(2)
午後。
昼食を早めに食べ終わったシュウは、ボロボロの服装の上に祖母が使っていたボロボロのフード付きのコートを身に着け、フードで頭を隠して、隣村〈ニモネラ〉へとやって来ていた。
ニモネラは人間が作った村ではなく、魔物が作った村である。
なぜ、この場所へ村を作ったのかは誰にも分からない。分からないけれど、それでもシュウが住んでいた村〈モネラ〉よりも資源が豊富であることから一瞬の内に栄えたのだ。
本来、モネラと距離はあまり離れていないニモネラは、資源の問題も対して変わらない。なのに栄えたのは、魔物の能力が一役買っているのは誰しもが分かっていることだった。
そうなってしまえば誰にも止めることは出来ない。
誰しもが裕福な場所へ移動して、少しでも優雅な生活を送りたいのは当たり前だから。
「らっしゃいらっしゃい! 今日は『半魚人のビール』のタイムセールだよー! なんと半額! 半額まで下げるよー! 買った買ったー!!」
通りに作られているゴブリンが鉢巻を頭に巻いて、必死に売ろうとアピールしていた。
「は、半額!? そんなに安くしていいのかよ!」
「母ちゃん、買ってくれよ!」
「旦那にプレゼントしようかしら。いつも頑張ってくれてるからねー!」
そんな風に興奮する人、奥さんに強請る人、旦那を労う人たちが一斉に詰めかけ始める。
シュウはその様子をぼんやりとした表情で眺める。
飲んでみたいなー。ビールってどんな味がするんだろう? 美味しいのかな? 興味から湧いてきた欲求がシュウを襲った。
「っ! 我慢、我慢。未成年なんだから」
誰にも聞こえない程度の小声呟きながら、必死にその欲求を抑える。
祖母との約束の一つである、『成年(十八歳)になるまではお酒は飲まない』を実行するために、ちょっとだけ気になりながらもシュウはこの場から立ち去る。
畑から採る野菜で生活をしているシュウにとって、ニモネラで売られている物は魅惑的な物が多く、目を引かれてしまう。何もないところからこんな風に賑わった場所へ来れば、物欲が自然と湧いてしまい、それを必死に抑えることが憂鬱になってしまう要因の一つだった。
しかし、それだけではない。
色々な誘惑に負けかけながらもシュウは、目的地であるドワーフが経営している精肉店へと辿り着く。
タイミングが良かったらしく、精肉店の前には客は誰一人いなかった。
このタイミングを逃すわけにはいかなかったシュウは足早にカウンターへと近付き、
「すいません。お肉を……あ、一番安いお肉をください」
少しだけ声を低めにして注文した。
声を低めにしたのは、低くすることで素の声を誤魔化すことが出来るからだ。人間だったらバレてしまう可能性はあったが、このドワーフは頭が悪いのか、声を変えればシュウだとバレない。だから愛用しているのだ。
「おう。この安い肉でいいのか?」
「はい」
「坊主、風邪か?」
「うん。お母さんも風邪引いてるの。だから、一番酷くないボクが頼まれて買いに来たんだー」
「そうかそうか。偉いな、坊主」
ドワーフの勘違いに合わせるように、シュウはゴホッと少しだけ軽く咳をする。ワザとらしくない程度の小さめな咳を。
「これ以上、酷くならないように気を付けるんだぞ?」
「うん。ちょっと待ってください」
「ああ」
シュウがコートからお金を取り出そうとしていた最中のこと――背後から悪戯好きそうな雰囲気を出している子供が背後から近寄り、軽くジャンプしてフードを頭から取った。
そのことに気付いたシュウが声を漏らすよりも先に、
「やっぱり勇者だー」
と、その子供がわざとらしく大声で周囲に知らせた。
その声に気付いたかのように、全員がシュウの方へ顔を向けたかと思うとさまざまな反応が現れる。
周囲の反応にシュウが戸惑っていると、シュウが買うはずだった肉が顔面へとぶつけられ、尻餅をついてしまう
「こんのくそ勇者が! 『うちに来るな』と何回言ったら分かりやがる!」
そして、ドワーフの怒号。
「ご、ごめ……」
「ぶっ殺すぞ、くそ勇者がー!!」
怒り任せにドワーフは色々な物を倒しながら店の奥に入り、何かゴソゴソし始める。
シュウは頭が考えた最悪な想像から逃れるために、手元に落ちていた砂で汚れてしまった肉を持ち、全力でその場から逃げ出す。
死にたくない。お肉を買いに来ただけなのに。それだけで死にたくない。お金もちゃんと払うつもりだったのに。嫌だ嫌だ、絶対に嫌だ。泣きべそになりながら、必死に心の中で言い訳していた。
結果的に盗んでしまったことに対しても罪の意識を感じながらも。
◆◆◆
「こ、ここまで……来れば…………だ、大丈夫かな?」
体力の限界まで走ったシュウは村の入口まで戻ってきていた。
息を整えながら、背後を振り返るとドワーフの姿はない。
その代わり、子供たちの姿。
「勇者さんだー」
「かっこいい勇者だー」
「本に書いてあったことは本当なんですか?」
「いい人なんだよね!」
「どんな人なの!?」
離れた位置から、ちょっとだけ怯えた様子でシュウに対し、それぞれが質問をしてきた。
勇者に対する意識が変わった?
それだけでもシュウは嬉しい気持ちになる。
バレてしまった時や逃げ出ている最中に、ちらちらと視界に入ってきた冷たい視線や畏怖の感情、ドワーフの怒声に比べれば、怯えという感情はまだかなりマシな部類に入っていた。
だから、シュウは近寄ることにした。
一人は嫌だから。
誰にも相手されないのは辛いから。
誰かと少しでも話したい。
そんな気持ちが心の中から溢れて来たから。
「「この悪魔勇者なんか死んでしまえー!!」」
しかし、それも一瞬にして裏切られる。
その声と共にその子供たちからシュウへと向かい、石が投げられ始める。最初からこうすることを狙っていた、とでもいうように。
そして気付く。
今のは自分を嵌めるために言っていた嘘だと……。
ぼんやりしているシュウに容赦なく石が当たる。シュウの意識とは別に、本能が身を守るためにその場でしゃがみ込んで頭を手で庇う。
「悔しかったら、何とかしてみろよ! 勇者の一族なんだろ!」
「えーい! えーい!」
「どうだどうだ!」
「勇者なんていなくてもいいんだよ! 魔物さんたちの方が優しいんだからなー!」
「お前なんかくたばっちまえー!」
子供たちはそんな言葉をシュウへとぶつけながら、そこいらに落ちている石を拾って投げ続けた。
悪意のない無邪気さで。
痛い。辛い。ボクが何をしたんだよ。君たちには何もしてないじゃないか。なんで、こんなことするんだよ。思ってても、それは涙となって零れ落ちるばかりで口に出して言うことは出来なかった。口を開けば、漏れるのは嗚咽だから。それを必死に耐えて、これ以上遊ばれるネタを減らすことが精一杯だった。
今、シュウの出来ることは子供たちが石を投げることが飽きるのを待つことだけ。それ以外、考えることも出来なかった。
その時はすぐにやって来て、
「人に向かって石を投げるとは腐った性根をしてるな」
「そうですわね」
「この世界では仕方ないんじゃないの?」
いきなり現れた声と自分を覆うように現れた影に気付いたシュウは、警戒しながら顔を上げると、三人の女の子がシュウを庇うように立ち塞がっていた。