそれに気付いたのか、目を擦りながらクサビへと近付いていく。
「お姉様、いつおかえりになったのですか? あ、おかえりなさい」
「ただいま。ついさっき帰ったのです」
「そうですか。ボクはいったい何をしていたのでしょうか?」
「さあ、私には分かりませんわ。それより大事なお話がありますの」
「はい、なんですか?」
「お父様と私は少し遠出することになりました。大事なお仕事らしいので、お父様の身の回りの世話をしなくてはなりません。なので、貴方は親戚の家に預けることになりました」
「え……い、いやだよ」
案の定、清隆は泣き始める。
シュウはすでにこの状況に涙を流していたが、清隆のようにいきなり言われたとしても同じように泣いてしまうだけの自信があった。それほど、この年齢での一人ぼっちになる辛さは身を持って味わっていたから。
そんな清隆を宥めるようにクサビは抱きしめる。
クサビも清隆に心配かけないように必死に涙を堪えていた。自分が泣いてしまえば、清隆に色々と気付かれることを分かっていたからだ。
「そんなワガママを言ったら、お父様に怒られますわよ? それは嫌でしょう?」
「う、うん。いやだけど」
「なら、我慢してください。そして前から言っていたように、私がいない間に必死に修業を積んで、私を守れるぐらい強くなってください。それが清隆のお望みなのでしょう?」
「う、うん! 分かったよ! 我慢する。これぐらいで泣いてたんじゃ、強くなんてなれないから」
「そうですよ」
クサビが胸元から清隆を引き離して、最後の顔を見つめながら、
「良い子にしていてくださいね」
「うん、いってらっしゃい!」
ボンッ!!
その瞬間、鈍い爆発音が道場に広がり、道場内にも関わらず雨が降り始める。