再びアルバイト
昼下がり。優奈が依頼屋を営んでいる元旅館から、大通りの噴水を越えてミスティル・ラビーが店主の喫茶店に優奈と晄は誘われた。
ミスティル・ラビーは菜園と喫茶店を営業としている優奈の知人である。過去に晄は依頼の手伝いで訪れた事があるがその時は店主の自由さに振り回された。
おっとりとした雰囲気を感じさせる顔付き、浅葱色の長いストレートを一部三つ編みしたヘアースタイル特徴の彼女は今日もエプロンドレスを身につけて、素知らぬ顔でお茶を出す。
「……騙しましたね? ミスティルさん」
優奈が不満をミスティルにぶつける。
「だってそうでもしないともうユウナちゃん来ないと思って」
悪びれもなく騙した事を認めた。
このお茶は誘われたのではなく謀られたのだ。
「来ない理由が分かるなら辞めればいいじゃないですか……?」
「え~、そうしたら私が楽しくない。だからって乗り気で来られても面白くないから」
「だからってああまでしますか?普通」
「センジのアドレスから送ったのは断れないと思ったからだよ?」
事の発端は晄もお世話になった鍛冶屋の店主にして、優奈のこの世界での親、センジからのメールが着たことだ。
特に理由が書かれているわけでもない。「晄を連れて俺の所に来い」という文面だけが書かれたメールだが、送り主センジということが優奈は無視できなかったらしい。
職人らしい難儀な性格と商店の経営者らしからぬ怖面は「怖い」の一言に尽きる。無視すると乗り込んできそうな人物のため、渋々鍛冶屋へ向かった。
ところがこの鍛冶屋、最短距離で行くならばこの喫茶店のある道を使う必要があった。そして誰が思うだろうか? そのメールの差出人がそのミスティルだということを……。
店の前を通ると偶然を装って姿を現し、半ば強引に二人の腕を引っ掴んで店へ引きずり込む店主。
その時の腕っ節は恐ろしいほどだった。席に押し付けられ、告げられる事実に不満が溢れた。
「けどうまくいって良かったなぁ~」
当の本人は上機嫌だ。まずなぜこんなことをするのか? その理由は単純に一日バイトをさせるためである。
前回、優奈に押し付けられる様にして依頼を頼まれた時、訳も分からず此処を訪れると閉店時間までウェイターをすることになった。しかし、それだけならば優奈も嫌がることもないらしいのだが問題は給仕する時の服装である。晄が行った時は至って普通の制服で給仕したが、ミスティルに閉店後見せられた写真が数枚。それは優奈がウェイターをしている写真。ただし注目するのは作業風景ではなく服装だった。
平素の彼女からは絶対に見る事の出来ないであろうお洒落な服から大胆な服、「もはやコスプレか?」という服装をさせられていたのだ。
服装のジャンルを全て網羅したのではという種類と、それを顔を紅潮させ俯いて身に纏っていた優奈に驚いた。中には似あっているものもあったが、羞恥心を感じる服装の方が圧倒的に多い。その時晄は失礼なことにドン引きした訳だが今度は自分にもその毒牙が掛かろうとしている事態に冷や汗が止まらない。
此方の事情など知る訳もない新たな客の相手をするために、一旦席を外したミスティルの隙を見て優奈に打診した。
「なんとかして逃げられないのか? 今回は依頼じゃないだろ?」
「できればやってるわよ!」
「やっぱりできないのか?」
「ああでも昔は依頼屋やってたって言うのよ?」
おそらく腕利きなのだろう、あの風貌はそう読むには十分な要素だった。
そして、二人でコソコソとしていると遂に魔のコールが告げられた。
「ユウナちゃーん、コウくーん、そろそろ準備してくれない?」
☆☆☆
二人は諦めて二階の更衣室へ移動した。更衣室も同室なのが故意に感じられたが元からそういう部屋なのだと思い込むことにした。
「で? 何事もなく一緒に入るんじゃないの……」
「いや、服だけ取ったら出るけど」
「さっさと取って出ていく、ホラ」
そう言ってロッカーを開けた優奈は凍りついた。いつも通りハンガーに吊るされている服、二着あるがその内一着は晄のものだろう。至ってまともな服に腹立たしさを覚えるが、それどころではなかった。
いい加減慣れたいと思ってはいる衝撃だが、これは度し難い。
「……ホレ」試しに晄へ渡す。「いらん……。こっちか」
空しい受け応えをされて、晄はせっせと自分の服を取った。
「デザイアが『ストリップでも開くんじゃねーか』だってよ」
「……」
優奈が手にしているのは恐らく上に羽織るものなのだろうが、見てくれは淡いサクラ色のドレープカットソーなのだが透け感がある。
「ほぼ見えてるじゃない!!」
オーガンジーの生地で作られているそれは透けている。着合わせの服がないところを見ると直に着ろということを指す。
そういう着方をするのではなく普通、下にもう一枚着合わせをするものの筈だが、それを取っ払っているあたりミスティルの趣向が滲み出ていた。
「今更な感じするけどな」
「アンタに何が解るのよ!? 毎回変な服装させられる身にもなりなさいよ!」
今までやり場のない怒りだったが今日は晄がいる。彼の服は誰が見ても制服なので本人は諦めているようだが、此方は諦めた途端、何か尊厳を失うに等しいのだ。
「断ればいいのに、世話になってるとかで近づくからだろ」
「断った結果強行手段だったじゃないっ!」
