重撃
かつて経験したことのない高速な戦闘だった。
魔法という超常の力が備わっているこの世界の住人はまるで漫画の世界、そう思っていたのが四年前。もう当たり前の光景と言えた。そして今はその超常の真っただ中にいる。
優奈はレイスルから繰り出される縦横無尽の攻撃に成す術がなかった。フットワークの軽い体から出されたとは思えないほどの重撃。曲刀による剣撃もなにより、単純な力が厄介だった。
「クッ……」
流れる剣捌きからの打撃。その一連の流れがレイスルの基本戦法だ。
曲刀の剣先を掠める程度の間合いを保ち、優奈も対応はしているがとにかく速い。
開いた距離も逆手にとって、突進をかましてくることさえある。
剣撃を小太刀で防ぎ、打撃に備える。そんな防衛しか優奈にはとれなかった。しかしそんな流れに変化があった。
「トリャッ!」
開いた間合いに突進しながら左腕の肘鉄は変わらない。だが次の瞬間、突進に使った右足とは反対の着地した左足を軸にして、レイスルはその場で時計回りに一回転し、右手の曲刀を振り斬ってきた。
「ッ!?」
咄嗟に小太刀で受け止める。ところがその時右足に激痛が走り、体勢を崩す。
(しまったッ)
今の攻撃は一回転と共に振り抜いた剣と軸足にならなかった右足との二重の攻撃。このままでは倒れ、一方的にやられてしまう。優奈はうつ伏せになることだけは絶対に避けねばと無理に体を捻って仰向けに倒れた。強い衝撃が伝わるがそんなものは一瞬で消えうせた。
「カッ……!」
倒れた途端に首に強烈な圧迫を受け、詰まらせた。レイスルが左足で首を踏みつけてきたのだ。
徐々に力を込めて踏みこまれている足に耐えて左目だけを開け、レイスルを確認すると彼女は曲刀を逆手に持ち変えて振りおろす動作に移っていた。
突き刺すつもりか……。
優奈は右手を突き上げて、振りおろしに備えた。そして曲刀と小太刀は交わり、振りおろされた瞬間に曲刀のハンドガードに小太刀の先端が激突し、間一髪のところで曲刀の刃は優奈に届かなかった。
絶妙な塩梅で曲刀の侵攻を妨げる。曲刀故の反りが刀身を短くしているが直剣ならば胸に刺さっていただろう。
レイスルは強引に押し付けてくる。それに加えて首が絞められるのが堪らない。
「グゥッ……アァッ……」
右腕で尚且つ小太刀の先端だけでレイスルの体重を受け止めるということに相当の神経を使うのだ。一点でもズレれば刃が思い切り胸を貫く。なにより首を絞められながらの厳しい体勢では長持ちはしない。
奇跡的な加減で防いだ優奈はこの状態から抜け出す為に必至で左手を働かせた。地面がある程度の砂地であったことがきっかけだった。
優奈は必死で働かせ集めた物は砂。一握りの砂を優奈はレイスルの顔面に投げつける。
「――――えぃッ!」
「うわッ!?」
レイスルは堪らずその場から後退り、目と口に入った砂を払おうとする。その隙を逃すわけにはいかない。
素早く優奈は起き上がるとレイスルの胸ぐらを左手で握りしめ、右足でレイスルの左足を刈って目一杯背負い投げた。勿論魔法を使ってだ。
強化の魔法で腕の筋力を底上げし有りっ丈の力を込めて投げ飛ばしたが、思いのほか低い放物線を描いてレイスルの体は樹木に向かっていった。
鈍い打音を響かせてまんぐり返しになったレイスルはピクリとも動かなくなった。
「ハァッ、ハァ、グフッ」
踏み込まれた首を左手で擦りながら、優奈は息を整える。九死に一生を得たという具合だ。
今のところ大きな傷は負っていない。しかし打撲が尾を引いており、長引けば長引くほど支障になってくるだろう。レイスルの攻撃を止めてきた両腕は見てはいないが腫れているはず。腕が使えなくなってしまっては終いだ。
「イッタァ、マジで投げ飛ばしてやんの」
レイスルが片腕だけで緩やかに逆立ちして伸びあがった。器用に一回転すると地に足をつけて立ち直る。
「というかホントにこんなもんなの? アレだけ啖呵切ったのが馬鹿みたい」
散々言ってくれる。確かにそう思われても仕方がないほどに手応えが無かっただろう。優奈としてもここまで差があるとは思っていなかった。レギオンを複数相手しても立ちまわれる彼女を何処で過小評価したのか分からないが、戦ってみて痛感したというやつだった。
