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第23話:オークヘイブンの監査――低俗なテンプレートとバグだらけの街

契約書の締結を終え、モルデカイは新たに獲得した「従業員」を連れてギルドへと戻った。

締め切りに追われる会社員のような足取りで歩く彼の歩調に、無駄な動きは一切ない。


ギルドに足を踏み入れると、先ほどまでの喧騒は嘘のように引いていた。ニックとルーシーの姿はなく、後に残っているのは高級コロンの残香と、安っぽいドラマの残り香だけだ。


モルデカイがカウンターに近づくと、受付嬢のエララが顔を上げた。彼の姿を見た瞬間、彼女の表情は「驚愕」「歓喜」「そして陶酔」という複雑なアニメーションシーケンスを再生し、一気に赤くなった。


「カイトヤマ様!」彼女は上気した声で叫んだ。「お戻りになられたのですね! わかっていましたわ! 私、委員会の連中と戦ったんですから!」


パイロエッタは沈黙を守っていたが、その瞳には明確な殺意が宿っていた。


エララはカウンターの下から、黒光りする黒曜石の球体――『記録官ウーゴの核』を取り出した。それは低周波の、官僚的なエネルギーを放っている。


「委員会の連中はこれを『ゴミ』に分類しようとしたんです」エララは劇的な仕草で身を乗り出し、涙ぐんだ目で囁いた。「でも私、言ってやったんです! 英雄には道具が必要だって! 彼は私たちのために、死に物狂いでこれを手に入れたんだって! ギルドマスターはその演説に感動して、貴方のための祝宴を開くと言い出しましたわ! 想像してください。月桂冠を授けられ、吟遊詩人が貴方の寡黙な強さを歌い、私がワインの杯を捧げ……貴方は亡き戦友を想い、一粒の男の涙を流すのです……」


(……何を言ってるんだ? 全く理解できん)


「さらに、勇者と聖女とのあの修羅場! 今やギルド中の注目の的ですよ!」エララは興奮で声を震わせた。


(ああ、出た。主人公が何もしなくても、プロットの都合で周囲が勝手に好感度を上げる「ご都合主義」シーンか。反吐が出る)


モルデカイは凍りついた。核に伸ばした手が止まる。胃の底からこみ上げる物理的な吐き気。それは安っぽい砂糖と、怠慢な脚本の味がした。


【システム警告:テンプレ汚染を検知】

【ソース:強制的恋愛サブプロット / 汎用ファンタジー報酬】

【毒性レベル:75%】


「やめろ」モルデカイは、嘔吐をこらえるような苦渋に満ちた声を出した。「拒否する。断固として拒否だ。もし誰かが俺の頭に月桂冠を載せようとしたら、それは敵対行為とみなす」


「え、でも……一粒の男の涙が……」


「俺の涙腺は、埃から眼球を保護するための潤滑液を出すためにしか存在しない」モルデカイは冷たく言い放った。「祝宴の予算は、そのまま俺の口座に振り込め。今すぐだ」


彼はウーゴの核を掴み、インベントリに押し込むと、踵を返した。「行くぞ、パイラ。ここは低質なトロンプ(お決まり)の臭いがきつすぎる」


背後でエララがカウンターに突っ伏し、「……なんてミステリアスで、心に傷を負ったお方なの……」と恍惚の声を漏らしていた。


昼食は『錆びたジョッキ亭』という酒場で摂った。そこは古いエールと、飾らない実直な空気が漂っていた。

パイラは沈黙していた。機械的にシチューを口に運び、視線は虚空を彷徨っている。「バカ!」と叫ぶことも、赤面することもない。彼女は「処理」していたのだ。


あの契約書。「四半期ごとの査定」。そして彼がエララを一蹴した方法。彼女の中の「ツンデレ姫」というプログラムが、新しい、冷徹な現実と摩擦を起こしていた。


(彼はヒロインを求めていない)彼女は思った。(彼はパートナーを……機能的な構成部品コンポーネントを求めているんだわ)

