24 八代の事情
後ろ姿が寂しげだった。
熊のように大きな背中が、いつもと違って頼りなかった。
簡素な丸イスに座る先輩に目をやり、進一は考えられる原因を探った。
一晩寝れば元通りになる人でも、さすがに疲れが溜まってきたのか。いや、八代さんが弱気になる、となると原因は柴田か。昨夜なにか言われたんだろうな。昨日は変わりなかったはず……だとは思うけど、まったく八代さんの記憶がないな。昨日は異変があっても気づかなかった気がする。その前は……まずいな、理香に会えると決まったあとは、あまり自信がない。
進一は頭をかきながら、昨日みた理香の笑顔を思い出した。
自然と笑みがこぼれ、これはいかんと気を引き締る。
「作業、区切りついたみたいですね」
進一は平静を装い、学生食堂に八代を誘った。
進一は肉うどんを注文して、八代は肉うどんの大盛りを選んだ。とくに会話もないまま、二人は席について昼食をはじめた。ゆるめの冷房に湯気がゆれる。進一は遠慮なく八代を観察した。八代は考えることなく選んで、味わうこともなく食べているようだった。
こうなると、けっこう繊細だからなぁ、この人は。
まあ、これだけ勢いよく麺をすする姿を見るかぎり、聞いても大丈夫か。
どう話を切り出すか考えていると、さすがの八代も視線に気づいた。「どうした?」と逆に聞かれて、進一は頭をかきながら「いえいえ」と苦笑する。「ちょっと気になりまして」と一拍おいたあと、直球で聞いた。
「柴田のやつに何か言われましたか?」
予想はあたっていた。ストレート過ぎて返事はなかったが、八代は箸の動きを止める。なぜそんなことを聞くのかと戸惑い、すぐに他人の目に自分がどう映っていたのかを理解した。「その逆だ。なんも言ってくれないんだよ」と八代は語りはじめる。浅黒くてわかりにくいが、わずかに顔を赤くしていた。
このところ、どうも早紀に元気がない。早紀は昨日も大自然研究会のメンバーと猫探しに出ていた。迷い猫は見つかり、飼い主にも喜ばれたわけだが、それでも早紀の表情には少し陰がある。八代は心配した。いつも必要以上に元気なのに、こうなっては深刻な病まで想像してしまうではないか。しかし、いくら八代が尋ねても早紀は、「なんもあらへんよ」と下手な作り笑いをみせるだけだった。
進一は相づちを打ちながら最後まで聞いた。
「俺は一体どうしたらよいのだ……佐山よ、早紀のことで何か心当たりはないか?」
しゅんとして悲しそうな八代に、「ありますよ」と進一は答えた。驚きすぎて言葉もでなかった八代を見やり、やれやれと首をふる。
八代さんに言えない柴田の悩み、間違いなくツチノコだろう。責任感が強いのもあるが、あいつは思い込みが激しい。笑ってすませたのは失敗だった。彼女の直感が鈍ったのは呪いのせいだと、どうやら本気で心配しはじめたらしいな。
緊張の面持ちでいる八代に、進一は苦笑しながら伝える。
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ、柴田に問題はありませんから。あいつは西園寺さんの直感力が鈍っていること、彼女に元気がないことが心配なんです。ツチノコの呪いなんてものを思いついて、それで、友人の変調は自分のせいだと考えた。彼女をツチノコ探しに引き込んだのは自分なのだからと、自分を責めているんですよ」
真剣に聞いていた八代の表情は、悲しくも勇ましものに変わっていった。
「呪い……そうだったのか……つまり、俺のせいってことなんだな?」
俺のせい?
「……なぜ、そういう結論に?」
「早紀が西園寺くんを連れてきてくれたのは俺のためだろう。そして彼女は見事にツチノコを発見して呪いに……そうか、早紀は俺が自分を責めないようにと気をつかい、何も言わなかったのか」
熊のような男が、泣きそうだった。
進一は、八代があっさり呪いを受け入れてしまったことに戸惑い、見た目以上に悩んでいたことを知った。
「あの、八代さんのせいじゃないですよ?」
「しかし、ツチノコ探しは俺のために」
「いや、たしかに柴田が何も言わなかったのは、八代さんが責任を感じないようにするためでしょう。あいつは呪いだと思い込んでいますから」
「……佐山よ。それではまるで、呪いではないと言っているように聞こえるぞ」
「ええ、実際そう言ってますから、それでいいんです。仮にツチノコの呪いなんてものがあったとしても、目撃したのは四人。なぜ追いかけまわしてもいない彼女だけが呪われるんですか」
「……たしかにそうだが、彼女が特別に受けやすい体質なのかもしれん。いや、待て。ひょっとすると、なんだ、俺たちも呪われているのではないか?」
八代が新たな恐怖を見つけ出すにいたり、進一は自分の誤りを悟った。
この人は心が弱っている。理性が働いてない状態なのに、呪いではないと理屈で説明しようとしたのが間違いだった。
「すいません、猫です。おそらく原因は猫です。誰も呪われていませんから落ち着いてください」
なんとかしますから、と進一は言った。
文恵の変調はプータローの訪問が減っていることが原因だろう。そんなことを説明はしたが、説得できたとは言い難い。八代が受け入れてしまった呪いを解くには、早紀が元気になるしかない。つまりは文恵の調子が戻るしかない。
いつかプータローはいなくなる。
文恵はわかっているのだと、進一はあらためて思う。
そして、そんな予感を否定したいのは、自分も同じなのだと。
こうなると、やっぱり本気で追いかけるしかないか。そしてプータローの居場所を見つける。いたるところに世話をする人間たちがいるはずだと、彼女は推測していた。いつも逃げられてばかりいるが、彼女が無茶をしないように見守るのでなく、協力すれば、なんとかなるかもしれない。
肉うどんを食べ終えるころ、進一の意志は固まっていた。
どこへ行くのか居場所を見つける。文恵のため、勝手に呪われてしまった八代と早紀のため、そして自分のために。
ふと気がつけば、八代の箸がすすんでいない。元気づけるはずだったのに、八代の食欲は減退してしまった。どうしたものかと頭をかきながら、進一は席をたつ。呪いは否定できないだろう。もともとの悩みはなんだったか。
そうこう考えているうちに、ほぼ確実と思われる未来がみえた。進一は口角をあげて笑い、やれやれと首をふる。二人分の茶を用意して席に戻ると、八代に湯飲みをわたして口を開いた。
「とりあえず柴田に元気がなく、何も語らなかった理由ははっきりしてます。俺はちゃんとわかってるとか言えば、ぜんぶ話してくれますよ。あいつが不安を抱えるなんて、似合わないですからね。こんなことを相談できる相手は少ないのに、それなのに、そのうちの一人は笑って聞き流しています。誰よりも頼りにしてる八代さんに隠す必要がないのなら、柴田のやつが黙ってるわけがない」
あとはあの、足が遠のいている野良猫がいつあらわれるか、だな。
進一は決意を秘めて、熱い茶をすすった。
八代は食事を再開している。食欲不振は影さえない。ゆるい冷房の風にあたりながら、浅黒い顔を真っ赤にしていた。進一は照れている先輩をチラリと見て、手にした湯飲みを口に近づける。
お茶がうまいと、進一は心でつぶやいた。