1 進一と時計
目が覚めて、携帯電話に手をのばす。
昨夜のメールをもう一度、あるいは、新たなメールに期待して。
奇跡を期待するほどの信仰心はないが、祈るほどの間もない。
現実はあっけなく、液晶画面に表示される。
今日は、何もない一日。
進一は手にした携帯電話をもとの場所より遠いところに置いた。腕を伸ばし、指先を駆使して遠ざける。距離があるほど正解のような気がして、ベッドを買わずに良かったと、そんなことを思ったりもした。
寝返りをうって、携帯電話に背をむける。
暇な休日は二度寝から始まるものだと布団を頭からかぶった。そのうち息苦しさを覚えたかもしれないが、そうなる前に疑問が浮かんだ。
昨夜、メールの返信、したか?
思い出せない。布団から顔を出して、仰向けになって記憶を探った。
理香のメールに気落ちしたのは覚えている。そのあとで返信をしたような気がするものの、どうもはっきりとしない。
天井を眺めているよりは、送信記録を見たほうが早いだろう。
考えをあらためて、ふたたび携帯電話に手をのばした。そんなはずはない、届かないはずはないのだと、少し意地になって手を伸ばしてみたが、指先がわずかに触れるだけだった。
あきらめて、布団をめくる。
ささやかな冷気を感じて少し身体が縮んだ。勢いをつけて起き上がり、手早く携帯電話をつかまえる。あとは送信記録を見るだけだったが、確認するまでもない。つかんだときに思い出していた。
ほっとして、ため息が出る。
(いいよ。また次の機会にしよう)
そんな言葉を昨夜も理香に送っていた。
当初の予定は何の問題なくキャンセルされて、理香は今日も稽古場へ向かうだろう。
心配することは何もない。
ただ、今日も会えないというだけだ。
進一は携帯電話から視線をうつして、黒いブラウン管テレビの上に置かれた時計を見た。
丸い形をしたアナログ時計で、大きさは十五センチほど。淵はグレー、なかは黒く、銀色の数字が十二個ならび、銀色の針が七時前を示していた。
コツコツと動く秒針が、淡々とした乾いた音を響かせている。
進一は時計をながめたあと、また布団のなかへ戻った。
静かな部屋のなかで、淡々とした響きだけが聞こえる。
やけに大きな時計の音は、目を閉じればなおさら響いて、布団をかぶっても聞こえてきた。
消えそうにはなく、眠気を誘うものでもないらしい。
静かな部屋のなかで、進一は長い朝を過ごした。