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17 猫がいてもいなくても

 西園寺文恵は、進一の連絡を待っているほど大人しくはなかった。

 進一がバイト先からアパートに戻ると、犬小屋の裏に隠れようとする、文恵がいた。

 プータローは姿を見せず、文恵は肩を落として雑炊を食べると、キャットフードと牛乳プリンを部屋に残して帰ることにした。進一に慰められながら夜道を歩き、駅の改札口で進一に見送られる。


「プーちゃん、明日は来るような気がしてきました」

「それはなに? 明日も見張りますってこと?」

 別れる間際の宣言に、進一は苦笑する。

「来るなっていっても来るんだろうな……じゃあ、犬小屋のなかに部屋のカギを入れておくから、部屋のなかで待ってればいいよ。テレビを見るなりコーヒーを飲むなり、好きにつかってくれ」

 慌てはじめる文恵を見て、「牛乳プリンのお礼だ」と進一は笑った。


 明日はプリンを持ってこないように告げて、進一は文恵と別れた。

 そして翌日には、文恵と早紀が部屋にいた。



 進一が部屋に入ると、客たちが座ったまま声をかける。

「あっ、おかえりなさい。お邪魔してます」

「すいませんけど、先にいただいてます。佐山さん、いつ帰らはるのかわからんかったんで」

 進一は何か言ってやるつもりだったが、早紀の計略にしてやられた。

 空腹を刺激する匂いが、進一に文句を言わせなかった。


 帰ってきたならば、アパートの前に見たことのある軽自動車が駐車してある。進一も、そのときすでに早紀がいることを疑ってはいた。しかし、早紀と文恵という女ふたりが、初夏だというのに塩ちゃんこを食べているのは予想外だった。しかも文恵は酒まで飲んでいる。早紀はカセットコンロや土鍋をはじめ、食材はもちろん日本酒までも用意して、他人の部屋で勝手に鍋料理をつくったらしい。早紀は下戸であり、酒は飲めないが、脳内でアルコールが作られているんじゃないかと進一は唸った。



 進一は黙々と食べつづけ、鍋は終盤を迎えていた。文恵が寂しげに手酌で飲んで、「プーちゃん、来ませんでしたね」と進一に愚痴る。進一は適当に相手をしながら、鳥団子を噛みしめて味わい、冷酒をなめた。くやしいことに、じつにうまい。食べれば食べるほど、箸が止まらなくなる。


 早紀は料理の感想を聞こうとはせず、してやったりの顔で鍋を仕切っていた。まともな手料理に飢えた男の評価など聞くまでもない。そして、理解していた。何も言わせないことが、貸しを大きくするのだと。

「今回はラーメンで締めますんで」と、早紀は土鍋に中華麺を投入する。

 進一は箸を止めて、表情を曇らせた。

 土鍋だけを見ている男を横目に、早紀は完全なる勝利を知った。



 進一は文恵と杯を重ねながら、余裕に満ちた早紀をみる。

「で、柴田よ。なんでお前までここにいる?」

 胃袋をつかんだ男の問いかけに、早紀はケラケラと笑った。

「なんでって、浮かれきった文恵を目撃したら気になりますよ。で、なんかあったんって聞いたら嬉々としてしゃべってくれまして、なんでも佐山さんとこのプータローは、初猫のプータローに間違いがないとか。そんなん、ほんまやったら完全に化け猫ですやんか。うちかて会いたいですよ」

「化け猫じゃないよ天使だから。プーちゃんは天使だから長生きなの」

 さすがに酔ってきた文恵が「そうですねぇ?」と進一に絡む。

 進一はうんうんと肯きながら、文恵の杯に酒をついだ。

「化け猫だとは思いたいけどね。実際は、ただただ生意気な野良猫だと思うぞ」

 ぐいっと飲み干す文恵の杯に酒を注ぎたし、進一もちびちびと酒を楽しむ。

「そらそうでしょうけど、うちは夢見る乙女ですからねぇ。可能性があるってゆうなら、拝ましてもらいたいもんです」

 進一は何か言いかけたが、杯を乾かして頭をかいた。

「……で、ほんとうにそれだけか?」

 早紀は勝者の笑みを隠そうともせず、進一の杯に酒を満たす。

「合宿のことですけど、文恵には、なんとしても参加して欲しいと思ってるんです」

 見れば文恵はうつらうつらとしており、どうやら会話は聞こえていない。

「化け猫のつぎはツチノコか。まあ、あの直感力が猫以外のターゲットに通じるのかわからないけど、期待したい気持ちはよくわかる」

「さすがは代表」

「でも、強制はしたくない」

「いやいや、べつに嫌がってるわけじゃないんですよ。ただ、プータローのことを考えると、渋る可能性も出てきたんです。そんなわけで、佐山さんも合宿に参加してもらえますか?」

