捜索願
黒革張りのソファに座って対面している同居人に優奈は訝しんだ目を向けた。
確かに彼女は彼に走っている間に事を整理しておけと言った。けれども嘘を考えておけとは言っていない。
真面目な顔して説明し始めたが信じるつもりは毛頭なかった。
「……ホントにそれで信じてもらえるとでも?」
「いやだから、その、本当っていうか……俺も信じ難いけど」
「アンタが信じられない事を人に話してどうするのよっ」
もう少しマシな嘘が付けないものか……。
そもそも彼が嘘をついてまで隠したいことがあるならばそっちの方が訊いてみたい。優奈が聞きたいのはあの時の、羽織袴と一戦交えたときのアレだ。優奈は最初二重人格かと思ったが前世でそんなことはなかったし、もしそうだとしてもこの世界に適応した人格が現れることはあり得ない。
彼に異常が見られたころに優奈は彼にその歳で晄の事を知ったつもりなら見直せと言われたのだ。
その時に人格とやらの年齢が自分たちより上だとも感じた。
あらゆる可能性を考えても優奈の頭では道理のいく答えが出なかった。
「どうやったら信じてもらえるんだろうな……」
晄は困り果てているし、本当に押し通すつもりのようだ。
信じてもらいたいならその生き霊とやらに出てきてもらえばと優奈は思った。
そして、その矢先に思っていたことが起こってしまった。彼は声を出してはいないが見て分かるほどに雰囲気が変わる。普段のボーっとした目から鋭い目付きに変わるとそれはもう晄ではなかった。
「……でたわね」
「人を化け物みたいに言うな。あ、化け物っちゃ化け物か」
そう言うなり、晄ではない彼、デザイアはソファに踏ん反り返った。
(どうすりゃいいのよこれ……)
晄が演技をしているとも思えない。優奈は疑って早々、積極的に彼を認めざるを得なくなった。
「……お前さ」
「……アンタさ」
二人がほぼ同時に口を開いた。これから先は譲り合いだ。
「お前さ……」
「アンタさ……」
しかしこの二人は譲り合うということはせずに会話のアドバンテージを取りたがる。
二人は意固地になって互いが、お前が引けと目で促す。両者性格が悪いのは否めない。
これでは埒があかんとデザイアが引いた。
「お前の話から聞いてやるよ」
態度の大きさから優奈の癪に障った。一瞬、右頬を吊り上げたがここは何も言わないように心掛ける。
「それじゃ訊くけど、アンタはどういうものなの?」
晄の言ったことを微塵も信じていなかった優奈は彼からの直接の説明を求めた。
「だから言ってるだろ?俺は生き霊でコイツに取り憑いたって……、それ以上でもそれ以下でもないんだよ」
このことはやはり認めなければならないのだろうか。本当に信じ難いことだが、こうしてデザイアとかいう奴も出てきてその本人が言っているのだから。
「じゃあなんで晄に取り憑いたのよ?」
「そこにいたから」
なんでよりにもよってと優奈は頭を抱えた。彼が現れて助けてもらったこともあるため一概に悪いとは言えないが、このいい加減さは来るものがあった。
「かと言って何かしてやろうってわけでもない。近いうちに器があったほうが何かと良いかと思ったんだよ」
「本当に?私的利用するためじゃないでしょうね?」
「いつでも入れ替われるわけじゃない、自由に動かないんだ」
その動く方法とやらは晄から聞いていた。何か強く思うと彼が変わると。今入れ替わったのは晄が説明してほしいと泣き付いたからだろう。
「なんにせよ当分出て行くつもりもないし、何かしようって訳でもない。コキ使いたきゃコキ使えばいい、素直に聞くつもりはないがな」
何と自分勝手な奴だろう、優奈は絶句するしかなかった。この食わせ物はどうやって扱えばいいのだろうか。
そんなことを思っていると彼はおもむろに立ち上がって奥へと消えて行った。優奈は何事かと目で追ったまま固まっているとよく聞きなれた音がした。瓶と瓶がぶつかる音とゴムパッキンの離れる粘こい音が聞こえる。
(アイツッ……)
もはや疑うまい。この独特の音は家の中で一つしか奏でない。優奈は急いで立ち上がりキッチンへと向かった。そこでは案の定、デザイアが冷蔵庫を荒らしていた。
「何もないってわけでもないな、かと言ってなにかあるわけでも……お、ハム」
何分かに切られたボンレスハムをデザイアは齧った。それと同時に優奈はデザイアの胸ぐらを両手で掴んだ。
「アンタには常識のじょの字もないの?えぇ?」
「ちょっと思い出してな、六十年ぶりに食事ができるってことを」
「だからってね、人ん家の冷蔵庫勝手に開ける?」
デザイアにとっては体を乗っ取ることができなかった六十年は何も食べていない、というより食事そのものを行っていないという楽しみのないものだった。富豪の食事というのは必然的に値が張る物になり、一度は食べてみたい物はあった。
「別にいいだろ、俺もここに住んでるみたいなもんなんだから」
「アンタが住んでるのは晄の体でしょ」
「それを今操っているのは俺だ。俺に権利があるんだ」
ああ言えばこう言う。晄はおとなしい性格で自分の意思をハッキリと言わない。それに比べてデザイアは主義主張をしっかりと言う性格のようだ。気に食わないと言えばそうだがあの一件の恩もあるので強く出ることができない。
「……好きにするのは構わないけど、限度ってあるからね?」
「分かってる。逆鱗に触れない程度に動いてやるよ」
相変わらずの上から目線。実際八十そこそこの年齢とは言え、喋り方が同世代に聞こえるので傲慢な態度を取られると腹が立ってくる。
