11 文恵と悪い女
文恵はベッドに横になり、猫のように身体を丸めた。
ジェームスを探したその日から、無性に寂しくて胸がざわつく。父親から送られてくる実家の猫たちの画像をながめても、以前のようには満たされない。
目を閉じれば、幼いころの記憶がよみがえる。
記憶のなかには、キャラメル色の猫がいる。
「プーちゃんじゃない」
文恵は目を開けて、ひとりきりの部屋で静かにつぶやく。
「プーちゃんなわけ、ない」
いくら言って聞かせても、納得できない自分がいる。
ため息をついて、思い出されたのは、進一と猫を探した日のこと。
楽しかった会話と、約束のこと。
ジェームスちゃんが無事に見つかって、うれしかっただけじゃない。お酒を飲んで、好きなことを好きなだけ話せて、それなのに、佐山さんはまったく変わらなかった。早紀と同じだ。ツチノコの話がでたときに、早紀と同じような目で見られた気もする。あのふたり、似ているとこがあるのかな?
ううん、そんなわけないか。UFO好きの人たちもツチノコはいるって当たり前に信じていたから、きっと、男のひとには普通のことなんだよね。やっぱり大自然研究会の代表なんてやっていると、わたしぐらいじゃ平気なんだろうな。早紀が頼りにするのもわかる気がする。自分のことをあんなに素直に話せるなんて、思わなかった。
(プータロー、今日も来ませんか?)
佐山さんがいいかげんな約束をするとは思えない。それなのに、同じ言葉を今日も送ってしまった。返事は変わらないって、ちゃんとわかっている。それでも、佐山さんに悪いって思っても、メールを送らずにはいられない。
文恵はふたたび目を閉じた。
ずっと心に沈んでいた、幼いころの記憶がよみがえる。
知らない女の人。
若くて、水商売をしていそうな、派手な女の人がリビングに入ってくる。
よくわからない会話のあと、涙ぐむ母親がいて、勝ち誇るように笑う女の人がいる。
プーちゃんがくる。
家に寄り付くようになった野良猫のプータロー。
悠然と歩きながら、まっすぐに、怯えているわたしのところへ。
抱きしめたプーちゃんがあたたかくて、心強くて、わたしは女の人をみる。
もう、いじめないで。
女の人がこっちを見る。
その顔は、なぜか悲しそうで、寂しそうにおもえた。
いまならわかる。あの女の人は、お父さんの不倫相手だ。だからお母さんは泣いていて、ふかく傷ついた。そうでないなら、ふらっと車道に出るはずがない。入院することになったけれど、運がよかったから怪我だけで済んだ。命を落としていても、おかしくはなかった。
子どもながらに、あの女の人が悪いんだと感じていた。
二度と来ることはなかったけれど、負の感情はすべて、あの女の人に向かった。
許せないと思ったし、いまでも許せないと思う。父親をたぶらかすなって、いまなら言えるかもしれない。きっと、お父さんにも文句を言うだろう。あのときは、ひとつも文句を言えていない。
でも、わたしは本当に事態をわかっていなかった? お父さんに責任があることを、なんとなく理解していたような気もする。わかっていて、それでも許していたのかな。好きだったから。ずっと仕事ばっかりだったお父さんが、会社を休んででも家事を頑張っていて、家にいてくれて、うれしかったから。
そうだ。病院のベッドにいたお母さんも、それまでと同じように接していた。娘にはわからないようにしていたけれど、ふたりにだって、いろいろとあったと思う。お父さんの雰囲気が変わって、両親が一緒にいる時間があって、なんだか仲が良さそうに見えたから、わたしは許したのかもしれない。
母親のいない生活。
学校から帰っても、誰もいない生活。
あの女の人がまた来るかもしれない、そんなことを考える生活。
プーちゃんがいなかったら、ひとり怯えて過ごしていたはずだ。お父さんがどれだけ会社から早く帰ってきても、すぐにお母さんのところに連れて行ってくれて、家族で仲良くしていたとしても、プーちゃんが寂しさを吹っ飛ばしてくれなかったら、わたしは家に帰ることができなかった。
心強くて、あったかくて、かわいい猫のプータロー。
ふっと来なくなってしまった、大好きなプーちゃん。
文恵はゆっくり目を開けると、小さく吐息をもらした。
佐山さんが教えてくれた特徴はプーちゃんに似ている。同じプータローでも、プーちゃんじゃない。わかっているのに、わたしは期待している。
文恵はそっと手をのばした。
目を閉じればそこにいても、ふれることはできなかった。