「なんか、急に話が変わってないか?」

「いえいえ、佐山さんが合宿に参加したら、文恵もあきらめるはずです。佐山さんの許可もなく、この部屋を使うことはないと思うんですよ」

「許可を出すな、ということか。いざとなったら、外でテントを張るような気もするけど」

「それに、人手は多いほうがいいですから」

「そっちが本音か?」

「今回も参加率はいいんですよ。けど、佐山さんと一条の兄さん。大自然研究会の双璧が両方ともおらへんと、やっぱり寂しいですしねぇ」


 四回生になって、大自然研究会の活動には距離を置いている。影響力を減らしてゆくためであり、バイトの時間を増やすためでもあった。夏が過ぎる頃には、忙しくなるはずだ。奨学金があるとはいえ、稼げるときに稼いでおいたほうがいい。毎年恒例のツチノコ探しも、今回は不参加を決めていた。


「打てる手はすべて打つ、か。……八代さん、これだけは本気だからな」

「どうしても見つけたいみたいですねぇ。ああ、そういえば言うてましたよ。いろいろ大変やけど、就職活動せんでええだけ助かってるって」

 早紀は進一に酒をすすめる。進一は頭をかくと、残っていた酒を一気に飲み干した。つがれる酒をながめながら、ふっと笑って早紀をみる。

「にしても、けっこう尽くす女だよなぁ」

 進一の言葉に、早紀は一瞬押し黙った。すぐにケラケラと笑い、進一に告げる。

「そりゃ惚れた人には尽くしますよ。うちは夢見る乙女ですからねぇ」

 早紀はなめらかに語っていたが、ずいぶんと嬉しそうな顔をしていた。



 鍋セットを放置して、客たちは帰る。

 早紀は動かない文恵を置いていこうとしたが、そこは進一が「ふざけるな」と一喝する。文恵を連れて帰ることになるが、そこは早紀が手伝いを求めた。仕方なく進一も車に乗り込み、いっしょに文恵のマンションに向かう。文恵を背負った進一は早紀に導かれ、猫グッズにあふれた部屋まで文恵を運んだ。

 ベッドに寝かしたところで文恵が目覚め、水を求める。

 大丈夫だとは思われたが、進一と早紀はしばらく文恵の様子を見た。文恵が自力でトイレまで動けるのを見届けて、二人は文恵の部屋を出る。出るときには、ふらふらと玄関までやってきた文恵が「今日はありがとうございました。また、明日もよろしくお願いします」と言った。



 進一は、早紀の運転でアパートまで戻る。

 送迎の礼をいうと、「とんでもない」という返事がきた。

「それでは、合宿の件、よろしくお願いします。今度よせてもらうときは、酒の肴も考えときますんで」

 運転席から言い放ち、早紀は車を走らせて帰っていった。


 何も言ってはいないが、進一の結論は出ている。そして、早紀はわかっている。間違いなくわかっているだろうと、進一は理解している。

「やれやれ、だな」

 どいつもこいつも、思った通りにはいかないらしい。笑うしかないと、進一は苦笑した。


 進一は部屋に戻ると、散らかった流しをみて見ないふりをした。

 いまは、プリンも食べれない。片付けるのもシャワーを浴びるのも、全部まとめて明日がいい。


 睡魔の誘惑にしたがい、進一は敷いた布団に倒れこんだ。

 眠りに落ちるのは早かったが、理香の声は思い出している。邪魔をしたかもしれないが、電話をして、声を聞けてよかったと心から思う。

 漠然とした不安は消えてはいないが、いまではかすかなものに過ぎず、大きくなることもない。

 理香に望まれているのなら、なにも怖くはなかった。

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