プロローグ
『時代が変わった』とは誰かが言っているが、『世界が変わった』とは誰も言わない。
なぜなら、常に世界は目に見えないほど、ゆっくりなスピードで徐々に変化しているからだ。
しかし、その日は違っていた。
よく晴れた雲一つない青空。
今日も暑くなりそうだ。こういう日は農業が捗るね。水をあげないといけないや。齢十歳の少年――シュウ・キサラギは家を出て、農作業をしていた。
いつも通りの毎日であり、これがシュウの日課であり、生きるためには重要な仕事だった。
それが終わりを迎えたのは昼過ぎのこと。
ゴゴゴゴゴゴ……。
そんな気持ちの悪い音と共に天気は一気に崩れ始め、外は真っ暗になる。
「お、お婆ちゃんっ! な、なにこれ!?」
シュウはそう言って、一緒に農作業をしている祖母の身体にしがみつく。
十歳にもなって、こんな風に抱きつくのは駄目なのに。でも怖いよ! 分かってはいてもシュウにはそれが出来なかった。
普段から甘えん坊で祖母に注意されていたから気を付けようとは思っていたが、今回ばかりは本能がそれを拒否したのだ。
祖母も空の異変から何かを察したのか、今回は抱きつくことに対して叱ることはなく、逆に祖母の方もシュウを抱きしめる。何かからシュウを守るかのように力強く。
「大丈夫よ、お婆ちゃんがいるから」
「う、うん」
「しっかりしなさい。男の子でしょ?」
「うん!」
シュウは弱々しくながらも、なるべく元気に返事。
その返事に祖母は満足そうに笑みを漏らす。
が、シュウの返事も意味をなさないことを示すかのように、空の一部分が割れ、そこには一人の顔が現れる。
『我が名は魔王アザス。これから、この世界は我が支配した。勇者は我が倒した。貴様ら、人間どもは我が軍門に下るがよい。繰り返す――』
人間の負け。
世界の終わり。
繰り返される非情なまでの現実。
それらが一気に降りかかった瞬間だった。
「う、うそだ……よね? ね、ねぇ……お婆ちゃん!」
シュウはすがる思いで尋ねた。
だって認めたくなかった。そんなことは絶対にありえない。勇者様は本の中では最強無敵で、どんな敵にも負けない強さを持っていたから。あんな魔王ごときに負けるなんてありえない。
しかし、そんな思いを打ち砕くように祖母は泣きながら、首を振った。
身体を震わしながら。
この世の絶望を表現するように。
「う、うそだ……。ゆ、勇者様は……ボクの憧れなんだよ? ボク……ボクは……未来の勇者になれるんだよね? お婆ちゃん、言ってたでしょ? ボクには勇者様のち――」
祖母はシュウのその言葉を聞き、慌てたように抱き上げると無理矢理家の中へと連れ込んだ。
連れ込まれる前に一瞬見た祖母の顔は悲しみから焦燥へと変わっていた。
そして玄関で立たせられると、
「それはもう言っては駄目! 絶対に駄目よ! 大変なことになるんだから!」
いつもの注意以上。命に関わるような怒り方をされる。
なんでそんな注意をされるのか、分からなかったシュウは、
「大変になる? 意味が分かんないよ! 本当のことを言って、何が悪いのさ! お婆ちゃんだってボクにいつも言ってたじゃん! ボクの中には勇者様の血が流れてるって!」
反論することにした。
普段はあまりしたことはなかった。両親を事故で亡くしてしまったシュウにとって、祖母の言うことは正しく、言うことを聞くべき相手だったから。こうやって誰かに怒られることが嬉しいことなんだって、身を持って知っていたから。
「これからは絶対に言わないこと! いい!?」
「やだよ!」
「言うことを――」
祖母の注意は、玄関のドアを思いっきり叩かれる音によって消される。
意味の分からないシュウはその音に怯え始めた。何が起きたのか、分からなかったからだ。
こうなることを察していたかのように祖母はシュウの額に手を当てる。
「少し寝てなさい。起きる頃には落ち着いてるから」
「え……おばあ……ちゃ…………」
眠りの魔法をかけられた。
そのことを気付くもシュウには何も出来ず、そのまま眠りについた。
浅い眠りではなく、夢さえ見ない深い眠り。
今日起きたことを忘れさせてくれそうな、そんな眠りにつくシュウだったが、現実は魔王に支配されてしまった世界。
この日を境に人間たちの生活は変わっていくことになる。