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34 劇団 『群青クローバー』

 団長の忠告は正しい。

 理香の演技は、最低ではなく論外。

 誰よりもわかっている理香は、頭をさげることしかできなかった。

「役に入り込めてないよ理香くん。まったく心がこもってない。これじゃ観客を芝居の世界に惹き込むなんてできやしない。ぜんぜん楽しんでもらえないわけだよ理香くん。わかってるのかね。これはもう技術がどうこうじゃないよ。やる気はあるのかねってことだよ、理香くん」

 すいませんと、理香はまた頭をさげた。

 団長が落ち着きなく動き回る。小回りのきく団長が視界の中央から消えることはなく、チラチラと向けられる視線は容赦なく理香を落ち込ませた。

 ましてや視線は団長だけではない。

 ひとつ、舌打ちも聞こえた。そのあとすぐに頬を叩いたような音もきこえた。くるみが何か叫んだような気がして視線をうつせば、くるみが優に顎を締め上げられてもだえていた。イマノハダンチョーとわめいてもいる。

 理香はますます落ち込んだ。


 みんなに迷惑をかけている。わかっているのに、情けなくて悔しいくらいなのに、演技に集中できない。このままじゃ足を運んでくれた人たちに失礼なものをみせてしまう。役者として、最低だ。こんな最低なこと、進一も喜んでくれないってわかってるのに……私は……。


 私は、どうして稽古場にいるんだろう。どうして進一のそばにいないんだろう。



「例の、あの男となにかあったのかね?」

 動きを止めていた団長の問いかけに、理香の意識は現実にもどされた。

 団長は手をつき出して理香の発言を制する。

「そうだろうそうだろう、この数ヶ月、理香くんは忙しかったからね。関係がこじれてもおかしくはない。本来ならプライベートの問題を舞台に持ち込むなといいたいところなんだが、言わないよ。それが無理なのは知ってるから。理香くんまったくできないから」

「すいません、けど、こじれてはいません。世界中の誰よりも愛されてます」

「うんうん、さすがは理香くんだ。この流れにおいて、こうもはっきり言い返すとはね。佐山進一との関係がどれほど大切なのかよくわかるというものだよ。だからこそ、なにか問題があると確信できるわけだけどね」

 してやったりと言いたげに、団長はフッフッと笑った。

「もしも別れることになればどうなるのか、怖くて怖くてしかたないよ、僕は」

「……はい?」

 戸惑う理香をみてとり、団長は手のひらを天にむけて、どうしようもないねと肩をすくめた。

「理香くんは彼を愛しているかい?」

 警戒しながら、理香はうなずく。

「一年前よりも深く、昨日よりも深く、愛しているかい?」

「……はい」

「世界中の誰よりも愛していると断言できるかい?」

「はい」

「よし、オーケーだ。なにが問題なのかは知らないが大丈夫だろう。乗り越えるもよし、乗り越えなくてもよしだ。まあ、どちらにしても時間は必要だろうね。どのくらい必要だろう。公演に間に合わなかったらどうしようか……もういいのかなぁ。ちょっと試してみようかなぁ」

 団長がひとりでぶつぶつと言いはじめたため、理香はさきほどの質問について頭を悩ませる。


 進一と会わないよう恋愛禁止令まで出した人が、愛が深まってオーケーって……。


「理香くん、今回はパスね」

 団長はグイっと親指を立てた。

 油断していた理香は、うまく言葉を受けとれなかった。

 


 理香は励まされる形で舞台を降ろされた。

 劇団員たちは団長を説得しようとしたが、それは理香が止めた。

 降ろされてもしかたない。現状で、ほかに選択肢なんかない。

 分別のある劇団員たちは理香の心情を汲みとった。くるみ一人が不満をぶちまけていたが、団長から理香の代役に指定されると大人しくなった。

 この大抜擢ともいえる配役に、稽古場は騒然となる。

「理香の代役なんて誰にもできないけど、くるみは一番やっちゃダメ。この子だけはダメ。可憐なヒロインなんて絶対に無理よ。たとえ演出の視覚効果で体型は誤魔化せたとしても、根性の腐ったところまでは隠せないわ。最高の演技力を発揮できたとしてもバレちゃうわよ。どうして三人もの男たちが犯罪を犯してまで守りたがるのよ。むしろ共謀して殺しにかかるわよ。ストーリーが破綻しちゃう。だいたい、くるみが主演の舞台なんて誰もチケット買ってくれないわ」

 優を筆頭に大ブーイングが巻き起こったが、それでも団長は揺るがなかった。

「わかってるわかってる、もちろん台本に変更はくわえる。大丈夫、大丈夫だから。たぶんシナリオは根本的に変わるから。それでまあ、理香くんのおかげで劇団の評判も上々、初回の公演はなんとかなるだろう。一回やってみて観客の反応を確かめようじゃないか。駄目だったらすぐに止めるから。わかってる。君たちの心配は重々承知だ。僕だって怖いからね。どちらかといえば君たちより怖がってるよ。でもね、勝負というのは怖いもんなんだよ」