それは恐ろしく、同時に解放的でもあった。


「静かだな」モルデカイが口を拭いながら言った。


診断ダイアグノシスを実行中です」パイラは無意識に答えた。そして自分の言葉選びに驚き、瞬きをした。「いえ……その、考えていただけよ」


「いい。演算リソースを節約しろ」モルデカイは立ち上がった。「予定変更だ。砦への出発は明朝にする。今日はこの街を見て回る。俺たちがどんな脚本の残骸を置き去りにしていくのか、正確に把握しておきたい。お前はこの地のリエゾン(連絡係)だ。オークヘイブンを案内しろ」


パイロエッタは一瞬、いつもの「ツンデレ蚊」に戻った。

「……はぁ? 街を案内しろですって? どうしてよ?」


「単に、この場所について知っておきたいだけだ」


現実には、彼は単に現実逃避をしたかっただけだった。

だが、パイラの脳内では、それが「デートの誘い」へと変換された。


(……え、これって、ロマンチックなデートの誘い……? 街を二人で……嘘でしょ……)

パイロエッタは独り言を呟き、頬に朱が差した。


(は? 何だこいつは)


彼女は両手で顔を覆い、床を見つめた。

(神様……デート……わたくしの初デートだわ……準備しなきゃ……ついに、わたくしの時代が来たのね……ふふふ……)

気づけば、彼女の顔は髪の毛よりも赤くなっていた。


「おい、パイ――」


「今夜、私の裸を見るつもりね!」彼女は叫び、すぐに恥ずかしそうに彼を睨みつけた。「この変態! 身体目当てなのね! この平民の分際で!」

彼女はビンタを繰り出そうとしたが、モルデカイは易々とそれをかわした。


そのビンタには、何か違和感があった。


(速度が足りない。かわしやすすぎる。脚本が雑なアニメのビンタは通常回避不能なはずだ。……こいつ、わざと外したのか? だが何のために?)


【システム警告:ラブコメ的勘違いが発生】

【デバフ適用:テンプレ酔い。今後1時間、頭痛に悩まされます】


「非効率だ」モルデカイは彼女の額を指で小突いた。


「いたっ……」パイラは額を押さえた。


(おかしい。こいつもおかしいが、街の住人が誰も「裸を見る」という叫び声に反応しないのが一番おかしい)


「街を案内しろ。これは命令だ」モルデカイの声が一段低くなり、瞳が濃い紫に輝いた。


【パッシブスキル発動:エッジロード・リズ(暗黒騎士的魅力)】

【効果:100%(対象:パイロエッタ・フォン・セリルダ)】

【ステータス:完全に魅了され、なすがままの状態】


「は、はいっ、ダーリン様❤」パイロエッタは瞳をハートにし、彼の腕にしがみついて外へと引きずり出した。


(システム、本気で殺すぞ)


午後の日差しがオークヘイブンを照らし、石畳の割れ目と、この世界の雑な設定ワールドビルディングを白日の下に晒していた。

モルデカイにとって、これは観光ではない。欠陥住宅の検査だ。


展示物A:吟遊詩人のコーナー

広場では、ヘソまでボタンを開けた銀髪の吟遊詩人が、大げさな情熱でリュートをかき鳴らしていた。

「そしてドラゴンは咆えた!」詩人は音外れの声を張り上げる。「だが英雄の心は清らかだった! ああ、雪のように清らかに! そして夜のように暗く!」


モルデカイは足を止め、こめかみを押さえた。

「あの歌詞を聞いたか? 雪のように清らかで、夜のように暗い。論理的矛盾だ。ライム(韻)を合わせるために適当な言葉を並べているだけだ。予算不足の脚本そのものだな」

パイラも耳を傾ける。「……調和共鳴も半音ズレているわ。非効率ね」


展示物B:エッジロードとハーレム

商人街に入ると、また騒動が起きていた。

白髪、眼帯、真夏なのに黒のトレンチコート。そしてキッチン用品を繋ぎ合わせたような機械の義手を持つ若者が、パーティメンバー――バニーガールとヒーラーに向かって叫んでいた。


挿絵(By みてみん)


「お前たちは無能だ!」エッジロードは、見えないカメラに向かって劇的なポーズを決めた。「なぜ俺だけがこの重荷を背負わねばならないんだ! 俺の闇は、お前たちには重すぎる!」

