13 感動の再会と静かなる闘い
進一が駅まで迎えに行くと言っても、文恵は聞く耳を持たなかった。
「なんとしてでも行きますから、プーちゃんを見張っていてください」
そう言い残して、一方的に電話を切られた。
たしかに逃げられては意味がない。
とりあえす窓を閉めた。あとはプータローがいかに暴れようとも部屋から出さなければよい。もしも暴れ出したら、閉じこめて部屋を離れようと決めた。
プータローに問題はなく、恐れていたような事態は起こらなかったが、面倒なことにはなっていた。
「寝ているから、大丈夫」
「問題ないよ。そう、東口から出ればいい」
「布団で猫らしく眠っているから。そうそう、児童公園が見えたら、あとはそのまま坂道を上がればいい」
五分に一回は文恵から連絡があり、そのたびにプータローが大人しく部屋にいることを伝えて、ついでに道順を説明した。
そして、部屋のチャイムが鳴った。
ドアを開けると、紙袋をかかえた文恵が一歩まえに踏み出した。
「お邪魔します」
と誰かに言って、文恵は使い込んだスニーカーを脱ぎだす。
ストレートジーンズにトラ猫のポシェット。
小さな三毛猫がちょこんと座る淡いクリーム色のロングシャツ。
ツヤのある黒髪をうしろで束ねて、桜色に染まった顔がはっきりと見える。
呼吸は荒いが、生き生きとした表情に苦しみの影はない。
「どうぞ、遠慮なく」
進一は苦笑しながら身体の向きを変えて、文恵に奥の部屋を見せる。
と、文恵の行動は速い。
飛ぶように駆け抜けたかと思えば、寝ていたプータローを抱えあげている。
「プーちゃんだ。やっぱりプーちゃんだ」
文恵は子どものように騒ぎ、無邪気に笑いながら涙を浮かべて、嬉々としてプータローに頬を寄せた。
寝起きのプータローは薄っすらと目を開けて、「なんとかしろよ」と言いたげに進一を見ている。
されるがまま、無抵抗のプータロー。
はじめて見る姿に、進一は笑った。
何を言っても無駄のような気がして、しばらくはそのまま見ていた。
どうやら彼女は感動の再会をしているらしい。
そんなに似ているのか? それとも、本当に同じ猫なのか? 同じ猫に、同じ名前をつけた?
早紀の化け猫説を思い出して、進一は苦笑する。
猫はくわしく知らないが、なんだか妙な猫だとは思う。もしかしたら本当に同じ猫かもしれない。何十年も生きる猫がいたって、べつにかまわない。プリンを狙うぐらいなら、化け猫だって文句はない。プータローなどと名付けたのは、妖力によるものだと言い訳もできる。
しかしだ。
「そんなやつでも、猫好きには勝てないのか?」
進一は笑い、プータローに聞いた。
文恵がプータローを抱いたまま顔を向ける。どうやら、声は届いているらしい。
「コーヒーでも飲む? インスタントで、砂糖ないけど」
文恵の表情が、あっという間に硬くなる。
猫スイッチが切れたらしいと、進一は声をもらして笑った。
「あの、それ、よかったらどうぞ」
文恵は紙袋を視線で差し出した。
打ち捨てられた紙袋のなかには、黒蜜プリンが三個と猫の缶詰が九個入っていた。
布団を片付けて、折りたたみテーブルを用意した。
プリンの存在に気づいたのか、プータローが紙袋を凝視している。進一は猫の視線など気づかなかったことにして、テーブルにコーヒーカップとグラスを置いた。
文恵にアイスコーヒーを差し出す。
「ありがとうございます」
文恵はプータローを抱えたまま、グラスを手にとった。たっぷりと氷を入れてあり、よく冷えている。走ってきたと思われる文恵にはちょうどよいだろう。見るかぎり、文恵はアイスコーヒーに注意が向けられて、プータローの視線に気づいていない。
進一はうずうずしているプータローを見やり、してやったりの気分でコーヒーをすする。
しかし、すぐに自分の過ちを悟った。
「どうかされました?」
「ん? いや、なんでもない。プータローがあまりにも大人しいから」
「ほんと、いい子ですよねぇ」
文恵はプータローをぎゅっと抱きしめる。ふたたび猫スイッチが入ったらしい。
しかし、文恵の変貌をまえにしても、進一に笑う余裕はなかった。
コーヒーが苦い。
ブッラクなので当たり前だが、いつもと違うプータローを楽しむあまり、油断していた。
もうすでに、先ほど目にした黒蜜プリンが食べたい。
進一は妖しい光に気づいてプータローを見た。蜂蜜色の瞳が進一を見ている。いつも以上の上から目線だ。先ほどとは立場が逆転している。文恵に動きを封じられてはいるが、プータローからは余裕を感じる。
「ほんとに化け猫じゃないだろうな」
「はい?」
「いやいや、なんでもないなんでもない」
進一の不審な態度に何を思ったのか、文恵はまたしても表情が硬くなり、
「どうでしょう。プリンでも、食べません?」
と顔を真っ赤にしながら提案した。
一呼吸おいて、進一はコーヒーをすすり、プータローはもぞもぞと脱出を試みる。
文恵にしてみれば話題を変えたつもりなのだろう。だが、進一から返答はなく、プータローは逃げ出そうともがきはじめる。
「プリン、いただこうかな」
文恵の戸惑いは受け流し、進一は言った。
文恵はもがいているプータローに忙しく、「はい、どうぞ」とあわてながら答える。
進一は紙袋の中身をテーブルにならべていった。猫の缶詰をすべて置いて、黒蜜プリンをひとつずつ置いていく。三個目のプリンがならんだとき、プータローの動きがピタッと止まる。よくよく考えてみれば、今回は人間と猫で我慢比べをする理由がないのではないかと、進一も気づいた。
「三個あるってことは、プータローの分もある?」
進一の問いに、こちらを見た文恵の視線が宙を泳いだ。
「……ええ、もちろんありますよ。ちゃんと忘れずに買いましたから」
上から目線のプータローを抱きながら、文恵は硬い笑顔をつくりあげた。
それはよかったとつぶやいて、進一は苦いコーヒーを味わう。頭をかきながら立ちあがると、スプーンと皿を持ってくるためにキッチンへ入った。
テーブルの上には、コーヒーカップとグラスがひとつずつ、猫の缶詰が九個、スプーンをのせた黒蜜プリンの容器が二つ、プリンが盛られた皿がひとつ、猫の前脚が二本。
「こんなに礼儀正しい猫なんて、そうはいませんよねぇ」
文恵に同意を求められたが、進一は何も言い返せなかった。それでも文恵はまったく気にしていない。話しかけているようで、実際はひとり言のようなものらしい。
ゆったりとプリンを楽しんでいる猫と、そんな猫をデレデレしながら見守るサークルの後輩。
自分の部屋で起きている出来事を、なんとかしようという気は失せた。
進一は容器の蓋をペリペリはがして、黒蜜プリンをスプーンですくいあげる。たとえ猫の分け前であっても、口にしたプリンは幸せをもたらした。