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38 初対面

 進一は、理香の様子がおかしいことに気づいている。心当たりはひとつしかなく、そうならなければいいと恐れていた変化、その兆候であると、疑わずにはいられなかった。

 理香を迷わせている。理香の邪魔をしている。

 予感はあった。文恵のことを話して、寂しさを打ち明けると理香は問うた。「もしも私が役者をやめて、一緒に暮らしたいっていったら、進一はどうする?」予感がして、危惧もしていた。その後も舞台に出演しなかったり、笑いながら泣き出したりもしている。予感は外れそうにもないらしいと、進一は思い悩んだ。


 理香は舞台から離れようとしているのではないか。

 役者をやめたいと、理香が望むはずがないのに。舞台に立つことを嫌うはずがないのに。


 わかっていながら、進一は望んでいる。理香の夢を、舞台に立つ理香を、消してしまうのが怖い。それなのに、理香のそばにいたいと望んでいる。望んでいることを、進一自身が理解している。


 毎日毎晩、無理をしているのはわかっていた。

 それでも忙しさを望んだのは、考えたくなかったからだ。


 理香が夢を犠牲にするかもしれないというのに、決断を下せずに逃げつづけている。




 その、結果がこれか。

「……体調を崩して寝込むなんて、何年ぶりだろうな」

 我ながら、まったくもって救いようがない。


 進一は布団の上で生姜湯をすすり、溜め息をついた。


 今朝になって、目覚めると体が動かない。院生試験が終わって気が緩んだのか、蓄積された疲労が一気に襲いかかってきたらしい。研究室に連絡を入れて、仕方なく布団で寝ていた。八代が絶好調であるため、一日二日寝込んでいても問題はない。試験結果にも自信はあり、進路や学業について溜め息は必要ない。


 気にかかるのは、生姜湯をつくってくれる存在。

 ずっと距離をとっていた文恵と、一緒にいて、これまでになく世話になっている現状。


「……なんでこんなことに」

「無理を続けたからじゃないですか?」


 窓から外を見ていたはずの文恵が、困ったように笑い進一を見ている。


「早紀も言ってましたけど、八代さんは別格だと思いますよ。佐山さん、ずっと頑張ってこられたんですから……たまにはこうやって、ゆっくり休むのも悪くないんじゃないですか?」


「……かもしれない。けど、半日も寝てれば十分だよ」


 生姜湯をすすり、休み過ぎだと進一はいった。

 文恵は苦笑したまま、「食欲はありますか?」と進一に尋ねた。進一が首を横にふると、「もうすこしあとにしますね」と文恵は笑う。


「いや、今日はもういいよ」

「それはダメです。せっかく早紀が考案した八代スペシャルを用意したんですから、ちゃんと食べて体力をつけてください」


「……せめて、普通のお粥にしてくれない?」


「元気になれると思いますけど」

「いや、元気でなければ食べられないような気がする」


「プーちゃん、今日は来てくれそうな気がします」


 文恵は脈絡もなく声を弾ませて、窓から外をながめた。

「佐山さんも一緒ですからね」

 振り向いて楽しそうに笑い、進一の追撃をかわした。


「あいつに付き合ってやる元気もないな。けど、そういうタイミングで現われる奴ではあるか……ああ、生姜湯ありがとう。いいかげん布団を片付けるよ。部屋の空気も入れ替えたいから、窓を開けてくれる?」

「冷えますけど、大丈夫ですか?」

「問題ないよ。生姜が効いているのか、ぜんぜん寒くない」


 文恵は窓を開けて、ついでに網戸も全開にした。

 進一は何も言わず、苦笑しながら布団をたたんだ。




 訪問者を告げるベルが鳴ったのは、進一と文恵が向かい会って座り、八代スペシャルを食べる食べない、折りたたみ式テーブルを出す出さないの問答をしている最中だった。

 進一の身体を気づかい、文恵が動く。

「わたしが出ましょうか?」

 質問の形をとってはいるが、自分が出るという意思表示だった。動きの鈍い進一より早く、文恵は軽やかに立ち上がり、ドアに向かい訪問者を迎える。


 進一の部屋の入り口で、文恵と理香は初対面を果たした。


 誰とは知らぬまま、いきなり近い距離で顔を見合わせ、互いに相手の笑顔を知らされる。

 文恵も理香も「どちら様ですか?」と問うことはなかった。ふたりは同じように言葉を失い、向かい合ったまま立ち尽くした。


 出遅れた進一が、不審を察しつつドアへと近づき、恋人の訪問に気づく。

「理香?」

 とだけは声に出せたが、なぜ理香がここにいるのか、進一の思考は追いつかない。


 見舞い? いや、体調不良を伝えた覚えはない……えっ? なんで部屋にいることを知ってるんだ?


 入り口で立ち止まる理香と、振り返った文恵に見られるも、言葉が出ない。

 なによりもまず、理香が連絡もなく訪問することが考えられない。忙しさに逃げて、そんな可能性など考えようとはしてこなかった。


 突然、文恵が俊敏に動いて、恋人たちのラインから距離をとった。進一と理香が身体をビクッと硬直させると、もう一歩、慌てて後ろに下がった。

 すいません、と聞こえたような気がして、理香が遠慮がちに口を開く。


「……プリンを、届けにきました……」

 理香は文恵を横目で見る。

「……ありがとう」

 進一も文恵をちらりと見た。


 文恵は何も言わず、何も見ないように下を向いている。肌が、血の気を失ったように青白い。


「こちらが、西園寺さん。例の、猫好きの」

「…………あぁ、そうだよね。そうそう出かける前まではちゃんと文恵さんのこと……」


 チラチラと文恵を盗み見ていた理香が、急に驚いて進一をみる。


「えっ、なんで進一がいるの?」


 まったく整理が追いつかず、進一は頭をふって考えることをやめた。


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