「申し訳ありません、ご主人様!」バニーガールが泣きながら足元に縋り付く。「どうかお仕置きを!」


モルデカイは呆然とそれを見つめた。


【システム警告:テンプレ汚染 - 危険水準】

【ソース:『痛い系異世界主人公』の安っぽい模倣シーン】

【推奨:関与しないでください。痛さは伝染します】


「見ろ」モルデカイは、その惨状に逆に惹きつけられるように囁いた。「彼は深みがあると思い込んで虐待を演じている。既製品の絶望だ。もしあいつに乾電池を投げつけたら、その電池が自分の痛みを理解してくれたとか何とか独り言を始めるだろうな」


「カロリーの無駄遣いね」パイラが冷ややかに観察した。「それにあの構え、重心が丸出しだわ。そよ風が吹いただけで転ぶわね」


「その通りだ。行くぞ。これ以上見ていたら脳動揺アニュリズムを起こす」


展示物C:マトリックスのバグ

宿に戻る途中、脇道を通りかかった時だ。

鮮やかな緑色のジャージを着た少年が道を歩いていた。店を見るでもなく、人を見るでもなく、ただ口を半開きにして虚空を見つめながら歩いている。

少年はそのまま木箱に激突した。だが反応しない。彼は木箱に向かって歩き続け、足だけが歩行アニメーションを繰り返し、やがて少し左にスライドして木箱を「クリップ(透過)」して通り抜けた。


「……あれを見たか?」モルデカイが指差した。


「あの平民?」パイラが聞き返す。


「あれは平民じゃない。初期クエストをまだ受け取っていない『異世界主人公』だ。システムがアイドリングさせているだけだ。見ろ、影のレンダリングすらされていない」


「……はぁ、そう」パイラは困惑した。


モルデカイは再び吐き気を感じた。世界が薄っぺらく、安っぽく感じられる。

「この街は……」彼は呟いた。「壊れたコードの集積所だ。ボツになったプロットラインの埋立地。ここでは何も築けない。基礎が『痛々しさ(クリンジ)』でできている」


日没とともに『眠れるバジリスク亭』に戻った時、モルデカイは肉体的ではなく、精神的に疲れ果てていた。世界の継ぎ目が釣り糸で縫い合わされているのを目の当たりにしたからだ。


「荷物をまとめろ」モルデカイは命じた。「明朝5時に出発して砦へ向かう。俺が必要なのは、質の悪い脚本ではなく、古の呪いだけを心配すればいい場所だ」


パイラは頷き、『戦略的同盟協定書』を予備の杖の隣に丁寧にしまった。「了解いたしました、カイトヤマ様。明日のピークパフォーマンスを維持するため、スリープモードに入ります」


パイロエッタが部屋に入り、明かりが消えた後、モルデカイは天井を見つめた。

「システム」彼は囁いた。


『何でしょうか?』


「もし次、俺をトラックで撥ねるつもりなら……今度は確実に仕留めろ。あんなエッジロードとのやり取り、もう二度と耐えられる自信がない」


【クエスト更新:夜を生き延びろ】


【上位次元からのフィードバック】

XxShadowSlayerxX ⭐⭐⭐⭐: 「エッジロードのパロディが秀逸すぎる。『俺の闇は重すぎる』の一言で物理的なダメージを食らったわ。それを冷静にジャッジするモルデカイの視点が最高。」


Critical_Reader_99 ⭐⭐⭐⭐⭐: 「『街の監査』回は天才的。正気な人間の目を通して、世界がいかに人工的で雑かを解体してみせた。ジャージ男が木箱にめり込む描写は、まさにシェフの気まぐれサラダ並みの隠し味だ。」


LegalWaifuFan ⭐⭐⭐⭐⭐: 「協定書! 第8項! 『四半期ごとの業績評価』! 死ぬほど笑った。Lit-RPGのロマンスはこうあるべきだ。花束なんていらない、紛争解決条項をくれ。」


SystemObserver_Δ: 「オークヘイブンのナラティブ整合性は現在12%。離脱を推奨します。主人公の『テンプレ汚染』に対する認識能力は、有形な耐性ステータスへと進化しつつあります。」

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