 団長の乾いた笑い声が稽古場を支配するなかで、くるみ一人がニタニタと笑っていた。



 くるみの主演が決定。早期解散となり、中華料理店「桂馬」の座敷席には三人の劇団員が座っている。

 役を降ろされた理香。

 笑いが止まらない主演女優のくるみ。

 モリモリ餃子を食べつづける助演男優の優。

 その他の劇団員たちは、牛丼を買い込んで稽古場にこもっている。くるみの主演は覆せなかったが、芝居を一から作り直すことは認めさせた。根本的な原因である理香については優にまかせて、ついでに邪魔者もまかせて、目の前の問題であるシナリオ創作に積極的な対応をとっている。


 共通の敵(くるみ)を引きつけておくことは、成功したけれど、ね。


 優は、心身に元気をみなぎらせると、不愉快の元凶を努めて無視して、理香に注意を向けた。

 舞台の華は萎れている。

 らしくないと、優は悩んだ。泣いてはおらず、卓上に頭を打ちつけてもいない。落ち込んではいるものの、舞台に立てないことを、心のどこかで肯定的に受け止めているような気がする。親密デートを終えての異変。誰よりも大切な彼との関係になにかがあった。ほんとうに浮気をされていたのだろうか。とうとう彼に限界が来てしまったのだろうか。

「進一くんに、なにかいわれた?」

 餃子を口にいれた理香が、こちらに顔を向けた。別れ話ですかぁ? と横槍をいれてきた愚か者を成敗して、優はもう一度きいた。

「……もっと会いたいとか、舞台に出るのをひかえてほしいとか、お願いされたの?」

 理香は驚いた表情を浮かべて、それから首を横にふった。

「このままでいいって……このまま待っていたいんだって、そういわれた」

 理香はうれしそうに、寂しそうに笑って、少し涙をにじませた。

 気づいたのだと、優は悟った。

 彼が寂しさに耐えかねたのではない。けれど、理香は気づいたのだ。こんな日がくることを予期しなかったわけではない。「理香のこと、お願いします」そう彼に頼まれたとき、たしかに考えたはずだ。はたして理香は、彼が犠牲になると知って、舞台に立つことを望むだろうかと。

「私って、降ろされちゃったんだよね……ほんと、なにやってんだろ……」

 進一に怒られるかな。

 そういって、理香は笑いながら涙をぬぐった。


 負い目がある。あたしだけではなく、当時の劇団員には負い目がある。

 劇団のために、進一くんを犠牲にした。理香の大切な人を犠牲にした。犠牲にしたことを、理香に隠しつづけていた。それが彼の願いであったとしても、あたしたちは、ふたりに対して負い目がある。


「せっかくだから、進一とまったり過ごそうかなぁ」

 ひとり言のように、理香が言った。冗談めかして、きっと弱音を口にした。

「なに言ってんの。出演しないからって、何もしないでいいわけないでしょ? せいぜい気合いを入れてサポート役に徹するのね。うーんと忙しく働かせてあげるんだから、覚悟なさい」

 優は余裕の笑みをつくりあげる。

 ひどいものねと自嘲しながら、そっけない態度で、理香を励ましながら。


 進一くんが去った方角に向けて、道端で土下座をしていた小さいオッサンは、ただのポンコツじゃない。

 団長は、絶対に理香を見捨てない。

 理香が舞台に立つことを望むかぎり、あの人は理香を切り捨てない。

 でも、望まなければ? 理香が舞台ではなく、恋人を選んだときは……みんな……。


「……でも、そうね。演技をするわけではないから、稽古前のデートぐらい、楽しんできても、誰も文句は言わないかしら。舞台の成功と内側の敵、共通の目的がふたつもあるから、みんな、一致団結して情熱を燃やしてる。理香のことなんて気にしてられないもの」


 みんな、心配されないように頑張るでしょうね。


「それはそれで悲しいんだけどなぁ」

 小さく笑った理香にむけて、優は不敵に笑ってみせた。

「せいぜい進一くんに甘えるのね」



 みんな、あなたたちには感謝してるもの。



「ええ、理香さんは心配なんて、しなくていいですよ……主演、舞台は、私に任せといてください」


 畳に伏していた主演女優が、両腕をぷるぷる震わせながら起き上がろうとしていた。


「……そういえば、くるみちゃんって、ぜんぜん心が折れないよね……もしかして、すごくない?」

「ええ、この根拠のわからない自信だけは、たしかに……頼もしいのかしら?」


 同期のふたりは顔を見合わして、底の知れない後輩を見下ろした。

 途中で落ちて動かなくなったが、くるみは倒れたまま、クツクツと不気味な笑い声を上げている。


「ねぇ、だいじょうぶかな? すっごく危険な香りがするんだけど」

「……少なくとも、このまま調子にのらせるのは危険でしょうね。あたしたちの神経がもたないもの」


 疲労がよみがり、優はゆったりとした呼吸を意識した。

 いつだってそう。理香の問題は、理香自身が解決しなければいけない。自分たちは、自分たちにできることをやるしかない。

「とりあえず、どんな台本になるかよねぇ……やっぱりコメディ路線かしら?」

 うーんと理香が唸りだして、優は少しだけうれしくなった。

 アイデアを考える理香の瞳に、とてもきれいな光がみえて、優は少しだけ苦しくなった。

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