「ここでもだんまり。このままだと鬱憤すら晴れないんだけど。恨みまで晴れないとコッチは収まらないのよ?」
「そう……それよ」
「はぁ?」
「何でその仇討が今なのよ……。私の事が分かってたなら、あの後にでも殺しに来ればよかったじゃない」
あの後と言うのはレイスルと初めて出会った日の後のこと。
優奈が殺めてしまった男から優奈の容姿を聴いて、それに当てはまる姿が見つかったのならば何故すぐ実行に移さなかったのか。ハーティミリーの局長拉致計画実行日にわざわざ狙ってきたことを思うと納得がいかなかった。
ハーティミリーの本拠を手薄にしてまで優奈を狙い、晄を人質に取った理由は何なのか。何が彼女をここまでつき動かすのか。
「そう。アンタだけを殺すなら何時でも出来た。でもそれだとただ殺しただけ、殺されて殺す」
「どういう意味……」
「アンタの連れも一緒に殺すのはね……ユウナにも教えてあげようと思って」
「何を」
「失う痛みってヤツをねッ!」
レイスルは大仰に笑みを浮かべ、猪突猛進に間合いを詰めた。自重と速度から生まれる威力を曲刀に乗せて振りおろしてきた。
優奈はそれを小太刀で受け止める。
きりきりと上から押さえつけてくる曲刀を鍔迫り合いの形まで持ってくると力押しになった。
歯を食いしばって優奈は堪えた。
「どうして与えたいと思う?」
「ツッ!」
「それはね」レイスルの笑みが消えた。「アンタが殺したの……私のお兄さんよ」
「え……」
そうきたか。
優奈は薄々感じてはいた。同じハーティミリーの人間を殺されたとしてここまで激情になるだろうかと。彼女が特別感受性が強いとしても晄共々報復仇にするというのは考え難い。それならば自分一人だけで済むはずだ。だから優奈はレイスルと男性との間に何か関係があるのではと思い始めていた。
男性が他界したことによりレイスルの何らかの衝動が自分と晄へ牙を向いたのではと。
故に待っていたのだろう。優奈に喪失の痛みを与えられるような朋輩が出来ることを。
そしてその媒体となる晄が優奈の元に現れ、レイスルは予てからの復讐を実行に移した。
なんともやってくれる。
「ちょっと誤算だったのがアイツがアルバロ・シャンドを倒したとか変な噂があったから真偽を確かめるまで動けなかったことだけど、昨日でハッキリした。全然問題ないわ。アンタ持って帰って見せてあげる、私がアイツを殺すところ」
「ふざけたことをッ」
「アンタが四の五の言える立場じゃない。これが私の復讐よッ!」
涼しい顔をしているのはレイスルだ。優奈は苦悶した。
レイスルの込めている力が増してきた。腕が次第に押され、彼女の顔が至近距離まで近づいて来るとレイスルは言った。
「ま、どうあれ……」この時、彼女の声だけが鮮明に聴こえる。「アイツは殺すから」
晄を……殺す……?
「殺す」という言葉だけが剣劇を彩る音を遮って木霊する。レイスルの嘲笑いと混じって反芻される。
その言葉を表す様にフラッシュバックした光景は優奈が小刀で刺した男が血塗れで横たわる姿。
次いで見たこともない、見たくもない血まみれの晄……。
「……………ッ! うあ、ああ……ああああああッ!!」
優奈は小太刀の柄を力の限り握りしめ、全身全霊を掛けて曲刀を押し返した。
「チッ!」
突然の反抗にレイスルが一拍遅れて力を込め直すがもう遅い。突如として叫んだ優奈は自分自身の強化魔法を存分に使用し、曲刀を圧し折らんが如くレイスルを押し返す。
踏み込む足が地面を掘り返し、溢れ出た白色の魔力が優奈を後押しするように乱れ舞う。
「なんッなの!?」
耐え切れずレイスルが一旦引こうと後ずさった時、優奈は腹を括った。
一度小太刀を引き、有りっ丈の力を込めて再度優奈は小太刀を曲刀に叩きつけた。
金属と金属が衝突したとは思えない破砕音を森林一杯に響かせレイスルを跳ね飛ばした。
「うわあッ!」
一瞬のうちに生まれた激しい衝突にレイスルを後方へ飛ばすと、身を翻してレイスルは着地しようとする。身を翻し、刹那の間彼女の視界から自分が見えていない僅かな間に優奈は飛び出した。
そして彼女が此方へ向き直った時、優奈はレイスル目掛けて左膝を胴に喰い込まし、膝蹴りを見舞った。
(入ったッ!!)
