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0 ふたりの未来

 記念すべき十回目のデートで、プレゼント交換をしよう。

 それは、恋人に初めてプレゼントを贈れる、ふっと閃いたグッドアイデア。すぐに進一と約束を交わして、一生の思い出になるような素敵なものを贈りたくて、とてもとても幸せな気分で、新作のボンボンショコラを衝動買いしていた。経費のことなんて一秒たりとも考えないままに、最高の気分でショコラを味わっていた。


 お金がない。けれど、悩んだところでどうしようもない。


 食後のスイーツタイムを我慢したとしても、生活費やデート資金、劇団仲間のことを考えると、プレゼントに使える資金は千円もない。

 お金をつくる時間が欲しいのに、もう、九回目のデートをはじめている。

 節約する時間もないなんて、ありえないよね。時間さえあったらプレゼント資金なんていくらでもつくってみせるのに、どうしてデートを延期できないんだろう。どうして進一と一緒になると、話題沸騰中のアップルパイを食べずにはいられないんだろう……でも、きっとそういうことは、考えたら負けなんだと思う。


 だから、ゆうちゃん、ごめんね。



 あらわれた結論には感傷をおぼえた。

 華やいだ声があふれるスイーツショップでは、すべてを忘れて幸福を味わっていた。


 理香は、進一との時間を楽しむなかで安っぽい時計をみつけた。


 丸い形をしたアナログ時計で、淵はグレー、なかは黒く、銀色の数字が十二個ならび、銀色の針が三本ならんでいる。十五センチほどの大きさで、幅は三センチもない。動力部分は裏側についており、単三電池一個で動いてくれる。不安定な形をしたプラスチック製の軽い時計は、裏側にはめ込まれた小さな板に支えられ、少し傾いて立つことになる。


 見た目どおりに安価なプラスチック製の時計。


 お金にも時間にも余裕がないなかで出会った、売れ残りの時計。

 一目見て、進一の部屋なら似合うと感じた。


 進一の好みに違いない。あれなら進一は気に入ってくれる。


 仲間のことも思い出して、これしかないと決断した。デートを終えて進一と別れたあと、素敵なイメージを広げながら時計を買いに急いだ。浮かれ気分で稽古場に向かい、浮かれ気分で部屋に帰り、プレゼントらしく見えるよう美しいラッピングを試みた、その結果、どんな飾りにも負けてしまう安っぽさに驚き、激しく後悔した。


「勢いで買ってはみたけど、こんなの進一に気に入ってもらえると思う?」


 喫茶『糸杉』にて、樹理を相手に不安を吐き出す。「自分から言い出したのに、こんな安い物でいいのかなぁ」「恋人に贈るはじめてのプレゼントがこれかぁ」「一生の思い出になるような素敵なものを贈ろうって思ったのにさぁ」「ショコラがさぁ」「ボンボンショコラがさぁ」吐き出すたび、カウンターに頭を打ちつける。


「熱いベーゼ」


 の前振りにでも利用しなさい。

 樹理の導きにより、自虐行為はピタリと止まった。


 親密なキスシーンを想像する理香に、いつもより楽しそうな樹理が助言を続ける。

 どんな口づけを交わすかなんてどうでもいいの。ほんとうに大切なのは、そこに至るまでの過程。最高のベーゼがあるとするなら、そこには最高のストーリーが秘められている。


「素敵な雰囲気をつくるなら美咲ちゃんのワインがいいかもしれないわね」


 樹理は巧みに理香を操る。







 十回目のデートは劇場から始まった。

 理香の出番は終盤のみで、幼く生意気な姫さまとして数行のセリフを口にするだけ。進一は観客席から舞台袖の方ばかりながめていた。

 ようやく登場した理香は、初めてみる舞台上の理香。

 まったく演技ができておらず、ただただテンションの高い着物姿の理香がいるだけだったが、進一は気分を高揚させて、物語に幕が下りると人生初のスタンディングオベーションを実践していた。進一につられて、劇場はいい雰囲気になっていた。


 公演終了後、理香と進一は早々に追い出された。

「樹理さんがスイーツを用意してくれたから」と『糸杉』に向かい、早々に追い返された。


 夜道を歩いて、ふたりは理香の部屋へと場所を移した。


 テーブルセットに置かれたのは、ふたつのグラス。ふたつのケーキ皿。ふたつのフォーク。樹理の特製チーズケーキに、「彼と、ふたりの、ときにね」のメッセージとともに美咲が贈ってきた、銘柄不明のワインが一本。