優奈の性格は四年間で大きく変わった。少しささくれているのは仕事柄でなのか、保護者の影響なのか定かではないが短気になったのは確かだ。四年ぶりにあった幼馴染が一部、よそよそしさを見せるのはそのせいだろうと優奈は思っている。
コイツと話しているとずっと苛立っていそうだった。胸ぐらから手を外す。優奈は溜息をついた。
彼はハムを手に持ったまま左手で胸ぐらの乱れたシャツを整えた。
「ま、そういうことだ。お前も信じるしかないだろ?」
このままひっくるめられるのは悔しいがこれはもう晄が言った通り、デザイアという生き霊が取りついて晄の体を自在に操っていると認めざるを得ない優奈だった。
☆☆☆
時刻は午前九時と少し。この世界にも時間という概念はある。もちろん一日二十四時間、一年は三百六十五日で月日もある、呼び名は異なるが。
この世界に来てから地味に驚いたのがこのことであったカイリ・トミオカは今、サファイアオービタルのギルド支部にいる。喫茶店から帰ってきても支部で依頼人が来るのをひたすら待つだけだ。
支部の外観は二階建ての豆腐ハウスのような物件だがマジックミラー張りの壁とギルド名らしい藍色でデコレーションされた支部はデュッセの街並みから少し浮く。内装も青を基調としたものが取り入れられ、少し涼しげな印象を与える。
今この支部にはカイリとアルダしかいない。二人しかいないのは他が依頼の達成に出払っているからで、アルダも二階のデータベースと睨めっこをしている。だから受付対応はカイリがこなしている。と言っても誰も来ない。
マジックミラーを通して見える薄青いデュッセは雨が降りそうな色をしているが外を出れば日はカンカンに照っている。支部の内装の色合いもあってかやる気が起きない。
(内装の色、変えるべきだよな……)
青は食欲減退色と言われるが意欲そのものを減退させているのではないかとカイリは感じた。
ウチのリーダーはこういうところに拘るよなと思いながらカイリは座っているデザインチェアで一回くるりと回った。外からは見えない。たまにガラスの外に髪を整える女性の姿が見えるがその人は中からは丸見えということに気づかない。
そう思って何気に外に目をやると一人、めかしこんだ女性が右から左にスクロールしていった。女性はテナントの正面、サファイアオービタル支部の入口のドアに手を掛けると押して入ってきた。
丁寧にドアを閉め、振り返って軽く一礼する。一礼されたのでカイリも軽く頭を下げた。
「今よろしいでしょうか?」
丁度耳に届く声量で営業しているかと聞かれた。
「あ、はい。大丈夫ですよ。此方に」
カイリは慣れない対応でその女性を自分のカウンターの前まで促した。
毛先が軽くウェーブしたロングの茶髪に、奥ゆかしそうな顔はマダムを思わせる。しかしよく見ると髪が傷んでいたり、顔には疲労が見えたりとあまり健康的ではなかった。
受付は複数あり、磨りガラスで区切られている。
女性がカイリと似たような椅子に座るとカイリはおそらくマニュアル通りの言葉を口にした。
「今日はどうされました?」
女性は一拍置くとボソッと喋った。
「人を探してほしいのです」
厄介なのが来たなとカイリは思った。何かを駆除してくれという依頼よりも捜索の方が骨が折れる。
「えー、どういった方を?」
「私の夫です」
と言って女性はそそくさとプラスチックのカードをバッグの中から取り出した。
そのカードを見てカイリは絶句した。
(レギオンのIDカード!しかも重役……)
レギオンは一人一人がIDカードと呼ばれる個人証明書を持っている。そしてそのカードの色によって階級が設けられている。どういうセキュリティをしているのかカイリは知らないがこのカードの黒色はその人物が重役だということを指すことだけは分かる。
カードを受け取る、偽造というわけではないが確認だけ行うために眺める。証明写真に目をやるとカイリの記憶に引っ掛かる顔がプリントされていた。
(どこかで……)
「アルバロ・シャンド……夫の名前です」
カイリの顔色を窺って女性はこの人物の名前を言った。そしてカイリはまたしても驚いた。
「アルバロ・シャンド……ですか?」
直接的な接触はないが大陸で五指に入る魔法師アルバロを知らないわけではなかった。
魔法師以外でも科学者としても活動している彼は情報誌でもよく登場する。そしてこのカードが指すものもあって途轍もない人物だ。そんな人物に何故捜索願が出される……?
「何故ここに?レギオンの所属ならばレギオンへ伺えば良かったのでは?」
そもそもがこんな重要人をレギオンが野放しにするはずがない。やはりイタズラの疑いを掛けたくなったがそんな事をする利点もない。何も無い事を詮索したって仕方がない。
IDカードも正真正銘本物。
しかしカイリはどうしても信じられなかった。そのような人物の行方が分からなくなることが。
役職的にも一日は必ず顔を見られるであろう彼がどうやって人目が付かないようになる?
一番怪しいのは彼女か……。
「……」
「喋ることができませんと?」
少々高圧的だがギルドも理由なく依頼を受けたりしない。かと言ってそのまま突き返すようなこともしない。お客様なのだから。
「可能な限りで構いませんので……話せません?」
「いえ……、全て、全てお話します……」
それから女性は細々と言葉を紡いで事の顛末を語った。
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