手応えもある。確実に狙ったところを穿った。その証拠にレイスルの眼は開ききっていた。
「ヴェェっ」
下品な呻き声を上げ、吹っ飛ばされるレイスル。勢いのまま地面を転がり、突っ伏すと鳩尾を両手で押さえその場で悶えた。
「い……ぎ……」
体を震わせて痛みに耐えているようだが、渾身の膝蹴りだ。鳩尾に喰らっては立ち上がれまい。正にクリティカルと言える。
「散々好き勝手言ってくれたわね。アンタらに絶対殺らせないし、殺れないわ!」
晄をこんな連中に殺させるつもりは毛頭ない。ましてや晄にはデザイアという生き霊がいる。彼も自由気ままな性分だろうが、晄という器を死なせはしないだろう。
優奈の眼には悲哀と怒りが満ちていた。
ハッキリと身内を殺すと言われて黙ってもいられない。
「腹……立つ……ッ! 奪っておいて……ハァッ……奪わせないなんてッ」
好きで奪ったわけではないのに。
優奈とて悔いているのだ。自分が強ければ、あんな悲劇な殺傷をしなくて済んだこと。自分の弱さが露呈し打ちひしがれて、あれから今まで以上に鍛練に取り組んだことなど、優奈に与えた感化は強かった。
初めて人を殺めたこと。殺すということ。殺されるということ。
何度も考えてはそうでもないと否定し、ああでもないと拒否する倫理観の自問自答。その末に優奈は真理どころか的確答にすらたどり着けなかった。そして今もずるずるとあやふやなまま、報復をなそうとするレイスルと戦っている。
そうだ、戦う理由だ。晄を取り戻すわけでもなく、ハーティミリーに立ち向かうわけでもない自分がレイスルと争う理由。
今まではレイスルが対峙してきたことへ対しての疑問で彼女へ近づいていた。そしてそれが何処か足枷になってレイスルと刃を交えると決めても、知らずに決め切れていなかったのだ。自分は元より戦う気など微塵もなかったと。あわよくばそのまま論争で解決できればと心の底で思っていたのかもしれない。ところが今はそんな気持ちと心構えは明確な怒りに変わり、一刻も早く彼女を落したい殺意に取って代わった。
自分が彼女に殺意と怒りを覚えるのは、自身がレイスルの身内を殺めたこと全て棚に上げてた自分本位の考えに取られるだろう。それでも優奈は男性を殺めたことを悔いている。自分の弱さを認めた。だからこそ強くなるために鍛練したのだ。ここでまたも弱さを見せるわけにもいかない。
そして何より晄を殺すと発言したことが許せなかった。奪われたから奪い取る。この歪んだ考えがどうにも受け付けられない。
失う事が怖い。センジに言われたことだ。それが嫌で昨日は駄々をこねた。当たり前だ。失う事が怖いのは四年前に骨身にしみて味わった。生まれ変わったからこそ実感してしまう尊い日々、友達、家族。いっそのことそのまま消えた方が楽に思える悲愴は随分を優奈を縛り付けた。
だからもう一度味わうわけにはならない。
今はそれに抗う力が多少なりとは付いているのだ。無力というわけではない。
もはやレイスルは何でもない。只の復讐者。
(コイツを……コイツは晄に近づけさせない!)
近づけさせないためにどうするか。ならば……この手で……!