 愉快犯(じゅり)の思惑通りに準備が整い、確信犯(みさき)たちの期待通りにコルクが抜かれる。


 恋人として、ふたりは向かいあう形でイスに座り、グラスを響かせて乾杯した。


 ワインのことなどわかりはしないが、美咲さんが用意したのなら、きっと高級に違いない。

「こういうのは、どうも似合わないな」

 進一はそういってグラスを空けた。

「うん、思ってたよりも飲めるけど、私はやっぱりココアがいいかな……でも、なんか樹理さんのチーズケーキとは合うような気がするかも」

 理香もまた、いいペースでグラスを空にした。



 緊張気味のふたりは、飲みなれないワインに助けられながらスイーツタイムを楽しみ、時を迎える。



 あくまでも、かるい感じで。

 なんでもないように気楽な感じで、理香は恋人にプレゼントを贈る。


 進一がそれなりに喜び、進一のプレゼントでこちらも喜び、そうやって流れに勢いをつけてゆき、ふたりだけの空間で、密着できる距離まで近づいてゆく。

 そんな理香の作戦は潰えた。

 進一がまったく喜んでおらず、真打ちプレゼントのことで頭がいっぱいだった理香でさえも、事態の急変には気づかされた。


「…………あぁ」


 嘆息する恋人が目の前にいて、気づかないわけにはいかなかった。


「……やっぱり、こんなのじゃダメだった?」

「ああ、いや、そうじゃないんだ」



 ふたつの時計がテーブルにならび、恋人が語る、失態と謝罪。



 見られていたという事実を知り、見ていてくれたのだと感じてしまう。進一がプレゼントを選んだ理由は、あまりに短絡的で、まったく理解はできなかったけれど、にやにやと頬が緩んでしまう。


 うれしくなって、進一が置いた時計にふれた。


「……理香が気に入らなければ、自分で使おうとか考えてたんだけどなぁ」

「じゃあ、進一の好みではあるんだ……失敗したとおもってる?」


「やらかしたと思ってるよ……だから、プレゼントはまた、あらためて贈るよ」

「えぇ、いいよ、そんなの」


「理香の部屋には似合わない。壊れるのも早そうだから、時計はふたつとも」

「ダメ。進一がくれた時計は私がつかうの」


「理香の好みじゃないだろ?」

「うん」


「じゃあ」

「でもいいの」


 初めて人を好きになり、その気持ちに振り回されているだけで、求める相手がどんなプレゼントを用意したのか、恋しい人がどんな気持ちでいるのかを考えてはこなかった。

 不安がなく、打算もない。好かれようと思わなかったのは、進一の好意がわかっていたからだろう。愛されるより愛したいと、わりと本気で思ってはいたけれど。


 想われていると感じるだけで、安っぽい時計が愛しくみえる。


「ねぇ、まったく同じものを贈りあうなんて、すごい偶然じゃない?」

「こういうのは、偶然というのか?」


「じゃあ、まさか進一は、これが相思相愛の証だ、とか言いたくて選んだりしたの?」

「そんなんじゃないけど」


「これがふたりの絆だ?」

「いや……」


「これからは同じ時間を刻んでいこう、みたいな?」

「……」


「一秒ごとに君を想うよ?」


 進一は頭をかきながら、何も言い返さずに苦笑していた。

 あきらめて、照れくさそうに笑って、うれしそうに笑って、優しく微笑んでいる。


 進一の気持ちなど、考えるまでもなかった。いまになってよくわかる。どれだけ想われているのかも、深いところで理解して、ずっと感じていたような気がする。

 考えることに意味などない。感じることがすべてであって、どれだけ感じるかが大切なのであって、いまはもう、どうしようもなく伝わってくる。


 世界がどんどん違ってみえる。

 気持ちがこもっているとはいえない、好みでもない安物を贈られたのに、にやにやが止まらない。


「私の時計は進一の部屋で、進一の時計は私の部屋」


 時計はきっと、ずっと恋人のそばにある。


「ほんと、どうして同じものを選んじゃうかな」


 ふたつの時計には意味があると、ほんとにあっさり信じてしまう。


「進一といっしょの時計をつかうなんて、さすがにそこまで考えてなかったから」


 運命だったと信じていまう。


「なんだか、忘れられない贈りものになっちゃうかもね」


 ふたりの出会いも、ふたりの未来も。




「大切にするよ」

「うん、私もそうする」



 時計を贈りあい、眼差しだけで想いが伝わる。


 愛されている。

 求めているのと同じくらい、求められている。



 きっと私は、ずっとこの人のそばにいるのだろう。



 心から、そう思った。


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