「次から気を付けるしかないだろ」
何故そう開き直れるのか? 単純に羞恥心の差か? どちらにせよ許し難い。
手にあるやらしいカットソーを見つめる。
「出ていけばいいのか」
「……」
こうなってしまった以上、ミスティルを満足させるまで解放されない。
逃げる道は常になかったのだ。
今日も覚悟を決めて有象無象の痛い目線に耐えようかと腹を括った時、外を眺められる小窓に物が当たる音がした。
「なに?」
二人は窓へ寄って外を窺った。
ここは二階なのでそれなりに高所から見る事が出来る。街の商店などが道沿いに軒を連ねて仕事をしているはずだが、誰もが自分の家の屋根を不思議そうに見ていた。優奈も同じように家々の屋根を眺める。すると異様はすぐに解った。
「あいつ等……何なの?」
人が数人、屋根の上に突っ立っていた。数人にしては多いか? 皆、暗色のローブを羽織っている。
そこだけ見れば盗賊かと思えたが白昼堂々すぎるところが何か違うと思わせた。
ローブ達は見上げる人々を気にもしていない。何人かが屋根を飛び越えて移動し始める。先程の影は恐らく彼らだ。
どこへ向かっているのか、優奈は窓を開けて行方を追う。
「何が起こってるんだ?」
晄が状況の説明を求めるが優奈もいまいち分かっていないので無視した。だが良い状況ではないのは彼らの姿と移動方法から。
行く先は恐らくだが……その時、怒声が街を裂いた。
「奴らを外に出すなッ!!」
その声をきっかけに喧騒が生まれる。しかし屋根の上の彼らは無関係と言わんばかりに落ち着いていた。そして一人、二人と引き返していく。身軽に屋根を跳ねていき街の出口へ向かっていた。
そんな集団の中に一際大柄な人がある人物を担いで優奈の前を横切った。
「あの人、レギオンの局長!?」
恐らくだがこの街のレギオン支部局長が担がれている。気を失っているみたいだが……。
優奈が窓から身を乗り出した。瞬間、後頭部から熱気が吹き付けた。咄嗟に身を引っ込めると炎弾が窓を掠めて小さな火花を作った。この炎弾の術者であろうレギオンが通りすがりに「馬鹿野郎!」と言って大柄のローブを追っていった。
「どっちが馬鹿よ!?」
窓の外では複数の元素がローブ集団へ向けて飛んでいく。街の中での魔法の行使は原則禁止されているが緊急時はその限りではない。
レギオンは脇目を振らずに次々撃ち込んでいく。何の関係もない民家へ当てる隊員もいれば、的外れの所へ飛ばす隊員もいた。だが彼らが魔法の扱いが下手なのではない。逃走者集団が各個バラバラに逃げているからである。この街の地利を良く知っている動きだ。
魔法を使った動きだけでもかなり立体的なものになるが、それに地利を加えた移動は不規則極まりない。その状況で飛び道具の扱いと魔法の扱いにはテクニックが必要とされた。それでも当てることの出来る人は少なからずはいるようだが、魔法で防がれてしまっている。あのローブ集団は直撃の攻撃だけを空中での体のいなしと魔法壁を使って防いでいた。かなりの腕前だ。
「ホントになんの集団……」
未だに空中での戦闘が繰り広げられているがどれもよく防いでいる。その中でも一際目立った動きをするローブに優奈は注目した。
華麗に宙を舞って、全ての攻撃をかわす。接近戦に切り替えたレギオンの体術もかわすだけでなく、一撃加えて落としていた。舞うたびにローブの隙間から見え隠れする肌と服。露出の多さから女性だろうか? 顔にも目を向けるがよく見えない。
レギオンは彼女を一番の危険因子として見たのか彼女一人に総攻撃を掛けた。なだれ込むように彼女へ飛んでいき、攻撃を加えようとする。しかし全ていなされる。レギオンもそれでは張り合えないと思ったのか複数で掛かる。それでも彼女の優位だった。けれどそこまで楽ではないのかローブのフードから顔が一瞬覗けた。
目の視力を魔法で強化し、特化ならではの視力で遥か彼方の顔をしっかり映した。そして優奈はその顔に戦慄する。
「……ッ!」
「見えるのか? あれが……」
晄が呑気に訊いて来るが、優奈はそれどころではなかった。
「おい、どこ行くんだよ!」
優奈は晄を押し退けて更衣室から出て行った。
階段もほぼ飛び降りで、店内のハンガーから自分のコートをもぎとる。
「ちょっと!ユウナちゃん!?」
ミスティルの声に店内でくつろいでいたお客が騒然とする。その内に優奈はコートを羽織って出ていく。
季節はもう初夏だが、何かあった時の気休め防具として持ち歩いてるコートは外へ出て日に照らされると一気に熱を吸収したがこれからレギオンに混じって宙を跳ねまわることを考えれば気にもならない。
優奈は脚に力を込めて、喫茶店の軒を上がった。二メートル以上あるがなんと言うはことは無い。上がったところは丁度更衣室の窓だったので少し覗くと晄がいなかった。ふと下を見ると晄も外に出ていた。
優奈が割り当てた報酬で買ったジャケットを着るだけ着ていた。別にそこにいろとは言わないが今の優奈は気にしなかった。
目標は先のローブ。まだ混戦の中にいた。そこを目指して優奈は自身の強化特化の魔法を使った跳躍を行う。その速度は他を圧倒する。
追い抜いたレギオンを脇目に目標の距離を詰める。そう認識した時、ローブも唐突に今の乱戦を切りあげて今まで以上の速度で逃げ出した。
(気付かれた……?)