優奈は右手の小太刀を逆手に持ち、呻いているレイスルに振り被った。そして意を決してレイスルの背に突き刺そうとした時、レイスルの体が左へ倒れ、小太刀は背を抜くことなく地面に刃先だけが刺さる。
思いがけない行動に優奈が目を白黒させていると、右手に激痛が走る。
「ぐわッ」
倒れたレイスルに小太刀を持っていた手を蹴られた。堪らず手を放し、小太刀をそのまま放すと魔法の気配がした。位置はレイスルから。
(そんなっ……早過ぎる)
予想だにしていなかった回復力に優奈は戦慄した。
その戦慄を他所にレイスルの体はその場からトランポリンに撥ねられたかのようにしなやかに跳ぶと、優奈の背後に着地した。
衝撃の魔法で撥ねたのか。
優奈はレイスルの動きを追って振り返ろうとするが、それより速くにレイスルの左腕が首に回ってきた。絞められまいと優奈が両手で左を掴むが思うように力が入らない。すると右わき腹に息が止まるほどの衝撃が襲った。
「グブッ……」
曲刀の柄尻で殴ったのだろう。レイスルは息も絶え絶えで優奈に話し掛けてきた。
「ハァッハァッ。今のすっごく痛かった。えぇッ!?」もう一度脇腹を殴られる「グフッ!」
「さっき偉そうにさ」また殴打する。「何かさ」もう一度。「言ってたよねェッ!?」更に殴打されたがこの一撃だけは力加減が違った。「ギイィッ!」
「絶対にやらせない? やられない? 何を思って絵空事言ってんの? アンタも見たでしょ? 無様に私に捕られた男をさッ!」
耳元で喧しい程に捲し立てるレイスルに優奈は必死で抵抗した。
「うる……さ……ッ」
「だろうねッ!!」
「ッエイ!!」
優奈はあまりの焚き付けに、レイスルの左足を踏んだ。
「イッタッ!」
堪らず放したレイスルに優奈は間髪いれずハイキックを繰り出した。「ハァッ!」
あまり狙いを付けずに出したため相手の左腕に当たった。怯ませるには十分だった。
どうにも脇を押さえたい衝動に駆られるが何とか我慢し、小太刀を地面から引き抜きレイスルに斬りかかる。
「ヤァッ!」
「――ッ!?」
レイスルは左目だけを見開いて反応した。振り下ろした小太刀は曲刀に防がれる。だがまだだ。今度は斬り上げ曲刀を弾き、空いたところを左へ薙ぐ。しかしそれも防がれる。ならば返して右へ薙ぐ。そうやって同じく空を斬った。それでも幾度となく優奈は斬り続けた。ところがどれも当たりも掠りもしないのだ。
(どうしてッ!? 何で当たらないのよッ)
ここまでやってまだ届かないのか。改めてレイスルとのレベルの違いに愕然とする。
その心中は次第に太刀筋にも表れ、さらに状態は悪化した。
振るう腕が途端に重くなり、体が腕を振った方へ持っていかれそうになる。一振り一振りが目に見えてタイミングが合っていない。
「イヤァァァッ!」
自分に活を入れる為に威勢よく発した声と共に小太刀をレイスルの体に向かって突刺す……がタイミングも感覚もあやふやのまま出した刺突など躱すに易い。
レイスルは一歩体を引き、対象が外れ勢い余った優奈の足を引っ掛けた。
「え……?」
唐突の浮遊感。優奈の眼には川が映っていた。
そして優奈は川へそのまま飛び込むことになった。そこまで深くは無い。だがその分川底の岩石が身体に喰い込むことになる。
川の冷たい水流に、ツボに入った様な苦痛が優奈を襲う。
「ぐぷッ……」
水の中に突っ伏すことになっても喘いでばかりいられない。川の中は一歩間違えればそれだけで命を落すことになり得る。優奈は急いで川から上がろうと水から顔を上げた時、奇声が耳に入った。
「アアアアッッッ!!」
奇声の元を確認する前に背に尋常ではない力が加わった。
「ヴヴグッ!」
強烈な力に背を殴られ、もう一度川底に叩き付けられる。同時に岩石が身体を思い切り穿った。
「うぅッぷ……」
背の圧力と身体の激痛が優奈の意識を揺さぶる。
(あ…………)
全てが遅く感じられた。水滴一粒一粒と水泡一つ一つを明確に捉えられる感覚。全身の力が抜け、手から小太刀が離れる。何も聞こえなくなり見えるものは水滴、水泡に視線の先を尻尾を振って遠ざかっていく川魚。
同様に優奈の意識もなだらかな川に流されるように離れていった。
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