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19 待ちわびた人と

 理香とプータローの生活は続いていた。

 プータローは変わることなく、頻繁に理香のもとを訪れている。ドアの前に座って理香の帰宅を待ち、翌日には理香と一緒にマンションを出ていった。どうやってマンションの内に入ってくるのか不思議だったが、理香は一度だけ目撃している。なんてことはない。住人が出入する隙をついて、堂々と正面から侵入していた。確認はしていないが、理香の部屋がある三階まで、階段を使っていない可能性もある。エレベーターを使いこなしている猫がいると、マンション内で噂になっているらしい。


 理香はプータローの訪問を心待ちにしている。

 ショコラ、バニラアイス、ムースババロア、バナナクレープ、苺のタルト、モンブラン、マンゴープリン、シュークリーム、チーズケーキ、などなど。

 理香が愛するスイーツたちを、プータローはともに愛した。

 理香にとってプータローは、進一につづく新たな甘味仲間でもあった。


「プーちゃんはスイーツを狙って私のところに来てるんでしょ?」

 と、理香はケーキ皿を片手に、ふくよかなキャラメル色の猫に聞いている。

 プータローはちらりと質問者の顔を見たが、何も答えず、理香の膝でティラミスを見上げていた。


 キャットフードを欲しがらないときもスイーツは食べる。そんなややこしい猫とともに味わうスイーツタイムは、間違いなく、理香にとって幸福の時間だった。

 プータローとの生活に不満などなかった。

 あえて不満をあげるとすれば、進一に話せなかったこと。それだけが心残りだった。



 理香はコロコロテープを転がして、シーツについた猫の毛を取りのぞく。時刻を知ろうとして、緩みっぱなしの表情がさらにふやけた。出窓に置いた時計はダメだと、作業を切り上げて寝室を離れる。

 ソファーに向かい、落ち着いているプータローの身体をコロコロした。

 意味のない行動であることはわかっているが、無抵抗なのをいいことに、なんとなくやってしまう。

「プーちゃんって、コロコロだけだよね。手間かかるの」

 理香はプータローのために、猫用のトイレも用意していた。猫のオシッコは恐ろしく臭い、という話を劇団仲間から仕入れて覚悟もしていたが、プータローは理香の部屋で一度も排泄行為をしたことがなかった。

「いつも思うんだけどさぁ、プーちゃん、オシッコとか、どこでしてるの?」

 納得のいく返答はなかったが、気だるそうだった半眼は少し開き、蜂蜜色の瞳がキラリと輝く。

 ニヤリと笑う猫を見た気がして、理香は寝不足の疲れ目をこすった。



 客演をつとめた公演は好評のうちに終わり、理香の心は弾んでいた。団長が隙間なくスケジュールを埋めてしまい、午前中しか時間は死守できなかったが、久しぶりに進一に会える。

「いいかね理香くん。うちの公演は、当然、我が劇団のスターである君が主演の舞台だ。……聞いてるか? 聞いているのか? ねえ、お願いだから、聞いてください」

 公演の打ち上げパーティーに混じっていた団長の隣で、完全に役者モードを離れた理香は、ずっと進一に会えたらどうするかを考えていた。

 話したいことは山ほどある。でも、とりあえず最初に抱きついてみようか。見知らぬ人が通る街中でそんなことしたら、進一はどんな顔をするだろう。

 舞台の成功もあって、理香は浮かれきっていた。

「明日の稽古はサボらないように。信じてるよボクは。稽古魔だからねぇ、理香くんは」

 理香はへらへら笑いながら団長の命令を聞き流し、どうしよう、そうしようと、ありえないイメージを広げていた。



 理香はプータローとともにマンションを出た。

 いつものようにプータローを見送り、理香は足早に駅へと向かう。

 通いなれたホームで電車に乗りこみ、通いなれた駅に降りて改札口を出る。進一との待ち合わせ場所は、駅から近いオープンカフェと決めていた。理香が稽古に遅れないように、進一がそうしようと提案していた。


 理香と進一は、待ちわびた再会を果たす。

 約束した時間より三十分も早かったが、期待通りに進一はいた。

 恋人の姿を見つけたときから、理香の歩みは落ち着いていく。理香がゆっくりと近づいて、理香に気づいた進一がイスから立ち上がって、ふたりは向かい合う形で微笑みあった。

 理香が昨夜から考えていたことは、すべて無駄になる。

 手を伸ばせば届く距離で、ふたりは見つめ合うことしかできないでいた。



 心配性だった若い女性店員が、突っ立ったままの客たちへ慎重に近寄り距離をつめる。視線を何度も往復させながら理香と進一を観察し、オーダーを問うべきか悩み、後悔で泣きそうになった。経験は浅くとも、責任感は強い。退くこともできないと意を決して、小さく繊細な声で注文をきいた。三回がんばってみたが反応は無く、四回目の挑戦で二人から同時に顔を向けられる。息がつまり、店員も止まった。

「座ろうか」

「メニューをくだ」

「ご、注文は」

 時が動き出し、三人はそれぞれに口を開いた。何事もなかったかのように、理香と進一は照れながら黙って席に座る。店員は胸をなでおろしてメニュー表を渡した。ぎこちない会話をはじめた理香と進一を交互に見ながら、こんな人たちもいるんだと、仕事を忘れた。

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