それならば何故逃げた。レギオンと同じように応戦すればよいものを。だがそれをしなかったという事は彼女に疾しさがあるのだ。
(ホントに何してるの? レイスル!)
心の中で自分の友達の名を叫んだ。そんなことを無視するように必至で逃げているローブ。もう優奈はローブの中をレイスルと決めつけていた。誰よりも早く彼女へ、自分の魔力を最大まで使って追う。気が付けばもう街の出口。あそこまでがリミット。
レイスルもかなりの速度で逃げているが、それ以上に優奈の相対速度が圧倒的に早い。そして
「待ってッ!!」
優奈ははためくローブに手を伸ばした。その手は見事にローブを掴んだ。
推力を塞き止められたレイスルはそのまま重力に従って落ちた。一緒に優奈も落ちる。
「痛った……」
「ぐぅッ……」
二人は落ちた痛みにあえぐが一足早くレイスルが我に返り、上に乗っかった優奈を足で跳ね飛ばす。
「うぅッ!」
優奈は転がされるが何とか復帰した。
「ユウナ、ここはもう外だよ!」
そのまま立ち上がったレイスルが優奈に言った。そんなレイスルの姿を見て、やっぱりと思った。
栗色のショートヘアーに愛嬌のある顔はまさしく彼女だった。だが今のレイスルは目が据わっている。優奈を見下すような容赦のない瞳。
気が付けば、街の外に出ていた。振り返るとレギオンが出口付近で揉めていた。彼らは街の外では拘束力を持たないので撤退するか否かを揉めているようだった。その中で見知った顔が見えたが気に留めない。
「どうする? ここで私を?」
「訳を言って……ッ」
「何の?」
「この状況の訳よッ!」
優奈は悲痛の訴えをした。しかしその時、空気を読まない声が耳に入った。
「優奈ッ!」
晄だった。ところが声を聞いた途端、レイスルの表情が緩んだ。まさか……
「晄ッ!戦いなさい!」
ここで逃げては彼女の思惑の餌食だ。ならばいっそここで戦うことを進めれば……!
「……遅いって」
優奈の横をレイスルが高速で抜けて、晄へ仕掛けた。
「はぁッ!?」
晄が間抜けな声を上げている間に、レイスルは晄の背後へ回って膝裏を蹴り、跪かせた。そのまま頭を押さえて晄を押さえつける。
「ぐッ!」
「晄ッ!」
「ふーん、男が出来たんだ。こんなヤワっちぃのが趣味だなんて思わなかった」
晄は低抗しているがビクともしない。それもそのはずで魔法を使ってまで拘束している。念入りだった。
「チィッ」
優奈は立ち上がって拳銃、インフィニティを呼び出した。その銃口をレイスルへ向けるが、それと並行して晄に曲刀が突き付けられた。
「おっと、コッチに人質はいるからね。死なせたくなければ私を逃がす事、いい?」
そのまま優奈へ近づく晄を人質にしたレイスル。
この距離ならば撃てば勝てる。だが急激な運動からの肉体疲労と、決して多くない魔力の消費からくる視界のブラックアウトで狙いが定まらない。それだけではないとレイスルからの威圧も掛かる。
そして……間合いが詰まり、レイスルのハイキックが拳銃を飛ばした。怯んだ優奈の横を晄を連れたままゆっくりとレイスルが通る。「じゃあね」
そう言って彼女は晄を放すことなく、ローブ集団が消えた方角へ歩いて行った。
放り出された拳銃。喪失が襲う優奈に炎天下が追い打ちをかける。コートを脱ぎ捨てて、その場に崩れる。
レイスルを追いかける為に使った魔力と疲労、友達の裏切り、晄が攫われたことへの自責の念が一気に圧し掛かった。
この夏場の日の下で十分ほど座り込んだ。
「おい」
滴り落ちる汗が乾いた地面に大きな染みを作ったころ、今の優奈に凶悪な威圧を与える声がした。普段なら体が拒絶反応を示してビクつくがそんなことも起こらないほど優奈は憔悴していた。
センジは何をしに来たのだろう……。
読んでいただきありがとうございます。
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