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皐月

『ねぇ、しあわせ……?』

 時々、その一言が耳元で聞こえる。どんなに周りが騒がしくても、はっきりと。誰もいない時も、静かに。

 ただ一言、問いかけてくる。


 ◆


 (さき)は、大学一年生。

 講義を受けて、時々バイトをして、友達と遊んで。変わりばえのない、けれど充実した日々を送っている。

 そして『あの声』も、相変わらず。


 幸が初めてこの声を聞いたのは、小学五年の時……夏の夜のことだった。その時以来、週に一回はその声に問われる。

 毎回同じことを、同じ声の調子で。明るい調子でもなく、暗い調子でもなく、怒っている風でもなく。

 ただ、問いかけてくる。


 初めの頃は、もちろん驚いたし怖れた。だが幸は、ただ一言訊いてくるだけのその声に、徐々に慣れていき怖くもなくなっていった。

(答えなくても、何かされるわけでもないし)

 答えない、というより最初は恐怖のあまり口が利けなかったのだが……

 答えずとも、それ以上は何も言ってこないし、八年間無視し続けていても、声の調子が変わることもなく、嫌な感じも全くしない。

(だからきっと、このままで大丈夫だよね)

 そう、幸は思っていた。


 ◆


『ねぇ、しあわせ……?』

 ある日の夜、ベッドの上。

 また、いつものようにあの声が聞こえた。

 ふと幸は考える。

 一度くらい、返事をしたほうがいいのだろうか。

 仮に返事をしたとして、その答えが“彼女”の意に沿わぬものだったら、何かされるのだろうか。

 それを思うと、中々答える気になれなかった。

(うーん……)

 幸は悩む。ごろん、と横向きになる。


 そして、初めて、みた。

(……あっ)

 視線の先、窓際に“彼女”は居た。

 幸は、“彼女”があの声の主だと直感した。

「…………」

 “彼女”は何も言ってこない。

 ただじっと幸を見ている。

 その顔は、笑っているわけではなく、かと言って怒っているわけでもなく、悲しんでいるわけでもない。

 ただ、優しく見ている。

(…………)

 もう何年も聞き続けてきた声の主だからか、恐怖は感じなかった。

 だが、視線を外せずにいた。


 どうしようもないため、幸は“彼女”に話しかけてみた。

「あなたは、誰?」

 すると、“彼女”は普通に答えた。

『私は、希望(のぞみ)

(……答えてくれた……)

 幸は、自分は返事をしたことがないのに答えてくれるのかな、と不安だったが、“彼女”は優しい声で返事をしてくれたためほっとした。

 しばらく見つめ合っていると、“彼女”……希望が口を開いた。

『……ねぇ、しあわせ?』

 いつもの、あの決まり文句。

「希望……さんはどうして、私にそのことばかり訊くの? 何年も、ずっと」

 それに幸は問いで返した。

 そしてそれに、希望は答えた。

『だって、あなたの名前はサキ……幸せって字を書くでしょ?それは、ご両親が、あなたに幸せになって欲しくて付けた名前じゃないの?』

「……それは……そうだと思うけど……(だからって、どうして……?)」

 幸はいまいちわからない。

 困惑していると、希望が話し始めた。

『私ね、あなたが生まれる前に、この家で生まれたの』

「……えっ」

『私の両親はとても貧しくて……生きるのにとても苦労してたみたい。そんなある日、私が元気に生まれて…両親はとても喜んでくれて、また私のことを「生きる希望」だと思ったみたい。だから、私の名前は「希望(のぞみ)」となったの』

 希望は微かに微笑んだ。

『それから、私と両親は仲良く暮らした。生活は苦しかったけど、なんとか生きていたの。……でも、ある日……』

 突然、表情が暗くなった。

『両親が交通事故で死んでしまったの。もう、私を「希望」としてくれる人はいなくなってしまった。私も、二人をいっぺんに亡くして生きる希望を失った。そして、私は、この部屋で自殺した……』

 ここで、希望の表情が悲しみに溢れたものに変わった。

『だからね、「幸」という名を持つあなたは、幸せなのかなって。私は自分自身で全てを諦めてしまったけれど、同じこの家で生まれたあなたは、ちゃんと「幸せ」に生きているのかなって……ただ、そう思ったの』

 そう言った彼女は、小さく微笑んで幸を見た。

 その顔を、幸は綺麗だと思った。

「そう、だったんだ……」

 幸は希望の傍に行きたかったが、なぜか身体が動かなかった。


 しばらく考え、幸は正直に言った。

「楽しいことや嬉しいことはいっぱいあるし、悲しいことも辛いこともあるけれど、私は……幸せだよ。家族がいて、友達がいて、やりたいことやって……とっても充実してる」

 言って、なんだか身が軽くなったような気がした。

『……そう、それはよかった……』

 それを聞いた希望は、心から喜んでいるように微笑んだ。

 それを見て幸は、彼女はとても優しい人なのだと痛感した。

『幸……これからも、自分の名前の意味を忘れずに、精一杯生きてね……』

 そう言うと、希望の姿は消えてしまった。

 その瞬間、窓は開いていないのに、優しい風が吹いたのを幸は確かに感じた。

「……うん」

 幸は、ベッドの中、確たる決意をもって頷く。


 そしてふと、なぜ今日“彼女”の姿がみえたのかが気になった。

(今日……今日……今日?)

 時計を見ると、午前二時を過ぎている。

 日付は変わり、今日は五月十五日。

 幸の誕生日だった。


 誕生日……

 それは、この世に生まれ、名付けられた日。

 そしてその名前の力が、最も強くなる日。


 だが幸は、そんなことは知らない。ただ、 

(……そっか……希望さんのおかげで、大事なことに気付いたんだもん。これは……誕生日プレゼントなんだ)

 そう、思った。




【皐月】終

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